離れる心
ディーヌの涙にレッドフリートは戸惑うばかりだ。
「幼体とはいえ新種の魔獣である。
国民が安全に暮らせるように調査の必要がある。
成体を生きて捕まえるのは不可能だ。幼体だからこそ捕獲ができ、調査も可能なのだ。
可哀そうだというディーヌの思いには答えられない」
ディーヌが幼体を哀れに思って泣いている、と結論したようだ。
それでも、王太子として許すわけにはいかない。残酷な検査を繰り返すとわかっていても。
「貴方は、貴族出身の傭兵かと思ってました。
殿下と呼ばれる王族の方なの?」
ディーヌが、レッドフリートの目を見つめる。
「ああ。
私は王太子レッドフリート・フォン・ロードクロス」
レッドフリートがディーヌの手を握ったまま名を告げる。
ディーヌは後ろに一歩さがると、深いカーテシーをした。
「王太子殿下とは知らず、ご無礼をいたしました」
顔をあげたディーヌは、レッドフリートから遠く離れたかのように落ち着いていた。
反対にレッドフリートはディーヌのカーテシーだけで、ディーヌに施された教育を感じた。完璧なカーテシーだったのだ。
王族にするロイヤルカーテシー、一瞬も体が揺らぐことなく深い礼をした。
「キリンジャー、侍女を連れて屋敷に戻ってくれないか。ディーヌと話がしたい」
「わかりました、エインズ伯爵も戻られているでしょう。伝えておきます」
キリンジャーは警備兵に、飛獣の監視の確認をすると、侍女を連れて屋敷に向かった。
「ディーヌ」
レッドフリートの言葉にディーヌがピクンと反応する。
「貴女には百合の痣がある。間違いないね?」
レッドフリートの言葉にディーヌは答えない。
百合の痣があれば、教会か神殿に届ける義務があるのをしなかったのだ。家族のことを思うと認めるわけにはいかない。
「殿下が何をおっしゃっているか、わかりかねます」
ディーヌがレッドフリートに目を合わせずに言う。
「ディーヌ、レッドと呼んでくれていたのに」
「申し訳ありません。王太子殿下とは知らなかったとはいえ、無礼な振る舞いをしてしまいました」
昨夜まで、気を許してくれていたと思っていたのに、またしても遠い人のようにディーヌの言葉は冷たい。
ディーヌ、と呼ぼうとしてレッドフリートは気が付いた。
ディーヌの手が固く握りしめられている。
「どうした? 私はディーヌがいい」
頭を横に振りながら、ディーヌが顔をあげる。
「お戯れを」
王都の令嬢に比べて、田舎娘が新鮮に見えるだけで、一時の気の迷いに違いない。
ディーヌの心の声が聞こえるようだ。
そんなことないのに、どうすればディーヌに伝わるだろう、レッドフリートは考えを巡らす。
そっとディーヌの手をとり、自分の腕にまわす。
ビクンとディーヌが硬直するのがわかる。
「屋敷まで送るから、その間話をさせてほしい」
王太子にそう言われて、断ることなどできない。
カサカサ。庭を歩く二人の足音が響く。
「どうして、あそこに行ったのだ?」
「なんだか、外が気になって。 侍女のマーサと二人で行ったら、警備兵に止められました」
「あれは、傷を負わせて弱まったところに神官の術をかけてある。
それで眠っているが、危険にはかわりない」
「あの・・」
「ダメだ。 肉食でなければよかったのだが、人間と共存できる種ではない」
ディーヌの願いを叶えてやりたいが、魔獣のことは許すことはできない。
多くの国民の命がかかっているかもしれないからだ。
「ディーヌの胸に百合の痣があるのはわかる。
私の腕の紋章を見たろう?」
ディーヌは何も言わず、レッドフリートを見る。
「あれは入れ墨ではない。生まれた時からある。
王家の秘密の一つだ」
レッドフリートの腕にまわしたディーヌの手に力が入る。
反対の手をそっとディーヌの手にかさねる。
「飛獣は最低でも後3匹はいる。 私達が確認できないだけで、もっといるかもしれない。
今日は戻ってこなかったが、姿を確認次第、全力戦になる。
それまでに、増員申請をした軍が来ているといいのだが。」
ディーヌが不安げにレッドフリートを見るのが、レッドフリートには嬉しい。心配してくれている。
「ディーヌのいる地を守る。貴女を守らせて欲しい」
私も貴方を守りたい、言葉にできない想いを込めて、ディーヌがレッドフリートを見つめる。
王太子の気まぐれだとしても、かけられた言葉が嬉しい。
「レッド」
呟きが聞こえたのか、レッドフリートがほほ笑む。
諦めようと思うのに、思いがつのっていく。
でも、王太子殿下は田舎の伯爵の娘には遠い存在だ。夢みちゃいけない、と自分にいいきかす。