幼体
「私は、殿下が転地療養される話も聞かされておらず、ショックでした。
しかも、それさえ真実ではないという」
キリンジャーが、レッドフリートに言い募る。
「親友だと思っていたのは、私だけだと思い知らされました」
「違う、ハイデルは親友であり、忠心だ。
あの時は、私自身、追い詰められていた。王家の血、外交が迫っていた。あのタイミングしかなかったのだ」
医師は重傷者にかかりきりになっており、助手が軽傷者の治療にあたっていた。
すでに、治療を受けたレッドフリートとハイデルは、部屋の片隅で話し合っている。
レッドフリートが顔を上げて、周りを確認した。
ディーヌの姿が見えない。
他の部屋にいるのかもしれない。
伯爵の所に行ったのかもしれない。
だが、不安が募る。
ディーヌの気配などわからない、どこにいるかなどわからない。
それがこんなに不安にする。
「ディーヌ」
キリンジャーはレッドフリートの様子で察したのだろう。
「念のために、外を見に行きましょう。
調査のために、弱らせて眠らせたとはいえ、幼体を運んできていますから」
兵士が交代で見張っているが、3匹の成体が奪いに来るかもしれない。
今朝のうちに、王太子の名で増援を依頼してあるが、今の手勢では成体3匹は無理だ。
1匹でも、全員が負傷するほどの苦戦だったのだ。
幼体を生かして連れ帰ることにした為に、余計に戦力がいったせいでもある。
ケーデルリアの力で眠らせられることができるまで、弱らす必要があった。
魔獣、それは魔力を持つ獣。
飛獣は未知のことばかりである。他にもいるのか。
飛ぶということだけでも大きな畏怖となる。
人間を襲うのかという疑問は、肉食という点で疑いの余地はないだろう。
鳴き声で人を錯乱させることは、実証されている。他にも魔力があるのか。
「ご令嬢、ここは危険です。どうぞ屋敷にお戻りください」
警備の兵士の声が聞こえる。
「でも、あの子、血だらけで。手当てをしないと」
響いてくるのは、ディーヌの声だ。
「ディーヌ」
レッドフリートは、できるだけディーヌを驚かさないように後ろから声をかけた。
ディーヌが驚いて大声をあげたら、飛獣の幼体が目を覚ますかもしれない。
「レッド、どうしてここに?」
ディーヌだけでなく侍女もいるようだ。
「それは、私が聞きたい。何故にこんなところに」
ここは、幼体を隠す目的もあって、エインズ伯爵邸の庭でも奥深く木々に囲まれている。
「そうなの、変なの。何だか気になって来てしまったの」
ディーヌが不思議よね、と侍女と顔を見合わせる。
ここにいる兵士達やレッドフリート達の中で、ディーヌと侍女だけが幼体に危害をくわえることはない。
「ご令嬢、それはこの魔獣の能力かもしれない。人を惑わせ助けてもらおうとしているのかもしれない」
レッドフリートが考えていた事を、躊躇いもなく口に出すキリンジャー。
「この子が、私を騙そうとしている、と言うのですか?
こんなに傷ついて、血まみれなら当然だわ」
人間程の大きさがある魔獣だが、子供独特の雰囲気でディーヌを惹きこもうとしているのかもしれない。寝ていても生きるために、魔力をだしているのかもしれない。
レッドフリート達は、この幼体にも苦戦した。幼くとも魔獣なのだ。
ディーヌを近寄らせたくない。
「この魔獣は王都に連れ帰り、研究する。大人しいようなら成長を見守りたい」
レッドフリートの言葉にディーヌの顔がひきつる。
「研究、それはどのような?」
震えるディーヌの声。怖ろしい想像をしているとわかる。
「ディーヌ」
差し出すレッドフリートの手をディーヌが振り払う。
「この子には、生きることも出来ないの?」
ディーヌが胸を押さえて屈みこんだ。
レッドフリートも腕の紋章が熱く痛い。
もう間違いない。
「ディーヌ、君には百合の痣がある」
レッドフリートが言いきって、ディーヌを抱き起こす。
ディーヌに触れる手が、指が熱い。
「殿下」
キリンジャーが侍女を連れて、レッドフリートの横に来た。
「殿下?」
ディーヌの瞳がレッドフリートを映す。
「レッドは傭兵よね? 殿下ってどういうこと?」
自分は傭兵のレッドを想ってはいけないと思っていた。それでも、自分が貴族を捨てればと考えることもあった。
だが、殿下と呼ばれるような人物なら、尚更想ってはいけない。絶対に叶わない想い。
涙がこぼれ落ちる。