第104話 ≪エルケ
連載小説『間違えて王子様にキスしてしまったので取り消させていただきます。』を投稿しています。こちらは10話以内で終わる予定です。
「おいっ!それ以上先に行ってはいけない!」
ガーラント公爵の敷地を見渡していると先程自分が来た方角から、何者かが焦った表情で走ってきた。
振り向くと、庭師の服装の青年がわたしの2メートル先ほど向こうで立ち止まり、ゼェゼェと息を整えている。
「...あなたはここの庭師?わたしを連れ戻しにきたの?」
「そうさ。オレはガーラント公爵家で庭師をやってるマークスだ。早くお嬢様の待っている屋敷に戻るようテオドール坊ちゃんが仰ってるぞ。」
わたしのため息混じりの問いに、眉を顰めながら庭師が早口で答えた。
「テオドール坊ちゃん?」
「アリシアお嬢様のご令兄様さ。これ以上先に進むとやばいことになる。悪いことはいわねぇ。引き返すんだ。」
一向に戻ろうとしないわたしに苛立ったのか、庭師は怒ったような口調で親指で屋敷の方角を差し、「戻れ」と急かしてきた。
なんだろう?彼のこの焦りようは。
アリシア・フォン・ガーラント公爵令嬢には確かに3歳上の兄がいるとは、わたしの母から聞いたことがある。
なんでも先祖返りと言われるほどの魔力の持ち主で、光属性の中でも最上の聖魔法を扱える人物だそうだ。先祖返り、と言われるのはガーラント家は先祖に王族がいるからだそうだ。王族は魔力が多い者が多い。
だからアリシア嬢の兄は“先祖返り”というわけだ。
興味がないから母の話をきちんと聞いてはいなかったけど、そうか、アリシア嬢の兄の名はテオドールというのか。
でもなんで、この庭師はこんなに焦ってるの?
テオドールという人がそんなに怖いのかしら?
アリシア嬢の兄ってことはまだ9歳やそこらの年齢のはず。わたしとあまり変わらない年齢だ。
10歳にも満たない少年を大の大人の庭師がこんなにこわがるものだろうか?
もしかして、すごくワガママで使用人が言うことを聞かないと親である公爵に言いつけてすぐクビにしてしまうとか?
「おい。話を聞いているのか?命がおしければ、早く戻ったほうがいいと言ってるんだ。」
「わかったわ。」
わたしはあの子の世話なんてしたくもないからすぐにでもクビにしてもらいたいぐらいだけど、この庭師の男まで巻き込むのは後味が悪い。わたしはふう、と盛大なため息をついて元来たほうへと歩き出した。庭師の男は、キョロキョロと周りを警戒しながらわたしの後ろをついてくる。
「ねぇ、何にビクついてるの?庭に警備用の犬がいたとしても使用人は襲わないでしょ?」
貴族の庭にはよく警備のために、訓練された犬を放し飼いにしている場合がある。だが、そういった犬たちは使用人達の匂いや来客の匂いをあらかじめ覚えさせられていて、むやみに襲いかかってきたりはしない。
「ガーラント家は、警備犬は飼っていねぇよ。」
「飼ってない?こんな広大な庭なのに警備犬がいないの?悪党が侵入したらどうするのよ?」
話しながらずんずんと歩いて行くと、さっきアリシア嬢に挨拶をさせられた屋敷の裏手までたどりついた。
「警備犬なんていなくても、ガーラント家の庭には悪党なんて入って来れねぇよ。もし入ってきたら一瞬で塵になっちまうだろうぜ。」
「どういうこと?」
青い顔をして答える庭師を振り返ろうとした時、屋敷の中からテラスへと誰かが降りてきた。
「その子がアリシア付きになる予定のエルケ・グランダルか?」
太陽の光にその人物の髪が眩しいほどに輝いた。
吸い込まれそうなほど綺麗な瞳はさっき会ったアリシア嬢と同じエメラルド色。
背格好からおそらくわたしと同じぐらいの歳の少年だろう。
テオドール・フォン・ガーラント。
おそらく彼がアリシア嬢の兄のテオドールという人物。
すぐに兄妹だとわかるぐらいそっくりな輝きのハニーブロンドにさらにそっくりなエメラルドの美しい瞳。
いえ、違う。違うわ。
あの子の、アリシア嬢の瞳は私を見てキラキラしていたけど、この兄は違う。
「アリシアの前から走り去った理由を聞こうか。僕はまだ君をアリシア付きにすることは認めていないんだ。
アリシアにふさわしくなければ即刻辞めてもらう。」
射抜くような眼差し。
おそらくこの少年は、自分の妹にとって価値がある者か、ない者かを見定めようとしているのだろう。
なんだ、ワガママ公爵令息じゃなくて、ただのシスコン令息ね。
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