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一回表 友達?ができました。

 目に映る全ての物がいつもと違う。

 巨大な滑り台、巨大なブランコ、巨大なジャングルジム。地面との距離もやけに近い。でも、どこか懐かしい。そんなに場所にわたしはいる。

 

「るい! なにしてるの? はやくかまえて!」 


 聴いたことのある声がする。この声は誰の声だっただろう。

 声のする方へ体が勝手に振り向く。瞳に映ったの良く知る幼い少女だった。


(あれは……お姉ちゃんだ)


 姉であっても、わたしの知る今の姉とは違う。過去の姉だ。右手にグローブ、左手には手からはみ出るくらい大きなボールを握っている。


(あれはソフトボールだ。ってことは、わたしが持っているのは……)


 手に伝わる感覚からそれが何か分かる。わたしは小さな手でバットを握っている。金属の一号バット。でも知ってる一号バットよりも重く感じる。


(そっか……、わたしも子供なんだ。どおりでいつもと違うわけだ)


 わたしはわたしの感情と関係なくバットを構えて姉に言う。


「ごめん、ごめん! さぁ、いつでもこい! 次はホームランにしちゃうんだから!」


 そんなわたしたちのやり取りを見てか後ろでキャッチャーをしている若いパパが弾んだ声で言う。


「れい! るい! お前たちは俺の夢だからな! しっかり頼むぞ」


 ママの姿は見当たらない。だけど誰が見ても微笑ましい家族団らんの時間だ。


 柔らかく包み込むように照らす太陽の光とわたしたちの周りに生える草木を揺らす風がその光景を更に際立たせている。


(こんな時代もあったんだよね……)


 その景色は、わたしの胸を締め付ける。



「…………さん」


 すると、どこからともなく声がした。


 この声もどこかで聞いたことのある声だ。でも、わたしの見る景色の中にその声の主の姿はない。脳に直接語りかけてくるそんな感覚。


「……さん。広瀬さん!」


 その声は急に勢いを増す。その瞬間、わたしの見ていた景色は一瞬で消えた。同時に後頭部に衝撃が走った――。


「――はいっ!」


 衝撃を受けたわたしは思わず立ち上がった。


「……ん?」

 

 立ち上がったのは良いが、なんだか沢山の視線を感じる。わたしはゆっくりと周りを見渡した。そこには同じ制服を着た人たちが同じように座り、顔だけをこちらに向けてクスクスと笑う姿があった。


(……なんで笑っているんだろ?) 


 未だに漂う雲のようにぼんやりとした意識のわたし。そんな疑問を抱きつつも腰を降ろすと、あくびと同時に両手を広げ伸びをする。


(あ~、よく寝たなぁ~。えっ…………よく……寝た?)


 途端にわたしの意識は完全に覚醒する。

 

 さらに目の前にただならぬ気配を感じる。


 わたしはその気配に誘われるように、ゆっくりと視線を向ける。


 そこには眼鏡をかけた中年の女性、古文の教師で担任の山中先生が立っていた。手には丸められた教科書をしっかりと握り、その顔はムッと口をへの字に曲げている。


「広瀬るいさん! 授業中に寝るなんてどういう神経してるの! まだ入学して間もないと言うのに……」


 お昼休み明けの五時限目、満たされたお腹で、古文という恐ろしい呪文をかけられてしまった。それに加えてわたしの席は良く陽の当たる窓際、ぽかぽかして気持ちが良いのだから仕方がない。


「ごっ、ごめんなさい!」


 状況を理解した途端恥ずかしさが込み上げる。わたしは顔を隠すようにうつ向き小さくなった。


「居眠りは厳禁ですからね。それと、広瀬さん。前から言おうとは思っていたけど、その化粧は少しやり過ぎよ。明日からはもう少し薄くしなさいね。わかりましたか?」


 怒られる私は注目の的だ。あまりの恥ずかしさに顔をあげることが出来なかった。すると先生は煽るように再度、声を発した。


「……わかりましたか?」


「――ひゃい!」


 一度目よりもドスのきいた声にわたしは驚き、声が裏返る。そのせいで恥ずかしさが倍増する。


 そんな様子を見てか、山中先生はため息をつくと教壇の方へ戻り、何事もなかったかのように授業を再開した。


 一方わたしは、恥ずかしさに耐えるのに必死で、さっき見た景色の事など微塵も覚えていなかった――。



 古文の授業が終わると、わたしは六限を待たずして帰る準備を始めた。早退というやつだ。中学三年の時も嫌なことがあると何度も早退した。その悪い癖が高校生になった今でも抜けずに残ってしまっている。


(本当にわたしってダメダメだなぁ……。これじゃあ今までと何も変わってないよ……。でもさすがにあんな事やった後じゃ、いたくないしな……)


 すると突然、前の席に座る女子生徒がわたしと向き合うように座り直した。その生徒は前髪が邪魔なのかヘアバンドで髪をあげている。


「るいちゃん、さっきんとバリ面白かったばいっ!」


 彼女の顔を見るなり、わたしの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。


(えーと、この子の名前なんだっけ?)


 高校に入学してから二週間。クラスメートたちは各々気の合う仲間を見つけグループができていた。一方わたしは人見知りで帰宅部ということもあって未だに友達と呼べる人がいなかった。


「えっと……」


 突然の『るいちゃん』という聞きなれない呼び方に困惑した。そんな事はおかないなしに女子生徒の元気な方言混じりの言葉は続いた。


「うわっ、その顔、絶対うちの名前覚えとらんやろー。ずっと前の席におるとにひどかねぇ。うちは松本 春香! 春の香でハルカばい! 春香って呼んでよかけんね! よろしくね!」


 お互い前後の席だけあって顔は知ってる。だけど、これがほぼ初めての会話。わたしは返事を上手く出来ない。


(どうしよう、このノリ苦手なんだよなぁ……)

 

 わたしの気持ちなど知らない松本さんは悪びれる様子もなく笑みを浮かべている。


「てか、るいちゃんってさぁ、横浜出身とやろ? よかねー横浜、やっぱ都会っちゃろ? うちさ長崎から出たことなかけんばり憧れとるっさねー」


 呪文のように聞こえる言葉たち。イントネーションの違いもあって全く聞き取れなかった。そのこともあってさすがに聞き返す。


「えっ、ごめん。もう一回言ってくれる?」


「ん? どして? うちなんか難しかこと言った? 別に言っとらんと思うけど?」


「あ、今のは大丈夫。でもその前のばりとか、けんとか言ってたやつが全然聞き取れなかった」


「えーっ! ウソやろ? そがん言うばってん長崎弁って標準語といっちょん変わらんやん」


(もうダメだ……、会話が成り立たない……。何回も聞き直すのも悪いし、この子には悪いけど早いとこ帰ろう)

「ごめん、わたし用あるから帰るね」


 わたしはそそくさと席を立った。しかし松本さんはそんなわたしを気にしてか声をかけてくる。


「なんで? 帰るの? 六限目は?」


「早退するから」

 

 わたしがそう言うと終始明るい様子だった松本さんは表情を曇らせた。そんな松本さんを尻目にわたしは逃げるように教室を後にした。



 教室の外は数名男子の生徒が鬼ごっこでもしているのか、騒がしかった。そんな生徒たちを横目にわたしは昇降口に向かって歩いていた。すると突然、


「るいちゃーん! 待って!」


 再び松本さんの声がした。それもかなりの大声。その声で騒がしかったはずの廊下が一瞬で静まりかえった。


 振り向くと、松本さんは手を振り笑っていた。


「るいちゃん! うちも帰るから一緒に帰ろー!」


 松本さんはそう言うと、荷物を持って近づいてくる。あの様子から彼女も本気で帰ろうとしているようだ。


(はぁ……、しょうがないなぁ……)


 わたしは松本さんが来るのをその場で待ち、来るのと同時に昇降口へと向かった。


 

 昇降口につくと、わたしは下駄箱からローファーを取り出しながら言った。


「あのさ、松本さん……わたし目立たず静かに過ごしたいんだけど……」


「えぇー! そうなん? 絶対ウソやろ! だって見た目だけで普通に目立っとるばい。化粧濃ゆかし、唇なんでばり赤やん」



「この化粧は、雑誌に書いてあるの真似しただけだし、リップは好きなモデルさんが使ってたから使ってみたって言うか……ってもう! そうじゃなくって!」


 気付くと、わたしは声を強めていた。


 こんなに他人と喋ったのはいつぶりだろうか。別に元々友達がいない訳ではなかった。中学での“ある事件”をきっかけに、わたしは他人と距離を置くようになったのだ。


 そんなわたしに松本さんは、


「やっぱ、るいちゃんって面白かね! 今日声かけて正解やったばい。それとさ、もう一回言っとくけど、うちの事は春香って呼んでね!」


 そう言いながら、爆笑していた。そして、


「るいちゃんは今から、うちと友達ね! やけんさ、友達記念に今から街にパフェ食べ行こうで! よか? よかよね? 決まりね! じゃあしゅっぱーつ!」


 怒濤の勢いで話す松本さん……、いや、春香は、わたしに返事をする暇さえ与えず予定を決めてしまった。


 こうして、わたしは新しくできた友達? 春香と“街”へ向かって歩きだすのだった。



(てか、わたし用事あるって言わなかったっけ?)

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