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朱の壱

 大帝都守護を拝命し、大帝都へ派遣されてから三年がたつ。燃え盛るような夏の日、養父の伝書使鬼が封書を抱えて僕のもとを訪れた。


 里長である養父が僕に書状を寄越すのは里の大事を知らせる為だ。そうでもなければ、養父がすすんで僕と関わりをもとうとすることはない。そもそも僕が『神童』でなければ、養父は異形の鬼子である僕を養子にとらなかっただろうし、生かしておかなかっただろう。


 僕は書状なんてまどろっこしい交信手段を好まない。これが故郷の四方山話を知らせる幼馴染からの書状なら、受け取った傍から抽斗に放り込むところだ。僕は渋々、封を切り、几帳面に折り畳まれた便箋をひろげる。養父の書状は簡潔に要件のみを伝えていた。


 ――母代樹ぼだいじゅ二零落ノ兆シ有リ。継グ母代樹トシテ立ツハ月代つきしろカグヤ也。


 目を通して、僕は得心する。なるほど。確かにこれは里の大事だ。


 オオエヤマをヒノモト一の退魔師一門たらしめるのは人鬼儡子くぐつしが行使する鬼の権能である。退魔師は鬼の魂魄をその身に宿し人鬼儡子となる。


 鬼の魂魄そのものを身体に宿せば、どんなに優秀な退魔師であっても鬼に心身を貪られとり殺される。鬼の魂魄から自我を削ぎ落す唯一の術が母代樹の術なのだ。


 母代樹の術とは、神通力を持つ女を依り代として古の鬼の魂と契りを結び、自我の無い鬼、人鬼儡くぐつを孕み産み落とす術である。鬼の権能を掌握する母代樹の術は、オオエヤマの調伏術の秘奥を極める。


 僕はふーんと鼻を鳴らした。


「とうとうカグヤ様にお鉢が回って来たか」


 右の手の甲に目をやった。手甲の下に隠した鬼面創きめんそうが蠢いている。鬼の魂魄は『母親』の死を悼むのか?  ならば僕はどうだ? カグヤ様がオオエヤマの人身御供になると知らされて、心は痛むのか? 


 僕は失笑する。痛む心を持ち合わせているのなら、僕は僕のような「ひとの成り損ない」にはならなかった。


 慈悲深く高潔なカグヤ様のことだ。オオエヤマの為、身命を賭す覚悟を決めているだろう。それに、先の母代樹は彼女の母方の従姉だった。カグヤ様も先代も、母代樹となるべくしてこの世に生を受けた。人鬼儡子による輪姦、妊娠と出産、四肢の切断を経て、人鬼儡を育む母代樹となる宿命を受け容れているはずだ。


 だけど、何も知らない僕の幼馴染は、カグヤ様との別離を受け容れられないだろう。イバラキは、カグヤ様を慕っているから。


 月代の女は不死山にこもって暮らしており、禁足地である不死山に立ち入りを許されるのは人鬼儡子のみ。人鬼儡子になれないイバラキは、こっそり伝書使鬼を飛ばして文通することで、カグヤ様と交遊していた。


 イバラキのカグヤ様への心酔ぶりは常軌を逸していた。カグヤ様の書状を肌身離さず持ち歩いて、暇さえあれば読み返す程だ。あまりにも鬱陶しいものだから、僕はある時、イバラキから書状を取り上げて使鬼に渡し、逃げ回れと命じた。イバラキはまるで犬みたいに、ちょこまか逃げ回る使鬼を追いかけ回った。


 冗談のつもりだった。それなのにイバラキは烈火のごとく怒って、僕たちは暫くの間、口を利かなかった。僕が先に折れたのは、後にも先にもこれきりだ。あの時は本当に参った。


 カグヤ様は次の満月の夜、禊として人鬼儡子達の精を受けいれ、穢れを孕み産み落とさなければならない。その後は母代樹となり、鬼と契り人鬼儡の実を結ぶ。


 カグヤ様の末路をイバラキには知らせたくない。面倒なことになるとわかりきっている。


 カグヤ様は僕に同意してくれるだろう。カグヤ様はイバラキを弟分として可愛がっていたし、心優しいひとだから。里の人々の顔がへのへのもへじのようにみんな同じに見える、僕みたいな薄情者とは違う。


 イバラキは父親の意向で、あいつは母代樹や自身の出生について、何も知らされていない。人鬼儡子になることも禁じられている徹底ぶりだ。


 イバラキの父親は気狂いだが、これについては、彼は正しい選択をしたと思う。


 書き物は大の苦手だが、やらなければならない。僕は一念発起して、筆を執った。


 その日のうちに、僕はカグヤ様のもとへ伝書使鬼を飛ばした。すぐに返信があった。そこには端麗な文字で「委細承知いたしました。あなたの宝物を大切になさい」とだけ綴られていた。


 それから半年。イバラキは以前にも増して筆まめになった。封筒が抽斗に収まりきらない程である。僕はイバラキが寄越した文に、一度も返信をしていない。僕は筆不精でつい義理を欠く。神妙に白状すると、今にも踊り出しそうなあいつの筆跡を目で追うことが億劫で、目を通すことはおろか、封を切ってすらいなかった。


 僕はそもそも、手紙を寄越すのは勝手だけど返信は期待するなと言い置いて故郷を発った。僕はカグヤ様とは違う。カグヤ様のように、まめまめしく返信なんかしてやれない。僕はカグヤ様のように優しくないのだ。


「お前が何と言うおうが手紙は送る。一筆で構わないから、暇な時にでも返信を寄越せ」


 イバラキはしつこくせがんだ。僕が他人にあれこれ指図されるのを嫌うことも、一度とこう決めたら譲らないってことも、あいつは承知しているだろうに。月に何度も書状を送りつけてくるようになったのは、ここ半年のことだ。


 イバラキがむきになる理由が僕にはわからない。幼馴染の安否がわからないことが、そんなに辛いことだろうか。何処で何をしていたって、四六時中一緒に居られる訳ではないのだから、故郷にいようが大帝都にいようが、同じことじゃないか。あんな騒々しい奴と四六時中一緒にいるなんて、僕はまっぴら御免だが。


 僕はもちろん、イバラキだって我が強いから、真っ向から衝突してばかりいる。だけど、いつだって、先に譲るのはあいつの方だ。どんな大喧嘩をしても、結局はあいつの「しょうがねぇな」の一言で決着する。カグヤ様が関わらなければの話だが。


 やはりカグヤ様の不在が堪えているんだろうか。カグヤ様がどのように言い繕ったのか知らないけど、利発な彼女のことだ。馬鹿正直なイバラキを騙すことくらい赤子の手を捻るようなものだと思う。イバラキは何も知らないまま、カグヤ様に置き去りにされて寂しがっているのかもしれない。


 カグヤ様に夢中なっていた癖に、カグヤ様に会えなくなった途端に、昔みたいに僕にべったりくっつきたがるのは、些か身勝手じゃないかと思わなくもない。でも、まぁ、いいか。カグヤ様と知りあう前に戻るだけだ。


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