戦の結末
アルシードの元にその知らせが入ったのは、ちょうど小競り合いが一区切りついて一旦引き上げた時だった。
戦場は森の中。
モーグがよく布陣を引く地形だ。罠を張りやすく隠しやすい。その上木々が敵の勢いを止めさせる。
この戦いで、アルシードはずっと違和感があった。
罠はいつものように用意周到。それがいつもくどいくらいに敵の四方八方を埋め尽くしている。忌々しい罠のせいで、大小含めて少なくない怪我人が出ている。だが、こちらが消耗しているのはモーグも把握しているだろうに、一向に敵が打って出てこない。やけに消極的だった。
思い出すのは、平和な村の風景。
つい先程、オルムトにモーグの奇襲があったことは狼煙で知らされている。若い戦士たちは連れてきてしまっているが、村にはアルジャーを始め、怪我や老いたとはいえ手練れの戦士たちがいる。
それに、闘神がいる。
シャンテの実力を持ってすれば、百や二百の奇襲隊など、あっという間に壊滅する。
アルシードの思考は揺るぎない。
今は目の前にいる千の敵を完膚なきにまで潰さねばならない。
アルシードは遠くを見据えた。
視界不良の森の中でも、それははっきりと見て取れた。
相変わらず悪趣味な御輿の上に輪をかけて悪趣味な服を着た太った男がいる。いつも戦場にいないくせに、戦士たちの統率は非常に細かく、すんでの所で逃げられていた。
だが、今日こそは首を取ってやる。
「やっぱりおかしい」
アルシードと共に、先陣を切って敵に突っ込んできたカルシェンが呟いた。
「子供が多い」
クムシェンも同意する。
アルシードも火の双子も、幾度かの小競り合いで、返り血や切り傷を負っていた。その半分は敵の罠に引っかかったせいでもある。真面目に罠を回避するという頭はない。多少の罠は強引に押し通る。
アルシードがその性質だから、護衛もそれに追随せざるを得ないのだと、アルジャーに何度か小言を言われたが、三人揃ってそれを改める気はなかった。
火の双子に言われて思い返すと、幼い顔を何度か見た気がする。陣地の奥にふんぞり返るモーグの長のことばかり見ていて、あまり気にしていなかった。
「どのくらいだ?」
「ざっと二百」
「そんなにか?」
「あと年寄りも多い。同じくらい」
「千の内の四百が戦闘力の弱い連中ということか。ではこれ自体が主力と見せかけた罠か……」
力を入れるべき本軍に戦力の低い者を入れたということは、奇襲隊の方に戦力を増強させたのか。考えられるのはそれしかない。
だが、少々解せない。モーグの長は何のためにそんな手の込んだことをしたのか。いつもなら無駄なちょっかいを出してしっぺ返しを食らい、泡を食って逃げるのがモーグだ。
ところが今回は、何度攻撃を繰り返しても、びくともしない。
自分自身を守ることにかけては、自分が率いるべき一族以上に、過剰な用心をかけるエゥモウが、自分の周りの戦力を落としたことも腑に落ちない。
今までやったこともない奇襲をしたこともそうだ。
(まあいい。次の突撃で本陣を突き、やつの首級を上げてやる)
両支族の間の罠は、もう半分失われている。
アルシードが直接率いる隊と入れ替わりに、待機していたオルムトの戦士たちが再度攻撃を開始する。
エゥモウは自分たちの周りにまんべんなく罠を張り巡らせている。それを馬鹿正直にすべて解除してやる必要はない。集中的に一カ所を突破すれば、時間も被害も軽減できる。当初三日かかると予想した本陣まであと一息だった。
「長! 村から伝令です!」
大抵のことは狼煙でやりとりできるのに、わざわざ知らせに来たようだ。馬ではなく自分の足で駆けてきた伝令の戦士は、息を整えるのも惜しんで叫んだ。
「報告します。村を襲ったモーグの中に、長エゥモウを発見! モーグは村の喉元にまで迫っています!」
その衝撃的な知らせに、伝令の周囲で、ざわめきと動揺が起こった。
「事実か!」
「アルジャー殿が確認しました!」
アルシードは敵の本陣に目を凝らした。
(ではあれは誰だ?!)
遠目とはいえ、確かにこの目で見た。目障りな服には騙されない。あの顔は確かにモーグの長だ。
「そ、それともう一つ、ご報告が……」
そう言った戦士はなぜか口ごもった。
アルシードは苛立ちを込める。
「報告ならさっさとしろ」
「はっ。奇襲隊にいた長エゥモウですが、戦いの直前に闘神殿に対し、こう言ったそうです。『我は望まぬ婚姻をした闘神を救いに来た。すでにオルムトの長は死に、フーロウも壊滅させる』、と……」
戦士の声が尻すぼみに消えていく。正面から吹き付ける戦神の殺気に、喉が引きつっていた。
「それで?」
アルシードは殊更ゆっくりと言った。
「その虚言を信じた馬鹿はいるまいな?」
「も、もちろんです! 特に闘神殿は戯れ言と一笑に付し、自ら先陣に立たれました」
「当たり前だ。戦況は」
「敵は四百を超え、こちらは総員二百。しかし敵は精鋭を率いているようで、苦戦を強いられています」
アルシードは舌打ちをした。
「出るぞ。総攻撃だ。今終わらせる。あそこで寝転がっている豚の皮を剥いでやる」
言うや否や、アルシードは戦場へ駆け戻った。最前線に躍り出る。
「長! まだ罠が!」
声が後ろに過ぎ去る。
直感と己の肉体を駆使して、空に地に迫る罠をぎりぎりの所で回避する。最後の一跳びの後、敵陣に到達した。もうこの先に罠はない。
火の双子が言ったように、正面のモーグの戦士たちの中には、戦いに出るには早すぎる、あるいは遅すぎる顔が目に付く。
モーグの戦士たちが恐れ戦き、後退る。
アルシードの両脇に、カルシェンとクムシェンも到着した。そのまま立ち止まることなくアルシードの脇を駆け抜け、一気に突撃。その勢いに、手前の陣形があっけなく崩れた。
二人が大きく穿った穴に、アルシードが突進する。
モーグの戦士たちの混乱が益々広がった。立ち向かってくる戦士もいたが、構え直すほどではない。一振りで、あるいは辿り着く前に火の双子によって倒され、後ろへ過ぎていく。
こんな時なのに、アルシードの心は不満しかなかった。
姑息な罠ばかりで腕の立つ戦士が一人もいない。それがつまらない。戦というと前はもっと、心躍るものであったはずなのに、まったく面白くない。最後に心躍ったのはいつだったか。
白い闘神の姿が脳裏に浮かんだ。隻腕ではなく、双剣を振るう闘神だ。
(ああ、二年前か……)
フーロウと戦う時はいつも心が逸って仕方がなかった。自分と互角に戦いを演じられる者は闘神しかいなかったから。
それに終止符を打ったのは自分だ。二人だけの戦いに周りが見えなくなるほど没頭し、シェン族の邪魔があったことにも気づかず、勝手に失望して闘神の左腕を奪った。
この不満と持て余す闘争心は永久に行き場を失ってしまった。
ふと、場違いな疑問が湧いた。
シャンテは何故アルシードの元に嫁いだのだろうか。
モーグの長の言葉ではないが、本人にとっては決して望んだものではなかったはずだ。崇拝する兄の命とはいえ、シャンテは闘神として誰もが認め、フーロウの要であったはずだ。望めば断れないわけがない。なにより、相手は自分の右腕と闘神の象徴である双剣を奪った憎い相手だ。実際、和平を結んだ石塔では、フーロウの長と兄妹喧嘩をしたほどだ。
それなのに、アルシードに対して敵意を見せたのはオルムトに来た初めの頃だけ。
大祭では、怪我をした舞手のためにオルムトの守り神に闘神の舞を奉納し、アルシードの妹メアナの墓に祈ってくれた。
舞ってくれと頼めば、怒りながらも舞ってくれた。
今回も、モーグの奇襲に対してオルムトを守るために戦っている。
(憎んでいる俺にここまでしてくれる義理は何だ?)
酔って迫るアルシードに向けてくれた微笑みが頭から離れない。
花畑で共に舞ったあの言い知れぬ高揚感が忘れられない。
「長!」
「前!」
火の双子の警告に、目を瞬かせる。
考え事をしている間にも反射的に敵を斬り続け、もう本陣の最奥に迫っていた。
後ろから雄叫びが絶え間なく響く。オルムトの戦士たちも罠を切り抜け、本陣に食らいついた。
前方を見れば、御輿が離れていくのが写った。また逃げるつもりだ。
「もうそれは許さん」
アルシードは跳んだ。着地と同時に剣を振るい、敵を吹き飛ばす。もう一度跳躍。
単独の戦士ならばこんな独断専行もできるが、アルシードはオルムトの長だ。相手が戦神以外では手に負えない闘神ならば別だが、普段ならばこんな無茶な突撃はできない。
だがいまは一刻も争う。
三度目の跳躍で御輿の上に躍り出た。
御輿に乗った男がアルシードを見上げて泡を吹いている。剣を握ることも降りて逃げることもできず、ただ御輿の上で慌てふためいている。
殺意が湧いたが、男を御輿の上から蹴り落とすに留めた。
ボキッと木の折れる音がして、男の体が潰れた。
否、男は痩身だった。
木の骨組みで鎧を大きく見せていただけだ。エゥモウとよく似た顔の男。モーグの長の弟エゥダラだった。
追いついたカルシェンとクムシェンが、御輿とその周りの戦士たちを排除する。
アルシードは男の胸倉を掴み上げた。
「貴様らの目的は何だ」
男はアルシードの気迫に怯えながらも、卑屈に笑った。
もう一度首元を締め上げると、兄と同じ金切り声で叫んだ。
「モーグの繁栄! アミルタ高原のルマナ族ならば、誰もが成し遂げねばならん使命だ!」
「貴様のように腐ったルマナがいること自体不愉快だ。もう一度言う。今度の襲撃は何が目的だ」
エゥダラはへらへらと笑って黙り込む。
アルシードはその足に剣を突き立てた。エゥダラが金切り声を上げる。
「次は足を一本斬り落とす。両足が終われば両手だ。その次は首を落としてやる。それまでは生かしてやるから苦痛に耐えることだな」
遅すぎる身の危険を感じたエゥダラが、脂汗を垂らしながら叫んだ。
「闘神だ! 闘神を手に入れられれば、我がモーグは決して負けない最強の支族となる! オルムトもフーロウも、すべて我が支族の下に跪くだろう!」
アルシードは黙って聞いていた。
それをどう捉えたのか、エゥダラは卑しげな笑い声を漏らした。
「もっとも、昔から兄者は闘神にご執心だったからな。あの美しさときたら! 貴様はもう堪能したのだろう? あの左腕だけは醜いが、まあ仕方あるまい。貴様に寝取られて随分と荒れていたが、永遠に自分の物となれば、兄者の機嫌も上々。モーグも我が手によって最高の繁栄がもたらされる。今頃は蹂躙したオルムトの貴様のエパーヤで……」
下卑た声だけを残し、男の首が飛んだ。
剣についた血を払い、アルシードは立ち上がる。
火の双子は嫌悪の表情を露わにして控えていた。
戦場の只中であるはずなのに、辺りは静まりかえっていた。怒れる戦神の矛先がどこに向かうのか、自分たちの指導者を失ったモーグの戦士たちは戦々恐々として動けない。
その間にも、モーグとオルムトの戦士たちの衝突地帯では、オルムトの勢いに抗しきれず、後ろからの指揮もなく、モーグは不利な状況へと転じつつある。
「モーグの戦士たちに告ぐ」
アルシードの声が戦場に通った。
「貴様らの首をすべて落としてやりたい所だが、無駄な労力を費やす気はない。今は生き延びて後で殺されるか、この場で殺されるか、好きに決めろ。貴様らの将は死に、モーグの長も直に死ぬ。この戦い、貴様らの負けだ」
モーグの戦士たちは脇目も振らず逃げ出した。
アルシードは戦士たちを半分に分け、片方をモーグの追い打ちに向かわせ、もう片方を率いてオルムトに引き返した。
全員馬には乗らず、全速力である。
アルシードは群を抜いて独走していた。
モーグの奇襲を迎え撃った中に風の双子もいると聞いた火の双子も、アルシードの速さに続く。
戦士たちの中には三人に付いていけず、次第に隊が長く途切れ途切れになったが、アルシードは足を緩めなかった。むしろ、さらに速度を上げる。
勝利の狼煙を上げた後、時折上る村からの狼煙を頼りに、奇襲隊と戦闘のあった所へ急ぐ。
オルムトの村がある崖の下を北から南に回り込み、川の流れる谷間に驚異的な速さで辿り着いた。
初めに見えたのは、大勢のルマナの戦士の屍。生きている者を探すのも難しいほど、死体が転がっている。オルムトの戦士もあるが、その多くはモーグの戦士の死体だった。
人が立っているのは二カ所。
生き残ったモーグの戦士たちが剣を突きつけ囲む中で、風の双子が泣き叫び、暴れている。それをアルジャーとシャムシー、他の戦士たちが必死に止めていた。血に染まっていない者は一人もいない。
もう一つは、川の向こうにある大岩の陰。
大岩を背に預けてシャンテが立っていた。激しい戦闘で結っていた髪は解け、白い髪も銀色の耳と尾も、全身が血の色に濡れていた。
剣を握る右腕を、エゥモウが掴んでいる。この凄惨な場で、たった今来たかのように足下以外に汚れがない。いつかオルムトに現れた時のように金で己の体を包み、剣を握ったこともない贅肉だけの手で、シャンテの細い腕を掴んでいる。
シャンテがその首に食らいつく。顔を歪めてエゥモウがシャンテを突き飛ばした。体を大岩に打ち付け、シャンテが力なく崩れかける。
風の双子の悲鳴が響いた。
アルシードの中で理性が切れた。
死体の中を疾走する。
再びシャンテに伸ばしたエゥモウの腕を、怒り任せに斬り飛ばした。悲鳴を上げようと口を開けた顔も胴体から飛ぶ。
もう片方には、火の双子を筆頭として、オルムトの戦士たちが襲いかかっていた。
拘束が解けても、シャンテは動かなかった。
「シャンテ……」
血の付いた白い髪の隙間から、のろりと視線が持ち上がる。嵐のような瞳が、生気を失い霞んでいた。焦点が定まらず、声のした方へ顔を向けただけのような反応だった。
「……アルシード、か?」
掠れた声が漏れる。
シャンテの剣が血溜まりに落ちた。
アルシードは息を飲んでそれを見た。
たった一本の腕を伸ばし、シャンテがアルシードの顔に触れた。頬、首、体と順番に、確かめるように触る。その手も動きも力が入らず弱々しい。
「首は……、首は繋がっているか? 足もあるな? 幽霊ではないな?」
やがて、本物であると確信して、シャンテは微かに表情を緩めた。
「よかった……」
呟きを残してシャンテが崩れ落ちる。その直前でアルシードは抱き留めた。
血溜まりの剣を見つめる。
戦士が剣を落とすなど、あってはならないことだ。それをシャンテは手放した。
闘神の象徴、戦士の命である剣が、アルシードの安否を確かめる、そのためだけに血溜まりにある。
アルシードは剣を拾い、シャンテを抱き上げた。
戦場跡には族長に遅れて到着したオルムトの戦士たちが集まりつつある。少し離れた所で、解放された仲間たちが集まり、ラウラとルルウが夫に支えられながら泣いていた。
モーグの奇襲は失敗し、オルムトの勝利に終わった。




