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 シャンテに強烈な釘を刺されてから、火の双子は目に見えて変わった。

 ラウラとルルウをからかうことが少なくなり、甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 これには風の双子も「なんだか気持ち悪い」と表したものの、まんざらではないようで、仲睦まじい夫婦生活を築いているようだった。

 火の双子との決闘は、またもやシャンテの勝手で取った行動であったが、予想に反して、アルシードは一言も触れなかった。

 決闘の後、火の双子がシャンテを見る度にびくりと尻尾を震わせるのは余談だ。やり過ぎたかと思ったが、シャンテの脅しが効いているのならばよし、と開き直っている。

 オルムトでの生活は、多少の騒動はありつつも、穏やかに過ぎていった。


 シャンテがオルムトに来てから一ヶ月と半月が立った頃。

 アルシードの集落に早馬が駆け込んだ。

 その時、シャンテは風の双子と共に川にいた。


 集落の傍を流れる川は、オルムトの女たちの洗濯場だ。シャンテにはできないので、いつも傍についているだけだ。彼女たちの洗濯の様子を眺めつつ、異常がないか見張りのつもりだ。

 洗濯に明確な決まりはないが、川上に年配の女たち、中程に結婚した女たち、川下に未婚の女たちが固まっていて、洗濯に精を出しつつも井戸端会議に余念が無い。

 シャンテと風の双子は、既婚であってもまだまだ新参者ということで、川下の集団に混じっていた。

 ラウラとルルウの馴染む力は卓越している。シャンテは姿を現すだけで怯えられたり遠巻きにされたりしているが、二人はあっという間に彼女たちに溶け込んで、一緒に話に花を咲かせている。

 二人と一緒にいることで、最近になってようやく、シャンテのことも警戒されなくなってきた。

 昼前、風の双子はオルムトの女たちや、大祭を終えて足の怪我も治ったエフィアと楽しげにお喋りをしていた。

「えーーー?!」

「本当に?!」

 ラウラとルルウが興奮気味に叫んでいる。

「姫様聞きました?!」

「エフィアが! 告白されたのです!」

 エフィアがこっそり二人に耳打ちしていたのは見えていたが、二人のせいで内緒話は泡と消えた。「ふ、二人とも!」とエフィアが赤面する。

 噂話には無駄に耳のよい女たちは、一斉に聞きつけてエフィアへ群がった。

「誰々?!」

「いつの間に?!」

「お話は受けたの?!」

 一斉に繰り出される質問の数々に、普段から大人しいエフィアは押され気味だ。

 こういう話が盛り上がるのは、フーロウでもおなじみの光景だ。もっとも、シャンテは鍛錬ばかりしていてそういった場には行かなかったから、風の双子から聞いた限りの話ではあるが。


 エフィアに告白したのは、アルジャーの孫のシャムシーだった。

 聞けば、大祭の日、ご神体のある草原の見回りをしていたシャムシーが、痛めた足が悪化して動けずにいたエフィアを見つけ、エパーヤまで運んで励ましてくれたのだという。

 十歳近くの年の差があるが、シャムシーなら誠実で純朴な人柄だ。きっと良い夫婦になるだろう。

 告白を受け入れたというエフィアに、シャンテは心からの賛辞を送った。

「おめでとう、エフィア」

「ありがとうございます、シャンテ様」

 恥ずかしそうにしながらも、エフィアは幸せそうだ。

 これを皮切りに、誰それが告白した、とか、もうすぐうちの娘も結婚相手を見つけないと、という話が咲き出した。違う集落の男女関係まで網羅しているから、噂好きの女たちの情報力は恐ろしい。

 「今が恋の季節だねえ」とは、とある年配のご婦人の言だ。

 どうやらオルムトでは、長の結婚を機に、若い男女が盛り上がっているそうな。


(恋、か……)

 果たして、シャンテとアルシードの結婚は、オルムトの人々にどう見られているのか。

 フーロウとオルムトの和平の証である、ということは誰もが知っているはずだ。二人の結婚は恋愛によるものではない、ということも事実であった。

 しかし先日、シャンテは風の双子に告白してしまった。「アルシードを好いているかもしれない」と。結婚した後に、好きだと自覚してしまうことは、あってもよいことなのだろうか。

(だとしても、報われることはないな)

 アルシードは和平のためにシャンテと結婚したのだ。そしてそれを持ちかけたのは兄ムート。

 少なくとも、闘神という存在に価値は持ってくれているだろう。

 だがきっと、それだけだ。

 だからこそ、シャンテは闘神の姿を見せ続けなければならない。アルシードにとっての価値はそれだけなのだろうから。


 物思いに沈むシャンテの視界に、疾走する角英馬が見えた。その上にオルムトの戦士が乗っている。それだけならよくあることだが、戦士の表情が緊迫している。馬の速度も、ただの早駆けにしては切羽詰まっている。

 もうすぐ洗濯が終わりそうな風の双子を残して、シャンテは一足先に村に戻った。


 長のマグ・エパーヤの前にはすでに人だかりができている。

「何があったんだ?」

 そのうちの一人に話しかけると、シャンテに気づいた村人が「モーグ支族が攻めてきたそうです」と教えてくれた。マグ・エパーヤから戦士たちが慌ただしく飛び出していく。

 シャンテはマグ・エパーヤに入った。ちょうどアルシードが指示を飛ばしていた。頃合いを見計らって話しかける。

「モーグ支族か」

「そうだ」

「数は」

「千」

「戦力のほとんどじゃないか。本腰だな」

 モーグがそれだけの戦力を出したことは今までなかった。オルムトと本気で戦うつもりなのだ。

 アルシードは鼻を鳴らした。

「どうせくだらん嫌がらせでも思いついたんだろう」

 モーグ支族といえば、長のエゥモウが思い出される。

 シャンテとアルシードの婚礼の最後に突然現れ、その弟のエゥダラによって二人の結婚を貶された記憶が新しい。


 戦士の数はフーロウやオルムトよりも多いが、練度においては劣っている。それなのに、なかなか負けないのは、その独特の戦い方にあった。

 卑怯を恥じ、正々堂々を旨とするルマナ族だが、作戦を考え、奇襲を仕掛けることもすれば、罠を張ることもある。モーグ支族の真骨頂は罠にあった。

 戦場となる場所にあらかじめ陣取り、地面と言わず頭上と言わず、罠をあちこちに仕掛ける。いくら挑発しても決して自陣からです、ひたすら敵が罠に嵌まって消耗していくのを待つ。勝機と判断した時、ようやく戦士たちが出で来て、罠に嵌まって身動きの取れない戦士たちを襲う。

 モーグ支族の集落にしても、常日頃から幾重にも罠が張り巡らされ、案内役なくして近づくことすらままならない。

 用心深さと忍耐力にかけては、アミルタ高原一のルマナ族であった。特に、今代の長になってからそれは顕著で、他の支族から罵られてもその姿勢を貫き通している。

 シャンテも何度か経験がある。身動きが取れないとみるや、一斉にモーグの戦士たちが襲いかかってくるのだ。一人で罠から抜けられず、兄の知恵と仲間がいなければ、苦しい状況に陥ったこともあった。

 モーグと戦う時、ムートは必ず罠の探索と撤去から始めていた。とにかく時間のかかる戦いであった。精神的に疲れるため、単純に千の敵と戦った方がまだましだと思ったことも少なくない。

 逆に言うと、奇襲や迅速な行動というものはまずない。だから、アルシードも、気を引き締めてはいても慌ててはいなかった。


「いつ出る」

「各集落にも早馬が出ている。昼過ぎには」

 そう言ってから、アルシードがシャンテを見た。

「おまえは残れ」

 シャンテはアルシードの金の瞳を見た。

 シャンテは戦いがあれば共に行く覚悟を決めていた。オルムトのために戦うと、オルムトの守り神にも誓っていた。今回、当然そのつもりだった。

 それなのに、闘神を戦いに連れて行かないとアルシードは言う。

 自分でも思わぬほど動揺しながら、表面上は平静を保って問う。

「理由は」

「オルムトには俺がいる。この戦神がな。闘神の手などいらん」

 アルシードの声も態度も素っ気ないほどに冷たい。

 シャンテは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「……そうか。それがおまえの判断ならば、従おう」

 一瞬アルシードは歯軋りをしたが、すぐに背を向けて奥に行ってしまった。


 倉皇しているうちに、洗濯を終えたラウラとルルウも戻ってきた。

「姫様、戦ですね?!」

「姫様、出陣ですね?!」

 洗ったまま干さずに持ってきた洗濯物を放り出す勢いの二人を、シャンテは止めた。

「私たちは留守番だ」

「そんな!」

「姫様がいらっしゃるのにですか?!」

 二人は納得ができないと憤慨した。

 シャンテはそれを苦笑して宥める。

「アルシードの考えだ。長がそう決めたのなら、私たちはそれに従うまで。私たちの役目は、手薄になるこの村を守ることだ。それより二人とも、カルシェンとクムシェンも出陣する。行ってやりなさい」

「はい!」

 洗濯物を抱えたまま、二人は走って行ってしまった。


 エパーヤの中も外も、男も女も戦士もそうでない者も、皆慌ただしく戦の準備に追われている。

 それらを見るともなしに眺めるシャンテは、喧噪から一人取り残されている気がした。

「私は何のためにここにいるんだろうな……」

 フーロウにいた頃、戦いに参加しなかったのはクムトアを名乗る前と、左腕を失って回復するまでの間だけだった。その時でさえ、これほどの寂寥感を味わったことはない。

 いくら考えても仕方がない。オルムトの戦いにおいて、アルシードの判断に口を出すことは、してはならないこと。今回は村を守るのが役目だと自らに言い聞かせ、シャンテは無理矢理気持ちを切り替えた。

 アミルタ高原のルマナ族は戦い慣れている。奇襲であっても行動は迅速で、他の集落の戦士たちもすぐに合流し、二時間とかからないうちに準備を整えて村を出て行った。


「おまえがいない間、村の防衛に私も加わろう。それくらいはいいだろう?」

 戦士たちが出る直前、シャンテは馬に乗ったアルシードに近づいて許しを求めた。

「構わん」

「アミルタとユグエンの風と武運を」

 オルムトに来て初めての戦を、シャンテは短い言葉で見送った。


 オルムトの戦力は、集落すべて合わせれば一千近くになる。これだけの戦士が出てしまうと、村に残る戦力は百程度。他の集落はそれ以下だろう。

 村の手薄を承知でこれだけの規模にしたのは、長の婚礼に泥を塗ったモーグと、勝敗をはっきりつけるためだろう。数が五分であれば、アルシードが率いるオルムトが負けるはずがない。

 アルシードたちが出陣した後、シャンテは村の防衛を任されているシャムシーに会いに行った。

「アルシードがいない間、シャムシー殿がオルムトの代表になるのですか?」

「祖父アルジャーです。オルムトの決定権と戦士の統括を一時的に一任されています」

「アルジャー殿は今どこにおられるのでしょうか」

「おそらく長のマグ・エパーヤにいると思いますよ」

「そうか、ありがとう」

 老戦士は、シャンテも防衛に参加するという申し出を聞くと「ありがてえ」と豪快に受け入れてくれた。

「人手はあっても足りねえことはない。闘神殿なら腕も折り紙付きだしな」

「オルムトのために戦う所存です。なんでも仰ってください」

「まあまだそう意気込まんでいい。そうさな。それじゃ、見回りでも頼むか。こういう時はいつもの倍、周辺の警戒を行うんだが、何せ長がいつも以上に戦士を連れて行っちまったからな」

「わかりました」

 シャンテはエパーヤを出た。風の双子もやってくる。

「姫様!」

「お供いたします!」


 三人は馬に乗って村を出た。角英馬はフーロウから共に来た三人の馬だ。世話はオルムトの者に任せてあったが、しっかりやってくれていた。

 向かったのは、オルムトの祭壇がある草原だ。

 大祭まではエパーヤが立っていたが、今は何もない。巨木と石の舞台があるだけだ。

 舞台の前で馬を下り、シャンテは土の上に膝をついた。ラウラとルルウもそれに倣い、真剣に守り神に祈る。

(戦が無事に終わりますように)

 初陣を迎えて以来、ずっと戦ってきた。出られなかった時は左腕の治療と片腕になれるので必死で、戦の心配などしたことはなかった。何より、兄ムートが負けることなど微塵も考えなかった。

 アルシードの強さはシャンテも知っている。

 それでも、シャンテの胸中はもどかしさでいっぱいだった。共に戦場に行けない焦り、不安。何よりアルシードに不要と言い渡された時の愕然とした感情は、今も胸の大半を占めている。

 確かに、今の闘神には、かつての双剣の強さはない。しかし片腕でも、十分に戦える。それなのに拒絶されてしまった。やはり、双剣を持てない闘神は、その価値すらないのだろうか。オルムトのために戦う気持ちを、信用してもらえていないのだろうか。

 巨木が揺れて、軋むようにざわめく。

 大祭の時には爽快な風鳴りだったが、今は心の不安をかきむしるような音に聞こえた。強い風が吹き付けているはずなのに、シャンテの元に届くのは弱々しいそよ風。


『オルムトの守り神ユグエンは迷う者を嫌う。己の意思を貫く者にのみ、風の加護を与える』


 大祭の時、迷うシャンテに、アルシードが言った言葉だ。

 その時に久しぶりにシャンテが思い出したのは、フーロウの守り神の掟だ。


(守るべきもののために強くあれ)


 家族のため、フーロウのため、守るべきもののために、強靭な精神をもて。長い年月風雨にさらされてなお、密やかにして厳かに鎮座する巌の如く。己の力のある限りに守り抜け。

 そよ風を胸一杯に吸い込む。

(迷いは剣を鈍らせる。オルムトの守り神も、風を与えてはくれない)

 守り神の風がシャンテたちの脇を吹き抜け、草原を叩いて空遠く流れていく。

 祈りを終えて、三人は再び見回りに戻った。


「姫様、向こうは崖でしたよね」

「姫様、戦が見えるかもしれませんよ」

 二人は落ち着かない。「カル様いるかな」「クム様いるかな」とそわそわしている。シャンテは崖の傍まで近づいた。

「残念だが、ここからだと反対方向だろうな。それに、まだ戦場に着いてもいないだろう」

 崖の下はなだらかな丘陵と森が続き、その向こうに急峻な山々が連なっている。雪解け水と麗らかな陽気が余すことなく草木を豊かに生い茂らせ、ルマナや動物たちを生かしている。その景色の中に、野生の生物は見えても、オルムトの戦士たちもモーグの戦士たちも見当たらない。


 遙か遠くにそびえる山々の先に、ルマナ族の生まれた地。ルフィメア半島がある。

 アミルタのルマナ族は、誰一人山脈の向こうへ行ったことがない。交流があったのは大昔。今は途絶えてしまっている。それでも、そこはアミルタ高原のルマナ族にとって、そこは太陽と草原の民、ルマナの王が座す地。守るべき聖地だ。

 かつてはシェン族の侵攻を阻むためにルフィメア半島から移り住んだ地だが、いつからか支族の武勇を競って、支族同士でも戦うようになっていた。それがアミルタ高原のルマナ族にとって当たり前の日常であった。

 それを、ムートは和睦という形で終わりを告げさせた。

 今のシャンテにできるのは、ムートが築き上げた和睦を守ること、そしてオルムトを守ることだけだ。

 崖沿いに草原の終わりまで馬を進ませ、その先の山をぐるりと巡回して、三人は村へ帰った。


 その日の夕方、狼煙によって戦況が伝えられた。

 予想通り、モーグは戦場となった地に罠を数多仕掛け、膠着状態になったようだ。しかも、今まで戦場には出てきたことのないモーグの長エゥモウの姿を確認したという。

 用意周到な罠のため、戦の決着は早くても三日。しかし特に苦戦しているという報告はなく、シャンテはひとまず胸をなで下ろした。

 夜はいつもより多く篝火がたかれ、夜通しの見張りも数を増やして行われた。

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