風の双子
次の日の朝。
オルムトの長の世話を任されている女たちに手伝ってもらって身支度を済ませ、マグ・エパーヤへ出向いた。
フーロウの集落は石造りだ。それはフーロウが信仰する守り神に由来するものでもあり、雪深い山の中で、豪雪に耐えられるように造られている。
それに対して、オルムトの集落はエパーヤと呼ばれる天幕で構成されていた。骨組みとなるしなやかで頑丈な木に、地中に棲む動物の皮を繋げて被せるだけという、簡素な作りだ。熱や冷気を通さない性質を持つので、どの支族でも重宝されている。狩りを主とし、秋には裾野へ移住するため、組み立て持ち運びやすいエパーヤが、そのまま家屋として使われている。
フーロウにもエパーヤはあるが、それは狩りなどで遠出する時だけ使う物だった。オルムトのエパーヤは規模が違う。小さいルィ・エパーヤと大きいマグ・エパーヤをいくつも繋げて一つの家を形成している。
基本的には、家族が集まって食事をする大きなマグ・エパーヤが一つと、家長夫婦や子供たちの寝室となる小さなルィ・エパーヤが二つ三つ繋がれた形で、この中に一家族が暮らしている。
マグ・エパーヤの大きさは八メートル四方程度。ルィ・エパーヤはその半分だ。
子供が独り立ちしたり結婚したりすると、自分ですべての材料を集め、エパーヤを作るのだ。
さすがに長のエパーヤともなると、大きさからして桁違いだった。長のルィ・エパーヤが通常のマグ・エパーヤと同等の大きさなのだ。マグ・エパーヤに至っては、通常のマグ・エパーヤの倍以上もある。さらに、それが三つ建てられ、その周りに巨大なルィ・エパーヤが十個近くも繋がれている。
長のエパーヤだけで一つの集落と言ってもいいくらいだ。
昨夜の宴も、オルムトの長のマグ・エパーヤの二つを開放して、その前にある広場まで使って行われていた。それだけで村人が十分飲み騒げる広さがある。
長のルィ・エパーヤの中には、かまどの部屋や、長の世話をする女たちの部屋、護衛の部屋もある。
それらの一番奥に、長の寝室であるルィ・エパーヤがある。
そこに至っては、かなりの贅が凝らされていた。熊や狼、鹿から、滑らかな手触りと温かさで重宝される小型の獣まで、一つとして同じ動物の毛皮はない。おそらくすべて、剛勇と誉れ高いオルムトの長自らが獲ったものだろう。他にも、戦利品か交易品なのか、珍しいガラスの置物や凝った造りの棚や彫刻などもある。中にはルマナ族が仇敵とするシェン族の工芸品まである。この辺り一帯で最もシェン族を敵視し過激な戦を仕掛けることで有名なオルムト支族の長が持っているということには、驚きを禁じ得なかった。
触れただけで壊れてしまいそうなものばかりだが、これらもすべて移動する時には持って行くのだろうか。
戦っている時の印象しか持っていなかったため、昨夜初めてこの部屋へ通された時は、驚きと珍しさとで、それらを随分眺めてしまった。
三つのマグ・エパーヤは、それぞれ客を迎えるため、会議のため、その他の目的と使い分けられている。
シャンテが向かったのは、宴でも唯一解放されていない中央の会議用のマグ・エパーヤだ。
そのマグ・エパーヤでは、騒ぎが起こっていた。
人だかりでよく見えないが、マグ・エパーヤの入り口にいる誰かと、オルムトの戦士たちが言い争っているようだ。
「オルムトとは最低下劣の代名詞だな!」
「オルムトとは野蛮下品の代名詞だな!」
「なんだとこのクソガキが!」
「たいした力もないくせに威張ってんじゃねえ!」
「そらみろ。言葉遣いからして品性が疑われるな!」
「そらみろ。こんな輩がうじゃうじゃいる所に嫁がねばならぬ姫様がお可哀想だ!」
甲高い少女の声が二つ。シャンテにはその声の持ち主が誰か、すぐに気がついた。
「まさか……」
血相を変えてシャンテは人だかりの中に飛び込んだ。
来たのが闘神とあって、頼むまでもなく戦士たちは道を開けてくれた。
入り口にいたのは、二人の少女だった。
しかも衣装も姿も顔も瓜二つの少女たちである。赤茶色の髪と焦げ茶色の目、赤茶色と焦げ茶色の斑模様の耳と尾。その模様の形もそっくり同じである。唯一見分けられるのは、右に立つ少女が長い髪を上の方で二つ縛りにし、左に立つ少女が長い髪を下の方で二つに縛っているという点だけ。
「ラウラ、ルルウ!」
現れたシャンテを見て、全身で警戒心を表していた少女たちが、ぱっと笑顔になった。
「姫様!」
「姫様!」
「お会いしとうございました!」
「我らはとっても寂しかったです!」
聞き分けの出来ないまったく同じ声は、同時に言われればどちらが言ったのか判別できない。だが幼い頃から共に育ってきたシャンテには分かる。
「おまえたち、なぜここに?」
「長のご命令で」
と、ラウラ。
「参りました」
と、ルルウ。
「我らは姫様の付き人」
「長のご命令なくとも」
「姫様の行かれる所ならば」
「どこまでもお供いたします!」
一つの文を交互に言う少女たちに、周りで見ていたオルムトの男たちは、目を丸くして首を左右に振っている。
兄は二度と戻るなと言ったが、シャンテを一人で嫁がせるつもりはなかったらしい。
この少女たちは、二年前、シャンテが腕を失った後、兄がシャンテの日常生活を手助けさせるために、付き人に選んだフーロウ支族の双子だ。
向かって右、髪を上で縛っている少女。
名は、ルマナ・フーロウ・ナウティク・ラウラ。
意味は、ルマナ族のフーロウ支族の風を掴む者ラウラ。
向かって左、髪を下で縛っている少女。
名は、ルマナ・フーロウ・ナウソアマ・ルルウ。
意味は、ルマナ族のフーロウ支族の風に躍る者ルルウ。
名前に風を持つことから、フーロウ支族では、風の双子と呼ばれていた。
再会を喜びたい気持ちを置いて、シャンテは顔を険しくして二人を見た。
「二人とも。私と共にオルムトで暮らすつもりならば、今の言葉は改めなさい」
「でも姫様!」
「こやつらは姫様のことを!」
「オルムトの戦士たちに謝れ。それができなければ、今すぐフーロウに戻れ」
シャンテの怒りに触れて、双子は唇を尖らせてしょぼくれた。無言で促すと、双子は周りの戦士たちに、不満を隠しきれない声で「今までの非礼、暴言、お許しください」と謝った。
苛立ちも露わな戦士たちに向き直って、シャンテも頭を下げた。
「私の従者たちが大変失礼しました。和睦したとはいえ長年の仇敵であったオルムトへ来て、彼女たちも平静ではいられなかったのです。二人にはきちんと言い聞かせますので、どうかこの場はお許しください」
隻腕の闘神に深く頭を下げられ、頭に血を上らせていたオルムトの戦士たちも、ようやく落ち着きを取り戻してくれた。
その場は許されたが、シャンテは二人を伴ってマグ・エパーヤの奥に行った。
そこには、事の成り行きを静観していたアルシードが座っている。下に敷いてあるのは、ルィ・エパーヤと同様、自分で狩った猛獣だろう。アルシードの両隣に、そっくりな顔をした青年が二人立っている。
向かって右、髪がくるくるとはねている青年。
名は、ルマナ・オルムト・クムトクヴァヤ・カルシェン。
意味は、ルマナ族のオルムト支族の火の梟、カルシェン。
向かって左、髪がつんつんとはねている青年。
名は、ルマナ・オルムト・クムトアギラ・クムシェン。
意味は、ルマナ族のオルムト支族の火の鷲、クムシェン。
二人ともアルシードの護衛で、昨日の夜、シャンテから剣を取り上げた者たちだ。今朝返してもらった剣は腰にある。髪型以外、何度見ても、そっくり同じ顔でそっくり同じ読めない表情だ。
アルシードの前に来て、シャンテは膝をついた。風の双子もそれに倣う。
「フーロウは随分と口が悪く命知らずな支族らしいな。俺のマグ・エパーヤであれほどの啖呵を切ってみせた者は初めてだ」
アルシードの皮肉に、シャンテは素直に頭を下げた。
「不快に騒がせてしまい、申し訳ない。これらはフーロウで私の世話を任されていた者たちで、ラウラとルルウという。今後、彼女たちには先程のような行為はしないよう、厳しく言い含める。ついては、できれば彼女たちも近くに住まわせてやっていただきたいのだが、お許し願えるだろうか」
「おまえの後ろの小娘どもは今にも俺に斬ってかかりそうな目をしているが?」
「後できつく言い聞かせる。村の者に対しても今後非礼を働くようなことはさせない」
「付き人が来ることは聞いている。だが早すぎたな。今は専用のルィ・エパーヤを作らせているから、しばらく空いているエパーヤにいろ。追って知らせる」
アルシードはつまらなそうに鼻を鳴らした。
シャンテは重ねて頭を下げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風の双子を連れて、シャンテはマグ・エパーヤの奥へ向かった。通りかかったオルムトの女性に、使われていないエパーヤを尋ねて借りる。
そこでようやく、シャンテは妹のように可愛がっていたラウラとルルウに向かい合うことができた。
「ラウラ、ルルウ。こんな所まで私のために来てくれてありがとう」
怒られるとばかり思って俯いていた双子は、シャンテの温かい声と笑顔に、ぱっと顔を上げて涙目になった。
「姫様~~~~っ」
と、声を震わせて抱きついてきた。腕が一本しかないので、シャンテは苦笑しつつも交互に二人の頭を優しくなでてやる。
「おまえたちが来てくれて、私も心強い。道中、二人だけではさぞ大変だっただろう」
双子は頭を振った。つられて二対の長い髪が元気よくはねる。
「長と姫様方が出立された後、世話役が村の女たちにご命令なさったのです」
「長の命により姫様が嫁がれるから、婚礼の準備をせよと」
「準備と言っても最低限の物だけで」
「すべて嫁がれる先へ送るのだと」
「村の者たちは大いに驚き戸惑いましたが」
「大急ぎで姫様の婚礼の衣装や道具などを作り、取り揃えました」
「そして石塔まではフーロウの戦士たちが、」
「その先はオルムトの戦士たちが護衛を務め、」
「我ら二人、姫様の元へ馳せ参じたのです」
「姫様。お会いしとうごさいました」
声はまったく同じで、息継ぎもぴったりなので、目を瞑って聞いていれば一人がしゃべっているようにしか聞こえない。いつも通りの元気な様子で話す双子を見て、シャンテは自分が心安まるのを感じた。
「私もだ。おまえたちが村を出るとき、皆に変わりはなかったか?」
「はい」
「いつもと変わりありません」
「兄上とは、会ったか?」
「いいえ」
「行き違ってしまったようです」
「そうか……」
兄のことを考えると、まだ気持ちの整理がつかない。ムートは思慮深い。今回の和睦も何か考えがあってのことだろう。だが、だからといって何故シャンテがオルムトに嫁がねばならないのか。それも、よりにもよってアルシードの妻として。
今回ばかりは、兄のことが信じられそうになかった。
しかし、もう過ぎてしまったことだ。シャンテはアルシードと結婚した。これからはオルムトの者として生きていかなければならない。どれほどフーロウのことを気にかけても、帰ることはできないのだ。
せめてもの救いは、これがフーロウとオルムトの和睦のためだということだ。シャンテがその証としてオルムトにいる限り、オルムトはフーロウとは戦わない。兄やフーロウの仲間たちと戦わずにすむ。
ルィ・エパーヤができたと火の双子が知らせに来るまで、シャンテと風の双子は、フーロウのことや来たばかりのオルムトのことを話して過ごした。