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第14話 沙羅さんは私の想い人ー5

 第14話 沙羅さんは私の想い人ー5


 手配していたワゴン車は二台。

 一台に中谷監督と逢坂さん親子、もう一台に朝比奈さん親子。そして別の社用車にはいつも通り、日下部先生を乗せる予定だった。当然、運転手は沙羅さんとして。

「おい。そこの信号を左だ。その方が数分だが早く家に着く」

「は、はい」

 それなのに、何がどうしてこのような組み合わせになっているのだろうか……?

 助手席で淡々と指示を出す日下部先生に、私は慌ててウィンカーをあげた。慎重にカーブを曲がり終え、車内に再び静けさが訪れる。

 逢坂親子はともかくとして、元の予定では男性陣と女性陣で適当に分かれ、ワゴンに乗り込む段取りだった。

 しかし、沙羅さんが朝比奈さんのただならぬ様子から、私との同乗を即刻見直すよう柊さんに申し出てくれたのだ。

 その時だった。さらりととんでもない代案が聞こえてきたのだ。

(それなら、そのちびっ子は俺の送迎をさせるといい)

(少しこのちびっ子に話があるからな)

 とはいえ、もしかしたらこれはこれで助かったのかも……ハンドルを握りながら、私は考えていた。日下部先生を送り届けた後、一人で自分の心を落ち着けることが出来るから。

 だって私──まだ舞い上がってる。

 朝比奈さんから守ってくれた、沙羅さんの毅然とした眼差しにも、その後の言葉にも。

「どうやら、大丈夫だったようだな」

「え?」

「あの可愛い子ちゃんに偉い目に遭わされたと踏んでたんだが」

 思わぬ指摘を受け、肩が跳ねた。

「お前が朝比奈の娘に連れていかれるのを目撃してな。事の顛末が気になった」

「あ、あれは別に大したことでは」

「あれは天性の女優だからな」

 日下部先生の口元に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。

「今回の監禁沙汰も、実行犯はあれの母親だが……支配下に置いていたのはあの娘だ」

 その意味がわからず、幾度か目を瞬かせる。

「それは、いったいどういう?」

「あの母親は愛娘を溺愛する余り、その邪魔になるものを容赦なく排除する。それをあの娘も見越して、コントロールしていた。あくまで母親を宥めるていをとりつつ……な」

(使えませんね。どいつもこいつも)

 引っかかったままだった先ほどの言葉。まさか、あれはそういう意味だったのだろうか。

「そんな親子関係……酷すぎるんじゃ」

「人の家のことに口出しするのは野暮だろう」

「そ、それはそうですけど」

「それに、そんな割り切った性根が可愛い子ちゃんの女優の実力を育てている」

 諭す言葉が、すとんと胸に落ちてくる。

「あの世界で生き残るということは、そういうことだ」

 そう、なのかもしれない。

 もしかしたら沙羅さんも、このことに気づいていたのかもしれないと思った。最後の二人のやりとりが、不意に頭をよぎる。

「ここだ。停めろ」

「っ、はい!」

 慌ててブレーキを踏み込む。視線を向けた先には、荘厳なアンティーク調の門が圧をかけるようにこちらを見下ろしていた。

 予想はしてたけど、想像以上にご立派な邸宅だ。目を丸くする私をよそに、先生は颯爽と助手席から外へ出た。

「あ、先生。玄関までお見送りを……!」

「いらねーよ。お前が俺の家で一夜明かしたいってんなら別だがな」

 はい? 悪そうな笑みを浮かべる先生に、じわじわと言葉の意味がしみてくる。

「あ、あ、明かしません!」

「へえ。この俺の誘いを断るか」

「こ、今夜はこれから、社に戻って飲み会に参加する予定でして……!」

「ああ、確かに沙羅君もそう言ってたな」

 じりじりと近づいてくる危うい手は、結局触れないまま元に戻された。

 やっぱり沙羅さんパワーは偉大だ。ほっと息を吐くとともに、ふと疑問が浮かぶ。

「日下部先生」

「なんだ」

「私と話したかったことというのは、朝比奈さんのことだったんですか……?」

 それはもしかして、今後私がまた彼女と仕事をする時のことを危惧して?

 そう尋ねる前に、先生は助手席の扉を勢いよく閉めた。一瞬怯んだ私は、慌てて運転席側の窓を開ける。

「日下部先生!」

「礼ならいらねぇぞ」

「ありがとうございました!」

 不快そうに眉をひそめた先生に、もう恐怖は感じなかった。

「それだけのために、沙羅君との時間を放棄すると思うか」

「え?」

「沙羅君も苦労するな」

 不可思議な言葉に、目を瞬かせる。

「沙羅君に伝えておけ。俺は諦めが悪い人間だってな」

 月明かりに照らされ、美しい微笑みが浮かび上がった。


「さ、沙羅さん。あの、わ、私は……!」

 出だしでどもってしまい、大きくかぶりを振った。路上を歩くサラリーマンから不振な目を向けられてしまい、慌てて気配を消す。

 車を所定の駐車場に収めた後、私は出版社前の広場の隅でイメトレを繰り返していた。

 インタビュー前に、決死の覚悟で取り付けた約束が頭をよぎる。

 柚からのメールで、二十時に会社の一階ロビーに集合とのことだった。残りあと二十分。

 刻々とその時が近づく中、花壇脇に腰を下ろし、大きく弾む鼓動を持て余していた。

「その、お待たせしてしまってすみません沙羅さん。さっきも言ったんですけど、その、話したいことがありましてっ」

 運転中、何度も繰り返したリハーサルを続ける。

「その、私は、そ、その……っ」

 ああ、だめだ。そのそのそのその。もっとしっかり沙羅さんに伝えなきゃだめなのに。

「小鳥さん」

 夜が訪れようと、決して静かに眠りにつく街ではない。それなのに、どうしてこの人の声だけはこんなに淀みなく耳に届くのだろう。

「こんなところに座り込んでどうかしましたか」

「さ、沙羅さん」

「もしかして、あの人に何かされましたか」

「あ! 小鳥、ちゃんと帰ってきたんだ!」

 否定する間を与えず、柚たちも会社のエントランスから姿を見せた。もしかして、みんなで待っていてくれたのだろうか。

「みんなでっていうか、沙羅さんがね。あんたが無事に帰ってくるのかって、やたら不安そうにしてたから」

「仕方ないでしょう。あの先生にまた何か困らされていてもおかしくありませんから」

 からかい口調の柚に、沙羅さんが静かに告げる。安堵が滲んだ微笑みを浮かべ、大きな手のひらが差し伸べられた。

「大丈夫ですか。今日は特に疲れたでしょう。立てますか」

「沙羅さん」

「はい」

「好きです」

 周囲の空気が、止まったのがわかった。

 息継ぎしたつもりが、急速に体が熱を帯び、結局息苦しいまま想いがせり上ってくる。

「私、沙羅さんのことが、好きです! 大好きです……!」

 先ほどのイメトレは、結局何の意味も成さなかった。

 声量調節を大きく誤った声は、帰宅の途につく通行人の視線を一気に集結させた。


 終わった……。

 体育座りで膝に頭を埋めた私は、壊れたカラクリ人形のように同じ言葉を呟く。

 いくら何でも、公衆の面前であれはないだろう。恋愛初心者の自分を、ここまで悔やむ日が来るとは思わなかった。子どものような告白の後、我に返った私はその場を脱兎した。

「柚たちも、驚いてたよね」

 視界の端に映ったみんなの驚愕の表情を思い返す。大きく見開かれた沙羅さんの綺麗な瞳も。

(沙羅君に伝えておけ。俺は諦めが悪い人間だってな)

 きっと私も、自分が思う以上に諦めが悪い人間なのだと思う。だって、逃げた挙句に向かう場所は、結局屋上(ここ)なのだから。

「ほんと、馬鹿だなぁ」

 自分の手で賽は投げられた。タイガ君との約束も守れた。自分の想いをきちんと伝えたかった。無謀な事とは重々承知。それでも、何度も何度も悩んで決めたことなのに。

 それなのに私──後悔してる?

「沙羅さん」

 流れる夜風に消されたくなくて、少しだけ強めにその名を呼ぶ。つい先ほど眺めたはずの星空は、今は情けなく滲んでいた。

 約束をしたのは貴方の方なのに。子どものような難癖をつけて、空に呟く。

「今日は……星が綺麗ですよ。沙羅さん」

「はい。そのようですね」

 届くはずのない人の声だった。呼吸を止めたまま、ゆっくりとその場に立ち上がる。

「沙羅、さ……」

「足が速いんですね。驚きました」

 沙羅さんは穏やかにそう告げると、資料庫に繋がる扉を閉じる。混乱に喫した私は、その場を動くことが出来ずにいた。

「小鳥さん」

 その声だけで、泣きそうになった。

 塔屋の上の私を見つめる眼差し。出来ることなら、記憶の中に閉じこめておきたい。

 だってもう、この屋上での逢瀬も一生ないかもしれないから。

「……ごめ、なさい……!」

 改めて自分の醜態を思い返し、羞恥に身が焼かれる。

 困らせるつもりはなかったんです。ただ、気づいたら口からこぼれてました。できればこれからも、友達として接してもらいたい──言葉にならない想いが頭をかけ巡る。でも、言葉にできなかった。

 友達に戻りたい訳じゃない。でも気まずくもなりたくないなんて、ただのわがままなのだろうか。

「初めて貴女を見たときも、こんな風に塔屋に立つ貴女を見上げてました」

「……え?」

「貴女と言葉を交わすよりも、ずっと前のことです」

 静かな語らいが、どうしようもなく私の胸に染み込んでいく。駆け抜けた夜風が、互いの髪を優しく揺らした。

「周りの期待に押し潰されそうになっていたあの頃、社内をふらついてたどり着いた場所がここでした。その時、聴いた貴女の歌声はどうしようもなく心に焼き付いて、離れなかった。あんなに自由に、幸福そうに、空に歌う貴女の姿が」

「さら、さ……」

「貴女は俺を女神と言いましたが」

 俺にとって、貴女は本当に天使だったんですよ、小鳥さん。

 堪えきれなかった涙が、頬を伝っていった。

 色々な感情が胸を埋め尽くして、苦しくて、呼吸が熱くなる。

 フレームに溜まる涙に気づき眼鏡をずらすと、震える指先が眼鏡を弾いてしまった。

「小鳥さん」

 塔屋の下から聞こえるはずの眼鏡の落下音はしなかった。寸前で眼鏡を受け止めた彼が、塔屋下で大きく両手を広げている。

「貴女が好きです。貴女が俺を知る前から、ずっと好きでした」

「……っ」

「先に言わせてしまって……すみません」

 言い終わるのを待たずに、私は塔屋の端を踏み切った。相当の衝撃を受けたはずの沙羅さんは、私を受け止めてもびくともしなかい。ああ、男の人なんだ。そう思った。

「駄目ですよ。そんな風に目を擦っちゃ」

 涙に濡れた手を、沙羅さんにそっと押し止められた。

「これで、友達以上の関係になれましたね」

「っ、あ、の……」

「貴女は、俺の恋人です」

 こいびと。

 余りに魅惑的な響きが耳をくすぐり、背中に甘い痺れが走る。そんな心さえ見透かすように、沙羅さんの目がそっと細められた。

「約束です。貴女の本当の瞳を見せてください。小鳥さん」

「う……だ、だめ。待って、くださ」

「どうしてですか?」

「今、すご、不細工……」

 こんな顔、とても間近で見せられない。慌てて顔を伏せたはずが、いつの間にか頬を包まれ再び上を向かされた。

「小鳥さん」

 自分を呼ぶ、大好きな声。

 直後に唇に落ちてきた柔らかな心地に、他の全ての感覚を手放した。



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