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朱の弐

 あいつはたぶん、僕があいつの書状に返信しなかったから拗ねている。邪険にしたのはお互い様なのに、自分のことは棚に上げて、僕を詰るんだろう。僕は別に、あいつと疎遠になっても平気だから、あいつを詰るつもりはないが。


 暇をもて余していただろうあいつとは違って、僕は任務についてあちらこちらを飛び回り、目まぐるしい日々を過ごしていたし。


 大帝都の敵は次から次へとあらわれる。国家転覆を謀る逆賊やら、大帝都の繁栄を呪う悪霊やら、血に飢えたモノノケやらが。大帝都はヒノモトの都であり、魔ノ都でもある。


 実際、僕の毎日は目まぐるしいものだった。大帝都に巣食う悪鬼羅刹との死闘に次ぐ死闘。痛いのも苦しいのも、慣れてしまえばどうってことはない。とは言え、僕に被虐趣味はない。鬼の権能を行使すれば行使するだけ、僕の血肉は人鬼儡の餌になる。外傷も然ることながら、鬼の呪詛は披露の蓄積した身体には堪える。


 大帝都守護はヒノモトに仕える退魔師にとって、最も誉高く、最も危険な任務とされている。僕は今のところ、それなりにうまくやっているけれど、それもいつまでもつことか。僕はそんなに賢くないが、鉄砲玉のような扱いをされている自覚はある。そもそも、里は僕が長生きすることを望まないだろう。とびきり大きな人鬼儡を宛がわれたことを、僕は天才だからなんて、呑気に喜べるような、お気楽な性格をしていたら、人生をもうちょっとだけ、楽しめたのかもしれないけど。


 辛いことや苦しいことは、山程ある。だけど、楽しいことは何もない。そんな毎日だ。


 大帝都には娯楽や享楽がいくらでもあるそうだ。でも僕はそれらに興味がない。血湧き肉踊る闘争に愉しみを見いだせれば良かった。生憎と、僕は生き物を殺めることが得意なだけであって、好き好んでしている訳ではない。


 退屈を紛らわせるには、どうするんだっけ?


 その問いに対する答えを、僕は一つだけ知っている。故郷に残して来た、幼馴染みのイバラキだ。あいつは今、どうしているだろう。ずっとほったらかしにしていたから、すっかり臍を曲げていることだろう。それに、カグヤ様がいなくなって寂しがっているだろう。カグヤ様はもういない。あいつには僕しかいない


 思い立ったが吉日。僕は帰郷の為、まとまった休暇を申請した。ちょうど、大きな任務に決着をつけたところだったから、その働きへの労いとして、帰郷の許可が下りた。


 僕は帝宮を後にすると、すぐさま荷作りをした。こどもの頃から愛用している、藍色の帽子をかぶって、大帝都を発った。発車直前に飛び乗った列車に揺られながら、僕は考える。


 音信不通だった僕が何の先触れもなく帰郷したら、イバラキはどうするだろう。どんな表情をするだろう。なんて言うだろう。想像はつく。まずは驚いて、それから怒るだろう。そして、すごく喜ぶ。


 あいつは僕の姿を見つけると、どんなに遠くにいても、全速力で駆け寄って来た。僕の名前を大声で呼びながら、大きく手を振りながら。世界がぱっと明るくなるような、眩しいほどの笑顔。それは五年経っても十年経っても、きっとずっと変わらない。カグヤ様がいなくなった今、あいつが駆け寄る先には僕しかいない。


 三年ぶりの帰郷を果した僕が真っ先に訪れたのは、人里離れた山の麓にある無住寺だった。本堂の向拝には、掠れた墨痕を塗りつぶすようにしてでかでかと、幼馴染の名前が殴り書きされている。境内はさびれており、鐘楼は雑草に覆われているけれど、本堂だけはよく手入れされ、整然としている。


 イバラキは十年前に生家を飛び出して、この無住寺に住み着いた。


 あいつは綺麗好きだ。普段は粗暴に振る舞う癖に、あれでいて結構、繊細なところがある。幼い頃からずっとそうだった。三年経ったところで、変わりはしないだろう。ところが、あいつは留守だった。


 中天に月が架かる時分だ。使役鬼しきを飛ばして帰郷の日時を知らせなくても、ここを訪れれば幼馴染に会えると僕は確信していた。夜更かしは大の苦手のあいつがこんな夜更けに何処へ行ったんだろう。


 あいつには、僕の他に訊ねる友人なんていない。いなくなった。遅かれ早かれ、そうなる運命だった。月代の女は消耗品だと、彼女自身も弁えていた。


 そんなこととは露ほども知らないイバラキは落ち込んでいるだろう。もしかしたら、泣いているかもしれない。だとしたら面倒くさい。あいつはいつだって騒がしいししつこいけど、大泣きすると、いつもに輪をかけて騒々しくなるし執拗になる。僕は誰よりもあいつのことを知っている。


 あれは確か、十歳の頃。僕とあいつは山の麓の河原で、水切りの勝負をしていた。勝負は僕が勝ったんだけど、あいつは負けを認めなくて、喧嘩になった。あいつはいつもより強情だったし、ぼくはいつもよりあいつにうんざりしていた。だから、僕はつい口を滑らせた。『いっちゃんなんか大嫌い』と言った。あの頃は、イバラキのことをいっちゃんと呼んでいた。カグヤ様と出会って、色気づいたあいつが「女みたいだ」と嫌がるようにならなければ、今でもいっちゃんと呼んでいたかもしれない。ああ、そんなことはどうでも良いか。

 とにかく、僕はあいつを嫌いと言った。口を滑らせたというには語弊があるかもしれない。あの瞬間、僕は確かに、あいつのことが大嫌いだった。普段なら、一緒に遊んでやっても良いと思う程度には、あいつのことは嫌いじゃ無かったんだけれど。


 あいつは暫く呆けていた。それから大泣きした。オオエヤマを揺るがすくらいの大声で泣き叫んだ。僕は面食らい、あいつを宥めようとしたけど、あいつはちっとも泣きやまないから、僕はうんざりして、勝手にしろと言って踵をめぐらせた。あいつは火がついたように泣きだした。結局、僕があいつのところに戻って、嫌いじゃないよって訂正するまで、あいつは泣き続けた。


 あの一件で、わかったことがある。それは、イバラキはどうやら、僕のことが大好きみたいだということ。僕に嫌われたら、イバラキの目の前は真っ暗になってしまう。僕が手を差し伸べるまで、泣きやまない。イバラキには、僕が必要なのだ。


 まだこどもだった頃、僕は死にかけた。あの時も、イバラキは大変なことになっていた。僕が死んだら、イバラキも死んでしまうのではないかと思った。そんな奴は他にはいない。


 だから今でも、僕の世界には、僕とイバラキだけが生きている。


「……遅い」


 待つのには慣れていない。待たせるのは何時だって僕の方だったから。


 僕は天を仰いだ。直後、爆音が大地を揺るがせ、漆黒の焔が燃え上がった。里の方角だった。



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