神に祈り続けた騎士
【選ばれなかった彼は】という作品の父親視点です。【選ばれなかった彼は】を読まなくても大丈夫なようになっております。
「残念ながら、あなたの息子は二十年も生きられないでしょう。」
神官の言葉に、息子を抱いた手が、震えた。シルフィが神官に縋っている。どうにか救え無いのかと、なぜこの子がと。
「…彼は神に愛されすぎているのかもしれません、神が彼を早く手元に置いておきたいのか…なんなのか。いずれにしろ二十歳までは生きられないでしょう」
目の前が暗転するようだ。
子を恵まれ難かった私とシルフィの、結婚して十年、やっと持てた息子。柔らかな茶髪にラミットの実のようなオレンジの目は光を反射し、白い頬が笑を浮かべる。
美しい子。だから、神は望むのか。
私から、シルフィから子供──ヴィリックを奪うというのか。祈りは欠かしたことは無かった、毎日毎日子ができるようにと神殿に通い詰め、許しを神に願った。
愛するシルフィの子を、抱きたかった。持てるかもわからない中で、縋れるのは神だけだったのだ。
妊娠したと医者に告げられた時、らしくも無く泣き崩れるほどには俺はヴィリックの事を心待ちにしていた。もう子は持てないかもしれないと告げる奴らをみて諦めないとシルフィと決めたあの日、諦めなくてよかったと思ったあの日。
いつか、子を。私たちの子をこの手に抱けると信じて。剣を振り続け、シルフィを支え、神に祈りを捧げた…と、いうのに。
愛しい、とても可愛い俺の息子。神もそう思っているのか。だから、そんな残酷なことをするのか。
「レイヴン様! ごめんなさい、私が…私が普通の子を産めなくて…ごめんなさい!」
泣き崩れるシルフィを抱きしめて、そこでやっと気づいた。私は泣いていた。何も口に出来ず、ただ、涙を流していた。
「あー…?」
腕の中にいるヴィリックが私の頬に手を当てて微笑む、柔らかな頬がふにゃりと緩む様を見て、“この子は何も知らない”のだと気づく。
二十もいきれない。それはなんて短い人生だろうか。変わってやりたい、本当なら私の命をこの子に与えてしまいたい。
だが、そんな術はなく──。
「シルフィ…大丈夫だ」
「レ、イヴン様…っ」
「私が、この子を鍛える。神には待っていただこう。」
小さな存在を強くする。この美しすぎる神に愛されすぎているわが子を。死なせない為に。
そう、あの涙の耐えぬ場所で。誓ったのだ。神にでもなく自分の魂に。
──────
───
「…やだあっ!」
声を上げて泣くヴィリックを見てまた木剣を握る。あれから五年、幼いヴィリックに剣を握らせたのは今から二年も前だ。
オレンジの目を潤ませて嫌だ嫌だと泣く我が子を見て目を伏せる。…訓練の日々は遊びたい盛りのヴィリックにとっては酷な事だろう。だが、鍛えぬき、誰よりも強くしなければヴィリックは死んでしまうかもしれない。
死なせたくないのだ。
奪われたくないのだ。
愛しい、私の子供。
「さぁ、泣いてばかりでどうするんだ。ヴィリック、立て。」
「もう、やだ! 帰りたいー! 」
泣き言をいうヴィリックに大きく息を吸い立てと怒鳴る。ビクリと小さな肩を震わせた子を見て、心が少し傷んだ。
「う、…ひっく」
泣きながら小さな手で木剣を手にして私を睨む子。私は手加減をしつつ剣を切り込む。鍛えなければ、この子を。奪われないために。
知っていた、息子が…ヴィリックが私を嫌っていることは。それ程までに厳しく接していたのだから。
私の三十五年を、息子にすべて詰め込む。生きてほしいと、それだけで。
表情が曇っていくヴィリックに私は何も言わなかった。何も言わず、鍛え続け、そして彼女が現れた。
黒い髪に、琥珀の目を持つリサという少女。可愛らしい顔で笑みを浮かべヴィリックのそばに彼女はいた。
「リック!頑張れ!」
彼女が応援すれば息子は強く意気込み私に向かってきた。怖いと、嫌だと泣いていたのに、いいところを見せようと。
…ヴィリックが恋をしたことはすぐわかった。喜び、悲しんだ。シルフィはヴィリックのことを思い泣きじゃくる。
「っ、神よ」
神よ、どうかヴィリックを愛しているというのならあのこの恋を叶えてほしい。この世界からヴィリックを奪わないでほしい、じゃないと、あまりに酷いではないですか。
ヴィリックは歳の割に強かった。だが、それだけ。私には遠く及ばず、陛下にお褒めに預かりマーシェリク殿下の友人として臣下として共にいることをヴィリックは許された。
周りが喜び褒め称える中、私と妻、シルフィはただ絶望した。マーシェリク殿下は側室の子でありながら次期国王だと囁かれている存在。そしてマーシェリク殿下には王妃の子である弟君がおられる。
兄弟仲は良いが、側室と王妃の仲は悪い。王妃はマーシェリク殿下がご存命な事をよく思っていない。
───命が狙われる立場であるマーシェリク殿下。
その殿下の臣下として、騎士として幼く共に歩くことを告げられたヴィリック。私と妻には死に向かって歩いている様にしか見えなかった。
違うと叫びたかった。
息子を育てたことを褒められ讃えられ、媚を売られる中心は荒んでいた。
違うのだ。
高みを目指させたかった訳では無いのだ。
地位や権力なんて、関係ない。騎士として生きなくてもいい。ただ、私たちが願ったのは───。
死んで欲しくない。幸せになって欲しい…という事だけたったのに。
「よろしく、ヴィリック」
「宜しくお願いします、マーシェリク殿下」
「はは!友になるんだ、敬語はよせ!マリクと呼んでくれ!」
「…わかった、よろしくマリク」
話してにこやかな二人を見て涙が溢れそうだった。違う、違う! 待ってくれ、違う! 消化出来ない感情が溢れ、顔が歪みそうなのを無理矢理笑みを貼り付けた。
「レイヴン様…」
「ヴィリック、私達は下がる。殿下の事、頼んだぞ」
「…はい、父上」
吐き気さえもする中、部屋に下がる。その途端に涙が溢れ、手が震えた。シルフィも泣いていた。泣いて私の手をとって抱きしめてくる。
「…私は、間違っていたのか?…私がヴィリックを殺すことになるのか?」
「…っ違います、レイヴン様はただあの子を守ろうとしてただけでございます!」
何が、良かった。どうすれば、良かった。
神に願うのも駄目だった、鍛えても駄目だった、ならば、ならばどうすればヴィリックを失わずに済むのか…。
────────
シルフィが倒れたのは、ヴィリックが十になる一月前だった。病だった。身体が壊れていく体壊病だというもので、魔力が体から抜けていき、石化していくというものだった。
「…ごめんなさい、レイヴン様」
「シルフィ…」
「あなたに全てを背負わせてしまう…!ごめんなさい…ごめんなさい!」
泣き崩れるシルフィと、唖然とこちらを見ているヴィリック。神よ。何故ですか?
何故こんなにもあなたは私の全てを奪おうとするのです。
私は貴方に沢山の祈りを捧げてきました。幼き頃から食事を感謝し祈り、朝が来たことに感謝し祈り、生き残った事を感謝し祈り、眠る前には一日を過ごせたと感謝して祈った。
何事にも感謝し、怠惰ではいなかったと自負しております…。なのに、何故ですか。
なぜ、子を早くに奪おうとし、妻をも召し上げるのですか。
心から何かが抜けていく。
失ってしまう。全て。
地位に興味はなかった。強さを目指し、騎士として名を馳せ、恋をし愛し合ったシルフィとの結婚を許された私。
領地無く貴族であることを許された。
長い間子は持てなかったものの、やっと生まれたヴィリックは、私には勿体なすぎるほどに良い子だ。シルフィも美しく優しく、よく私に尽くしてくれる。
なのに。
全て奪われる。全て持っていかれてしまう。
「父上、母上は…」
「…あと、一年だそうだ」
「っ」
消えていく。全て。私を置いて、私だけを置いていってしまう。
涙を浮かべ家を出ていくヴィリックを見つめ呆然としていればベッドからシルフィが私を呼ぶ。
「…レイヴン様」
「なんだ?」
「ヴィリックを宜しくお願いします…」
「…」
「私は先に神の御許に逝きます、そして神様にお願いをしてみます。ヴィリックの事を」
耐えかねてシルフィのことを抱きしめる。柔らかな茶髪を撫で、溢れる想いを殺す。
…シルフィの方が辛いはずだ。
若くして体壊病にかかり、朽ちていく。ヴィリックという最愛の息子のことを按じるもそばにはいれない。
置いていく側と置いていかれる側、どちらが辛いのかなんてわかりはしない。
だけど。
「…ああ。任せておけ」
「レイヴン様…愛しております」
「私も、愛しているよ。」
だけど、そんなことを比べることすら罪だと思える。きっとヴィリックはリサの元へ行っただろう。あの子はリサのことを本当に好いているから。
私はただ、シルフィを抱きしめ続けた。どちらの体が震えているかも、分からぬほどに、つよく。
──────
───
シルフィが儚くなって、もう六年。ヴィリックは十七になる。刻一刻と迫る神官の告げた予言に手が震えた。
だが、もうシルフィもいない。この手を取る者も居はしない。
今日はたしか、ヴィリックは森にリサと共に薬草を取りに行くと言っていた。リサは亡国の姫君だったらしい、平民の中で生きていた血はやはり王族と強い繋がりがあったのか、リサはマーシェリク殿下の婚約者となった。
ヴィリックは失恋したというのにそれを隠して、飲み込んで、笑っていた。人を殺すことを拒んだあの子はリサという守りたい存在のために乗り越えた。それ程までにリサを愛していたのに、リサの為だと目を閉じる。
我が子ながら自己犠牲が強すぎると思いはするが目はそらさず、けれど、口には何も出さない。ただ、少し荒れた剣を相手にして強く鍛えていく。
そんな物思いに耽っていた中だった。
私の家にリサが泣き顔でマーシェリク殿下と共に現れたのは。
私はすぐに剣を取り軽装のまま馬に飛び乗り駆け抜けた。馬から転がるように降り立ち、その場所に行けばヴィリックが倒れていた。
何度刺されたのかはわからない。三人の中の一人を殺し、敗北したヴィリック。血の海の中二人の人間を足止めしようと、それこそ命を擲つ愛しい息子。
リサとマーシェリク殿下を確認した二人の男がこちらに駆けてくるのを剣を抜き迎え撃つ。
本当は二人のことを気にせずヴィリックに駆け寄りたかった。
血だらけの息子を抱きしめて、縋りたかった。
いかないでほしい、まだ、失いたくないと心が叫ぶ。眼前の敵を薙ぎ払う。私の敵ではない二人、だけどヴィリックにとっては一人ならまだしも三人では格上すぎた敵。
一人を殺し一人を気絶させ関節を外し口に布を噛ませたところで息子の側へ行った。
…もう、息をしていなかった。
微笑みの中で、眠る様に、息子は息を引き取った。
愛する人を守る、最後だった。
────
───
神殿に行けばヴィリックに予言をした神官が私のそばへやってきた。悲しそうな顔で私に祈りの印をきっていく。
そして、私を一人にしてくれた。
「…神よ。息子と妻を頼みます、私が貴方の御許に逝くまで、どうか二人を──」
涙は、出なかった。
ただ、呆然と日々を過ごし、死んだ様に騎士達を鍛えて自分の身を追い詰めていくだけ。…それだけだった。
─────
───
ヴィリックが死んでから二年、リサ様とマーシェリク皇太子殿下にお子が生まれたと知らせが来た。祝いに行ったその席で二人が私に頭を深々と下げた。
皇太子殿下と皇太子妃である二人が。
「頭をお上げ下さい、臣下に頭を下げるものではありません。」
「レイヴン殿、どうか、貴方の息子…ヴィリックの名をこの子にくれはしないだろうか」
「お願いします、リックの名を…この子に…」
思わぬ提案に愕然とする。…ヴィリックの名をこの子に。リサ様の腕に抱かれた子を見る。リサ様に良く似た御髪と、瞳を持つ愛らしい子は、私を見上げきょとんとしてから、ふわりと微笑んだ。
…その時私の目から涙が零れた。
あの、神官とシルフィ以外に見せたことのない涙だった。騒ぐ周りなんて気にならなかった。
ただ、思い出し、浮かんだのだ。
愛しくて、大切だったヴィリックを乳母から受け取り、初めて胸に抱いた時のこと。
あの子もこの子の様に、きょとんと私を見上げ、そして柔らかく微笑んだのだ。
「…ヴィリックの名をこの子につけてやってください。」
リサ様を愛し、マーシェリク殿下の良き友として生きたヴィリックの名をこの子に。
私は二人の墓にやって来て酒を飲んだ。飲みたくなったのだ、久しぶりに。最後に飲んだのはヴィリックが生まれた日だった。
ヴィリックとシルフィを守ると誓い、酒を絶ったあの日。
…私は守れはしなかった。妻は病で失い。ヴィリックは次期皇太子妃だったリサ様を殺そうとした刺客に殺された。
だが、そんな自分を許してもいいのではないかと────そんな気持ちに、なったのだ。
妻子を深く愛した、勤勉な騎士レイヴンは、大切なものを失い続けましたが。最後には持ち直しました。