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輝夜の壱

 

 オオエヤマ一帯を覆い隠す乳白色の雲霧は、晴れることがないと言う。鬱蒼と茂る暗緑の森は一寸先すら白く濁り、水墨画のような風情があった。


 カグヤは母に連れられて不死山を下り、山懐に抱かれたオオエヤマの里を訪れた。母と共にお歴々に挨拶を済ませると早々に暇を出されたので、こうして里山の散策と洒落こんでいる。


 急流の河川を遡及する方向で、河原を行く。焼けた砂を下駄で踏みしめて歩く。聞こえるのはカグヤの足音と鳥の囀り。見えるのは薄墨の風景と時折、急流に閃く白銀の砂腹と飛沫。


 カグヤは心ひそかに嘆息した。これではまるで、時間をもてあました老人の散歩である。

 

 時間を浪費する為に漫然とほっつき歩くくらいなら、退屈であっても母の傍にいたほうがいい。カグヤが踵を返そうとした、ちょうどそのとき。遠くからひとの声と足音が聞こえてきた。一人、二人、三人……少し間を置いて、四人目、さらに五人目。数えてから振り返って確かめると、十丈ほど離れた木陰から三人の男児が転がり落ちてきた。男児たちは十歳のカグヤと同じ年頃のようだ。


 泥と擦過傷まみれの男児たちは、手に棒きれを持ち、泡を食って体制を立て直している。ひとりだけ、中折れ帽子を持っていた。鍔と帽体は焦げ茶色、リボンは藍色。落ち着いた配色である。大人の男の人が被るような帽子だ。


 三人の男児を追って飛び出したのは、痩せっぽちの狼のような男児だった。勢い余ってころんと転がってから立ちあがり、かたく握った拳を振り上げる。三人の男児たちを、蓬髪をかき分けるようにして睨み付ける。

 

「追い詰めたぜ、コソ泥ども! このイバラキ様に追い詰められちゃ、もうおしまいだぞ。さっさとそれをよこせや。今なら半殺しで済ませてやる。このオレ様に喧嘩ふっかけて半殺しで済まして貰えるんだぜ? 滅茶苦茶ツいてるじゃねぇか! ほらほら、さっさとそれをオレ様に寄越して、半殺しにされろよ!」

 

 威勢の良いイバラキに、じりじりと追い詰められる三人の男児たち。どうやらこの喧嘩、イバラキが優勢らしい。

 年下の痩せっぽっち相手に及び腰になる情けない三人組は、しかし、やられっぱなしではなかった。後ろ手に帽子を隠していた男児が、唇をいやなかたちに歪めた。猫を噛む窮鼠にしてはふてぶてしく、性悪な様子だった。

 

「そんなに欲しけりゃくれてやるよ。ほら、とってこい!」

 

 男児は腰を捻って後を向くと、大きく振りかぶって帽子を放り投げた。帽子は円盤のように滑空し、川の中央に突き立つ尖塔のような岩に引っ掛かる。


 あっ! と声を上げるイバラキの背後に、いつの間にか小柄な人影がぴったりと寄り添っていた。イバラキの肩先に顎をのせ、顔を覗かせる。怪我をしているのだろうか、綺麗に剃り上げた坊主頭にぐるぐると包帯を巻いていた。岩に引っ掛かってゆらゆら揺れる帽子を見て目を丸くする。

 

「帽子が……」

 

 雲雀の囀りのような高い声だった。口許を覆う両手は白くて小さい。その装いは男児のものだが、声調といい立ち振舞いといい、女の子のようだ。


 男児たちは小柄なその子を「鬼の子」と罵倒し、呆然とするイバラキを嘲笑いながら木立に隠れて逃げて行った。


 イバラキはかっとなって男児たちを追いかけようと林に飛び込む。けれど、その場にぽつんと残された彼の連れが凝然と佇んでいると、悪態をつきながら戻って来た。

 イバラキは手の届かないところへいってしまった帽子を凝視する連れの頭を小突いて、大きく舌打ちをした。

 

「ぼうっとしやがって!そんなんだから、あいつらにバカにされるんだ!」

「うん」

「お前よぉ、ジジイの言い付けだか何だか知らねェが、お行儀よくしてんじゃねぇや! お前が大人しくやられっぱなしになってるから、あいつらは面白がってちょっかいかけてくるんだ!」

「うん」

「お前がその気になりゃ、あんな奴ら、一捻りだろうがよ! やられっぱなしじゃ男が廃るぜ!」

「うん」

「お前……もしかしてオレの話、聞いてない?」

「うん」

「……バカヤロー!」


 イバラキは坊主頭に拳骨を落とす。イバラキの連れは坊主頭を擦りながらぼやいた。


「……たんこぶできそう……」

「うるせぇ! お前はオレ様の好敵手だろ! それくらいへっちゃらなんだよ! ……えっ、なに? そんなに痛かった?」

「ううん」

「そうだろ、そうだろ! なんてたって、お前はオレ様の好敵手だからな!」

「うん」

「それならいい! で? オレはあいつらをとっちめてやりてぇんだけど、お前はなんでここに突っ立ってぼうっとしてたんだ?」

「帽子」

「帽子? えっ? お前、そんなにあれ、気に入ってたの? どこが好きだった? 色? それともリボン? 似たようなやつを、またくすねてきてやる。だから、あれはもう」


 諦めろ、と続けるつもりだっただろうイバラキの言葉を、坊主頭が遮った。


「似たような帽子はいらない」

「なんだよ、お前、遠慮してんのか? 帽子だとか靴だとか、うちには腐るほどあるんだ。親父殿は蒐集家だからな。もうひとつやふたつ、なくなったところで気付きやしねぇって」

「だから、似たような帽子はいらないってば」

「だったらなんで、そうやって未練がましく帽子に目を釘付けにされてんだ!?」

「未練がましい? ……そうかも」

「そうだろ、そうだろ! お気に入りの帽子だから、惜しいんだろ? おれはそういうことを言ってんだよ」

「別に、お気に入りとかじゃないけど。あれ、いっちゃんがくれた帽子だから。でも、もういい。新しいのくれるんでしょ」


 坊主頭が小首を傾げてイバラキを見上げる。イバラキは目をぱちくりさせてから、苛立たしそうに蓬髪を掻き混ぜた。


「はぁ!? なに諦めてんだよ、お前は! お前の帽子はあそこにあって、このイバラキ様がここにいるんだぞ! あれくらい、オレ様がとってきてやる! のろまのアケミはここで待ってろ」

「え……無茶だよ」

「お前、このオレ様を誰だと思ってやがる? イバラキ様だぜ? その威名、三千世界に轟く……予定の、オオエヤマのイバラキ様だぜ! ラクショウに決まってんだろ! 大船に乗ったつもりでどんと構えて待ってやがれ」

「いっちゃん」

 

 アケミが制止するより先に、イバラキは男児たちが落っことして行った棒きれを拾い上げる。襤褸の裾をからげると、昂然と水を掻き分け進んだ。


 腰あたりまで水につかったところで踏ん張り、棒きれをもった手を目いっぱい伸ばす。棒きれの先端が、帽子に届くか届かないか、微妙なところだ。そして、イバラキの踏ん張りがきくかきかないかも、微妙なところだった。足を滑らせれば、イバラキのようなやせっぽっちは木の葉のように急流に飲まれてしまうだろう。


 カグヤはその様子を黙ってみていた。妹分の手前で、良い恰好をしたがるのは、姉貴分も兄貴分も変わらないようだ。カグヤだって妹分の前ではついつい背伸びをして、つまらない痛手を負うことがある。


 イバラキは傍観者であるカグヤの体にも力が入るくらいに力んでいた。そうしていると、棒きれの先端が、帽子に引っ掛かった。もうちょっとだ、そう思ったのだろう。イバラキの表情がふと緩んだ。一緒に気も緩んだようだ。棒きれで引き寄せた帽子を掲げ持ち、得意そうに振り返った途端、イバラキはつるっと足を滑らせてしまった。悪戯好きな河童に足を掴まれたみたいに、イバラキは水面に消えた。


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