第1話
「殿下、婚約破棄してください」
「いやだ」
「殿下、婚約破....」
「いやだ」
「殿...」
「そうだ、アリシア」
カチャリと小さな音を立ててレオンハルト様はティーカップを置いた。
爽やかな風が吹く花園に面したテラスのラウンドテーブルには、いっそ図書室でお茶をした方が良いのでは?というほどに山積みの本が置かれている。
その隙間から今私は私の婚約者様の様子を伺っていた。
「は、はい!殿下、そうです!こんな不甲斐ない私では次期王妃は務まりません。それではやっと婚約破棄してく...」
「1週間後にブリスタス公爵邸でガーデンパーティーがあるんだ」
「は?...はい」
「君ももちろん出席になる。ドレスは僕が用意しよう。君が僕の婚約者になって初めての社交の場だからね。楽しみにしているよ」
そう言って瓶底のような眼鏡をキラリと光らせ、私の婚約者であり、この国の第三王子であるレオンハルト様は再び手元の書物へと視線を戻したのだった。
◇
「きょ、今日もはぐらかされた...!」
第三王子レオンハルト様とのお茶会が終わり、馬車でタウンハウスに戻った私は自室のソファーに突っ伏した。
立ち振る舞いの教育係が見たら、淑女らしからぬ行為に雷を落とされそうだが、幸い今は気心知れた乳姉妹である侍女のエルケしか部屋にはいない。
「アリシアお嬢様、また殿下に婚約破棄を迫っていらっしゃったのですか?」
はぁと溜息が混じりそうな声で話しながらエルケは私にハーブティーを入れてくれた。
「あたりまえよ。エルケ。私の命がかかっているのよ!前世......じゃなかった、夢で見たのよ!このままレオンハルト王太子殿下との婚約を続けると2年後に私は命を落とすことになるんだからっ」
「お嬢様、すべての夢が正夢になるわけではありませんよ。王太子殿下とのご婚約、なにがご不満なのですか?......ま、まあ、今の殿下の見た目をと仰られてしまえばなんとなくお気持ちもわかりますが、ですが、中身は昔と変わらず、とてもお優しくて穏やかで、そして5人のご兄弟の中でも王太子に認められるほどの知力魔力に富んだ素晴らしい方ではないですか」
エルケは私の乱れた髪を櫛で解くと、窓辺にあるハーブティーを置いたテーブルへと私の手を優しく引いて連れて行く。
「私は殿下の見た目なんてどうでもいいのよ」
エルケの言いたい現在のレオンハルト様の見目というのは、今の殿下が天使のように愛らしいお姿だった幼き頃からあまりにもかけ離れたお姿に成長してしまっているということだ。
この国には5人の王子と2人の王女がいて、王太子となるのは年功序列ではなく、王家の中で知力、魔力、統率力などに優れていると認められたものが選ばれる。
そして先月王太子に選ばれたのが第三王子レオンハルト・シーガーディアン。
彼は代々続くシーガーディアン家の中でも圧倒的な知力とこの国中の魔術師達をも凌ぐ強大な魔力を持ち、なおかつ冷静沈着な態度で従者達を従えることができると認められ、他の王子を抑え王太子となった。
しかし、見目麗しい他の王子や王女とは違い、目元まで伸びるボサボサの銀髪に瓶底のような黒縁メガネをかけ、服は他の王子達が好む清らかな白地の服ではなく闇のように目立たぬ黒い服をいつも着ていた。
「私はレオンハルト様の見た目はどうでもいいけど、確かに昔あった時はあんな見た目じゃなかったわね」
「ええ、ええ、わたくしエルケもアリシアお嬢様が王家の婚約者候補に選ばれた際にお嬢様とともに登城しましたが、その時お会いした殿下はまるで空から舞い降りた天使のように整ったお顔と花が綻んだような雰囲気のお姿でした。ですのに...」
続く言葉を言おうとしてハッと口を塞いだエルケが気まずそうに私を見た。
うんうん、エルケの気持ちはよくわかるから気にしないで。確かに第三王子レオンハルト様は他のご兄弟に比べると見かけは残念な方だと思う。
でも私は見かけで婚約破棄をしたいわけではないのだ。
このまま婚約を続けると私は2年後に必ず命を落とすことになるの。
え?なぜそれがわかるのかですって?
だって私はこれからこの世界で起きることをすべて知っているから。
だって私、アリシア・フォン・ガーラントは、前世の私がやっていた乙女ゲーム『5人の王子と謎めいた王宮』の悪役令嬢なのだから。
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