双子の結婚、その結末
前日にどれほど飲み明かし騒いでも、翌日には復活している。それがオルムトの酒飲みたちの性質だ。いつ何時敵が攻めてくるかわからないという長年の緊張感が、酔いを残さないのだろう。
昨日千鳥足で帰って行った戦士たちは、二日酔いもせずに日課の訓練に精を出した。
アルシードや火の双子、現役を退いた老戦士たちもその習性は同じで、朝早くから三十余人の男たちが、長のマグ・エパーヤに集まって会議をしていた。
そこへ、シャンテが一人でやってきた。
その顔を見て、アルシードは昨日の穏やかな姿が幻だったのではないかと疑ってしまった。
誰が見てもわかるほど、シャンテは怒っていた。
「話がある」
怒りを隠しもせず、シャンテは冷たい声で言った。
「後にしろ」
「おまえではない。おまえの後ろで暢気な顔をしている阿呆二人だ」
アルシードは思わず後ろを睨んだ。
いつもの通り控えていたカルシェンとクムシェンが、若干慌てて首を振っている。「何をした?!」「何もしてない!」と、視線だけで短いやりとりを済ませ、シャンテに向き直る。
「話とは何だ」
「聞いていなかったのか? おまえに用はない。後ろの二人を出せ」
「用件を聞かねば貸しようがないな」
シャンテは苛立たしげに愛剣の柄を握った。
「一騎打ちをさせろ」
「なんだと?」
アルシードは目をむいた。マグ・エパーヤにいた戦士たちもだ。
「ラウラとルルウは私の妹も同然。それを、そこの二人は結婚したその夜に泣かせた。このままでは妹たちを任せるに足る男とは到底認められない。よって、本当にラウラとルルウと添い遂げるつもりならば、私と戦って勝て」
馬鹿なことを、とアルシードは思った。
ルマナ族の一騎打ちは、文字通り命を賭ける。
そもそも、意義があるのならば婚礼前に言うべきことだ。今更言っていいことではない。
だが生憎、シャンテは大真面目だった。火の双子を睨み続ける。
「あ」
と、カルシェンとクムシェンが同時に声を上げた。
訳は少し前に遡る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
朝、アルシードがルィ・エパーヤから出て行くと、それを見計らって、ラウラとルルウが飛び込んできた。二人とも身支度はきちんと済ませている。
シャンテも服は自分で着ていたので、後は二人に髪を結ってもらうだけだ。
ところが、いつも元気にやってくる二人が、飛び込んできた瞬間から目に涙をためていた。
「どうしたんだ?!」
「姫様~~~~~!!」
ラウラとルルウは勢いよくシャンテに抱きついた。片手で支えきれずに床に倒れ込んでしまった。
何も言わずに子供のようにおいおいと泣くこと数分。ようやく泣き収まってきた二人は、それでも涙目のままシャンテの髪を結い始めた。てきぱきと手際よくやりながらも、今度は怒り口調で喋り出す。
「ひどいんですよ姫様!」
「聞いてください姫様!」
「うん、どうしたんだ?」
「カルシェンが!」
「クムシェンが!」
「ひどいんです!」
ここからの話はとても長かった。なにせ二人は交互に話をする。
話を要約すると、昨夜、二人は一計を案じたのだという。
覚悟を決めて受け入れたとはいえ、すべて納得しきっていたわけではなかった二人は、最後の最後に、火の双子を試すことにした。
初夜を迎えるに当たって、事前にラウラはシャンテとアルシードのルィ・エパーヤの右、ルルウは左のルィ・エパーヤで待つと火の双子に告げた。ところが、実際には入れ替わって待っていたのだ。二人は髪を下ろせば瓜二つ。カルシェンとクムシェンが、本当にラウラとルルウを見分けているのか、これで確かめようとしたのだ。
これを聞いて、シャンテは呆れてしまった。
「少し意地が悪いんじゃないか? それを言ってしまうなら、火の双子の髪型が入れ替わっていたら、二人はわかるのか?」
「わかりますよ!」
「え、わかるかな?」
「え、わかんないかな?」
「わかんないかも……」
断言したラウラに対して、ルルウは少し自信なさそうに返した。そうすると、ラウラにも不安が伝わって、二人して情けない顔になる。
シャンテは益々呆れてしまったが、話の続きを聞くべく「それで?」と促した。
気を取り直した双子が話を続ける。
「待っていたら、クムシェンが入って来たんです、たぶん」
「待っていたら、カルシェンが入って来たんです、たぶん」
シャンテはあえて「たぶん?」とは突っ込まなかった。それではまた話が止まってしまう。黙って聞く。
「それで、その……、一夜を共にしたのです」
「でも朝起きたら!」
「あの二人はとんでもないことを言ったのです!」
不安から一転、二人は憤慨して声を揃えた。
二人がそれぞれのルィ・エパーヤで身支度を調え、髪を縛っていた時のことだ。先に出た火の双子は、外で互いの顔を見て、同時に言った。
「あれ。部屋を間違えた」
シャンテは額に手を当てた。
「つまり? 試すつもりが無効も互いに入れ違っていて、結局元通りと言うことか?」
「本当にひどいですよね! 私たち、あまりのことにしばらく意識が吹っ飛びました!」
「もっとひどいのは、間違いに気づいたのが、私たちの顔を見てからじゃないってことです!」
「しかも二言目が『まあいいか』ですよ?!」
「信じられませんよね!」
「まったくもってよくないな。だが、二人は本当に入れ違っていたとしたらどうしたんだ? 二人とも、逆でもよかったのか。それとも結婚を破棄したのか?」
そう聞くと、ラウラとルルウは互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「どっちでも」
「いいよねぇ?」
「それならお互い様じゃないか」
結婚した相手を間違えて「まあいいか」で済ます火の双子も、入れ違っていたとしても問題ないとする風の双子も、シャンテには理解できないが、双子ならではの考え方もあるのだろう。
「それで、二人が怒っていたのは、火の双子が入れ違いに気づかなかったことか?」
「違います!」
「まあいいかと言った後に、そのまま出て行ってしまったんです!」
「そ、そうか……」
シャンテはもう頷くしかない。
「それで、二人は火の双子がもう嫌になったのか?」
風の双子は少し考えてから言った。
「嫌では」
「ないですね」
「では、このままでいいのか?」
念を押すと、ラウラとルルウははっきりと「はい」と返事をした。覚悟を決めた、と言った言葉は、嘘ではないのだ。ラウラはカルシェン、ルルウはクムシェン。共に添い遂げる意思は変わらない。
髪を結ってもらうと、シャンテは二人に向き合った。
「それでは二人とも、よく聞きなさい。二人は妻となり夫を持つ身となった。これからは第一に夫に尽くしなさい。朝の支度も今までのように早く来なくていい。夜も私一人で大丈夫だから」
「でも姫様!」
「私たちは姫様の付き人です!」
「それはもちろんだ。だが立場が変われば優先すべきことも変わる。二人とも、それはわかるな?」
ラウラとルルウは唇を尖らせながら頷いた。
シャンテの身支度も終わると、風の双子は朝の仕事のために外に出て行った。
「さて……」
シャンテは愛剣をなでて呟いた。
双子には「どっちもどっち」と言ったものの、シャンテはシャンテできっちりつけねばならないけじめがある。久方ぶりに戦場へ赴く気持ちを奮い起こして、マグ・エパーヤへ足を向けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
心当たりを思い出したカルシェンとクムシェンは、「あ」と声を上げた。
「やはり何かしたのか!」と血相を変えるアルシードに、カルシェンが「酔ってて入る部屋を間違えた」と悪びれもせずに答える。
それが聞こえた戦士たちは揃ってため息をついた。
「よりにもよって! だから念を押しただろうが!」
「やっちゃったものは仕方がない」
とはクムシェンの言。
二人とも終わってしまったことと開き直っている。楽観的なのか悪気を感じていないだけなのか。アルシードですら頭を抱えたくなった。戦士たちも「その言い方はまずいだろうよ」と渋面しきりだ。
「ではなんだ? 結婚相手を間違えて一夜を共にしてしまったと?」
それではシャンテが激怒するのも仕方がない。と、思っていたのだが。
「それについては問題ない。ラウラとルルウは火の双子を試すため、互いに入れ替わっていた」
火の双子がぴたりと固まった。アルシードは開いた口がふさがらなかった。オルムトの戦士たちも耳を疑った。
ゆっくりとこめかみに手をついて、アルシードは唸った。
「……つまり? どちらも入れ替わっていて結局元通り、と?」
「そうなるな」
「何をやっているんだ、おまえの従者は!」
「おまえの護衛もな。だがもし本当に入れ替わっていたとしても、ラウラとルルウは覚悟の上の行為だったから、その点については何も言わない。私が問題視しているのは、おまえの護衛の性根だ」
シャンテは語気鋭く言う。その目は火の双子の表情の変化一つも見逃しはしない。
「酔っていたために部屋を間違えて一夜を共にした、と言ったな。そして二人の入れ違いに気づきもせず、二人に何を言うでもなく、そのまま部屋を出て行った」
シャンテが一言一言かみしめるように言う度に、火の双子の耳と尾がビリリと逆立つ。顔も蒼白だ。
「私はラウラとルルウの保護役だ。そんな不誠実で軽薄軽率極まりない男どもに、私の大事な妹たちを任せるわけにはいかない。もし、そうではないと、おまえたちが二人を妻にと願った思いが本物だと言い切れるのならば、今ここで私に示せ」
シャンテは愛剣を抜いた。
激高しているはずなのに、口調は至って冷静。返ってそれが、シャンテが本気であることをひしひしと感じさせた。
返事に窮したアルシードの後ろから、カルシェンとクムシェンが前に出た。表情は死地へ赴く戦士のそれだ。雷鳴轟く嵐のような目の白い闘神の殺気に、二人とも顔を強張らせていたが、それでも退くことはしない。
面白い、と膝を打ったのは、脇で成り行きを見ていた老戦士アルジャーだ。
「戦士なら好いた女くらい己の剣で奪え。それくらいの気概を見せなきゃ男じゃねえ」
「アルジャー! 自分がそうだからと孫にまで押しつけるな!」
半分野次馬、半分血気盛んを混ぜて囃し立てる老戦士に、アルシードは苦言を呈した。しかしそれで引っ込む人物ではない。「何も殺すまでやろうって話じゃねえだろう」と返す。
「ようは馬鹿ども二人の男気が見てえってこったろ?」
アルジャーを見て、シャンテが軽く目を見張っている。口の悪い老戦士を見たのはこれが初めてなのだろう。
アルジャーに「そうだな?」と確かめられて、「その通りです」と頷いた。他の戦士たちもマグ・エパーヤの端に移動して、反対するどころか見物の構えである。
「長。許可を」
「これは俺たちのけじめ」
カルシェンとクムシェンも臨戦態勢だ。
これはもう、自分一人が異を唱えても収まる話ではない。アルシードは諦めて「よかろう」と応えた。
「決闘を認める。ただし、命の取り合いはなしだ。まずはカルシェン……」
「二人同時に来い」
シャンテがアルシードの言葉を遮った。
「二対一は認められない」
「ではこれは決闘ではない。試合だ。それとも、腕一本の闘神を倒すせっかくの機会を棒に振るか?」
後半は火の双子に向けられた。
暗に、一対一なら闘神には勝てないし、ましてや腕を失う前なら二人がかりでも勝てはしない、と挑発したのだ。
たとえ双方の実力を承知していたとしても、ここまで侮辱されて退く戦士はいない。
火の双子は表情を変えて同時に前に進んだ。十分に間合いを確保しながら、シャンテを挟むように立ち位置を取る。
その間、シャンテは一歩も動かない。
「馬鹿が……」と苦虫を噛み潰したような顔のアルシードも、それ以上は言わず、壁際まで退いて両者を見守る。
最初に仕掛けたのはシャンテだった。
正面にいたカルシェンに無造作に肉薄する。たったの一蹴りで距離を詰め、水平に突き出した剣は正確にカルシェンの顔を狙っていた。
あまりにも速く、少しのぶれもない剣先は、カルシェンの認識では止まっているようにしか見えなかった。
闘神に剣を向けられた。そうとわかった瞬間に、反射的に横に飛び退いていた。
結果、頬の皮膚を斬り裂いて剣とシャンテが通り過ぎる。
切り結ぶ余裕もない。少しでも反応が遅れていたら頭を貫かれていた。これが背後からの攻撃であったならば、確実に死んでいただろう。
大きく姿勢を崩したカルシェンの脇を、クムシェンが追撃した。こちらも、シャンテが動き出した瞬間に後を追っていた。
見えているのはシャンテの背中。
一騎打ちの最中であれば卑怯と罵られる手だが、オルムト最強の戦士アルシードだけが互角に戦える強敵を相手に、正攻法のみで戦うつもりはなかった。シャンテが二対一を提案した意味を、火の双子はそう捉えていた。
シャンテが着地する。ちょうどアルシードの正面だった。一瞬目が合う。と同時に、シャンテは高く跳んでいた。目にも止まらぬ速さ。アルシードの目ですら追うのがやっとだった。マグ・エパーヤの天井を掠めるように後方へ弧を描く。
闘神が生み出した静と動の落差に、クムシェンは標的の姿を見失ってしまった。急停止しようとして蹈鞴を踏む。
今度はカルシェンが構え直していた。シャンテの落下を狙って剣を振り上げる。
対して、シャンテは落下の体勢のまま一撃を繰り出した。
剣と剣がぶつかる。不利な体勢であるはずなのに、シャンテは剣を振り抜いた。力負けしたカルシェンが吹き飛ばされる。
着地から再び、凄まじい瞬発力でシャンテは駆ける。斬り結びや着地の衝撃による停滞など一切ない。
一直線に向かうは、二度目の追撃に入ろうとしていたクムシェン。
回避か迎撃か。
闘神との戦いの中で、あってはならない一瞬の迷いが勝敗を決した。
剣を振ろうとした時には、すでに、シャンテの剣が目前にあった。
「そこまで!!」
アルシードの切迫した声が響いた。
クムシェンの眼前、ほんの鼻先で剣が止まる。まるで氷が滑ったかのような鋭い痛みが鼻の上を走り、血が滴った。
「殺し合いを認めた覚えはないぞ」
「殺してはいない」
険しい表情のアルシードに、剣をしまいながらシャンテは答えた。その顔に汗も紅潮もない。呼吸に乱れもない。まったくの平静である。
それから野次馬一同に一礼する。
「皆様。私事に大変ご迷惑をおかけしました。これにて失礼いたします」
そしてシャンテはマグ・エパーヤを出て行ってしまった。火の双子に声をかけることも一瞥もない。
もっとも、二人ともそれを気にする余裕はなかった。戦っていた時間は、実際には一分もなかった。しかし二人はそうは感じなかっただろう。肩で激しく息を吐き、拭っても拭っても冷や汗が止まらない。
それは、野次馬の面々も似たようなものだった。ここにいたのは、三割ほどが事務方を職とする者で、それ以外の半数以上が戦士であった。だが、その内の半分は現役を引退した老戦士たち。戦場で闘神を見たことがある者は、一割程度だ。
彼らが知っているのは、戦場からもたらされる闘神の噂と、アルシードに嫁いだ白い少女の姿だけだ。
闘神と呼ばれる所以たる戦士としての姿を見たのは今が初めてだったのだ。
シャンテの動きは、ルマナ族としても並外れていた。破格と言ってもいい。
火の双子は強い。アルシードを除いて、オルムトで最も強い二人だ。その二人が足下にすら及ばなかった。
しかも、今のシャンテは隻腕だ。本領は双剣である。今相手にしたのが双剣であったならば、という想像は誰にもできなかった。
戦いの前にシャンテが言ったのは、挑発でもなんでもない。可能性すらもなかった。
「……いやはや。まるで容赦のない御仁だな」
アルジャーが感嘆混じりの声を上げた。
それでようやく、他の者たちも息を吹き返した。
同じルマナとは信じられないほどに圧倒的で、鮮烈でありながら流麗な白い闘神に、誰もが度肝を抜かされていた。
アルシードは無言のまま火の双子を見やった。
シャンテが提示した決闘の勝敗は、「結婚の意思に偽りなければ、火の双子がシャンテに勝つこと」であったはずだ。だがこの場の誰の目にも、実力差は明らかだった。この上、怒れる闘神を追いかけて勝敗を聞く勇気は、誰も持ち合わせていない。
息も満足につけないまま、カルシェンとクムシェンはアルシードに縋った。
「どうしよう、長……」
「俺たち嫌われた?!」
「少なくとも闘神にはな」
珍しく取り乱す火の双子に、アルシードはにべもなく返す。
「実力はさておき、おまえたちがやってはならぬことをしたのは事実だ。おまえたちの誠意は今後欠かさずに示せということだな。手始めに、自分の伴侶に平身低頭謝ってこい。話はそれからだ」
それを聞いて、火の双子はよろよろとしながらも、マグ・エパーヤを飛び出していった。
二人の姿を見送りながら、アルシードはため息を吐く。
闘神は、本気ではあったが、全力ではなかった。
限定的ではあるが、本気の闘神と戦ったのだ。もし手を抜かれていなければ、火の双子は今の短過ぎる戦いの中で、少なくとも二回ずつ殺されていた。
その二つの事実を、アルシードは告げなかった。
今後、風の双子に対して不誠実あれば、その時は確実に殺される。それは火の双子の骨身に十分叩き込まれていたはずであった。




