大祭
大祭当日。
朝から晴天に恵まれ、オルムトの集落はいつになく賑わっていた。
この日ばかりは長のマグ・エパーヤもすべて解放され、大祭のために仕入れられた料理と酒が途切れることなく遇された。
普段は、長のエパーヤに入ることを禁じられている子供たちも、この時だけは許される。
大人に混じっておっかなびっくり長のエパーヤに入り、見たこともない料理や猛獣の毛皮に目を輝かせる。目の前にずらりと並ぶお菓子を頬張りながら、きょろきょろと眺めていた子供たちは、上座を見て耳と尾をぴんと跳ね上がらせた。
子供たちが憧れる、若く強く格好いい長が、漆黒の衣装に身を包み、威風堂々と座している。子供たちには、その姿が雄々しい村の守り神に見えた。子供たちにとって、アルシードはまさに生き神、戦神なのだ。
そして、その戦神の隣に、天女の如く美しい女性がいた。
耳と尾は青みを帯びた艶やかな銀。目は激しい雷と嵐をもたらす曇天のような灰色。髪はアミルタ高原に積もる雪のように純白。白い生地に鮮やかな色の刺繍糸をふんだんに使った衣装。漆黒と金の刺繍の衣装に身を包んだ戦神と並ぶと、対をなす美しい女神だった。
その女神が子供たちを見た。優しく微笑んで手を振っている。
子供たちは耳と尾をびくりと振るわせて、蜘蛛の子を散らすようにエパーヤから飛び出していった。そして大急ぎで家に帰り、「長のエパーヤに天女様がいる!」と叫んで親兄弟に笑われるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シャンテは挙げた手を所在なさそうに下ろした。
「私はオルムトの子供たちに嫌われているのだろうか」
フーロウではよく子供たちと遊んだり稽古をつけてやったりしていたので、逃げられてしまったことには少なからず落ち込んだ。
シャンテの姿を横目で見たアルシードが言った。
「単に驚いただけだろう。婚礼の時もそうだが、剣を持たずにそういう格好をしていれば少しは女らしく見えるものを」
「私は闘神だ。これではいざという時に戦えないだろう」
普段の衣装も、女性らしいかと言われると欠片もないものだという自覚はある。しかしこれだけ厚く着飾ることは、どうしても慣れない。常に動きやすさを第一とするので、抵抗を感じてしまうのだ。
そもそも、敵がこちらの都合を踏まえて襲ってくることはない。そんな時に、動きにくい、着替えにくい衣装を着ていたら、戦いにおいて致命的だ。
着付けの時にそうぼやいたら、風の双子だけでなく、オルムトの女性たちにもため息を吐かれてしまった。
シャンテの衣装は、風の双子とオルムトの女たちが腕によりをかけて縫い上げた力作だった。結局生地は白に収まったものの、それで満足しない彼女たちは、刺繍糸に思う存分力を注いだ。白い衣装なら婚礼衣装を使い回せばいいと口を滑らせたシャンテは、「なんてことを仰るのですか!」と、女たちに盛大に嘆かれた。それ以来、衣装のことで女たちに口出しは決してすまいと誓ったのだった。
アルシードの衣装も色は同じだが、婚礼の時とは別物だ。こちらは大祭の時に必ず着用するものだそうで、去年使ったものの手直しをしただけだという。
本来、夫の衣装の手直しをするのは妻の役目だ、ということは風の双子から聞かされた。だが、隻腕のシャンテには縫ってやることもできない。そもそも幼少期から剣しか握ってこず、針仕事は一切したことがなかった。両腕が健在であっても、一針も縫える自信はない。なので、これはオルムトの女性たちに頼んでやってもらった。
「それにしても、今日はほんとうにすごいな。婚礼の時よりも人が多い」
長の三つのマグ・エパーヤだけではなく、エパーヤの周りにも敷物が用意され、料理と酒が行き来している。
エパーヤを出入りする大人と子供も数え切れない。小声では隣とも話せないくらいの騒々しさだ。
「フーロウはどうか知らんが、オルムトは俺が直接治めるこの村の他にも、いくつかの集落に分かれて暮らしている。俺たちの婚礼の時に来たのは、その代表だけだ。今日はすべてのオルムト支族が集まっている。大祭の間だけでも、この集落は三倍以上の規模に膨れ上がる」
「オルムトの大祭はいつもこうなのか?」
「それもあるが、今回はおまえが原因だ」
「私?」
「オルムト最強の戦神に嫁いだ女がどれほどのものか、見物半分だろう」
「まるで珍獣だな」
「この俺に剣を向けられて唯一生きている闘神がオルムトにいるのだ。戦場でなければ見られない闘神を、命を気にせず見物できるとあっては、誰でも見たくなる者だろう」
その説明で納得した。先ほどから老若男女を問わず、マグ・エパーヤの入り口に来ては、中には入らず覗くだけで去って行く者が大勢いるのだ。しかもその度に、無数の視線を感じる。
彼らはオルムトの戦神に嫁いだ闘神がどんな人物なのか、ずっと気になっていたのだろう。
「おまえを見たことのない者は好き勝手に噂をするからな。実物を見た方が妙な噂も落ち着くだろう」
「それでは期待を裏切ってしまったかな」
「何がだ」
「みな、筋骨隆々とした大男を想像していたのではないか? 自分で言うのも何だが、昔から、闘神という名とこの姿は結び難いらしいから」
話している途中から、何故かアルシードが片手を額に当ててうつむいてしまった。
シャンテは首を傾げて尋ねた。
「具合でも悪くなったのか?」
「……おまえは……」
アルシードの声がくぐもっている。
「おまえの想像によると、俺は男と結婚したことになるな?」
「そ、そういう意味ではない! 気を悪くしたらすまない!」
シャンテは慌てて謝罪した。アルシードの肩が小刻みに揺れている。よく見たら、腹を抱えて笑っていた。
(戦神でもこんな風に笑うのか……)
皮肉な笑みや凶暴な笑みなら何度も見てきたが、純粋に笑っている姿というのは初めて見た。
「他の者に聞こえなかっただけよしとしよう」
しばらく笑いの発作を起こしていたアルシードは、そう言って顔を上げた。もう笑ってはいなかったが、険しい顔つきがほんの少しだけ和らいでいる気がした。
「午後から祭壇に移る。奥に戻って準備をしてこい」
「ああ、わかった」
一人立ち上がり、マグ・エパーヤからルィ・エパーヤに入る。すると、途端に熱気が下がった。それなのに、シャンテの頬の熱はなかなか下がらない。少し酒を飲み過ぎたかなと、頬に手を当てる。
「姫様、どうかなさいました?」
「姫様、お具合でも悪いのですか?」
「な、なんでもない!」
ひょいと現れた風の双子が、慌てるシャンテを不思議そうな顔で見ていた。
「それより、午後の準備をしようか。手伝ってくれ」
双子のルィ・エパーヤに戻りながら、二人は元気よく今日の報告をした。報告と言ってもその半分はアルシードの護衛である火の双子のことだ。
「あやつら、もういいと言っているのにまだ我らに付いてくるのです!」
「あやつら、きっと我らが悪さをすると思って監視をしているのです!」
「さっきも、火の加減を調整しようとしていただけなのに、火かき棒を奪ったのです!」
「さっきも、大急ぎで荷物を運んでいたら、荷を奪って邪魔をしたのです!」
二人は随分と火の双子に立腹しているようだ。
火の双子がラウラとルルウに付いた婚礼式の時、最初の顔合わせでの第一声が、「小さいな。ちゃんと食っているのか」「勝手に動き回るな。目が回る」であったらしい。この時から、二人はアルシードと同様に火の双子を目の敵としていた。
シャンテは苦笑しつつも二人を宥めた。
「まだオルムトの仕来りに慣れていないだろうと、配慮してくれたのだろう。二人とも、そう邪険にすることはないだろうに」
「我らは子供ではありません!」
「我らはとうに一人前です!」
「もうオルムトの皆様にすっかり馴染んでいますよ!」
「この間だって姫様のお話で大いに盛り上がったんですよ!」
シャンテのいない所で、二人は非常に活発に動き回っているらしい。
「あまり、変なことは言わないようにな?」
いったい自分の何を話されているのかは気になったが、二人に釘を刺すに留めた。
「午後から祭壇で巫女たちの舞が披露されるそうですよ」
「エフィアの舞は演目の最後だそうですよ」
「そうか、楽しみだな」
エフィアの懸命な姿勢と美しい舞を思い出した。彼女のことだ。今頃、大舞台の前に、最後の練習をしているのだろうか。
外を歩くのに支障がないように衣装直しをしてマグ・エパーヤに戻ると、料理はそのままに、ほとんどの人が外に出ていた。
「来たか」
入り口にアルシードが立っている。
そばまで行くと、マグ・エパーヤの前に屋根付きの神輿が置かれていた。担ぎ棒が四方に十本あり、四本の柱の上に垂れ飾りの付いた屋根がある。神輿の上に敷物が二つ並んでいるが、今は空席だ。
「祭壇までこれを担いでいくのか?」
「おまえは担がれる方だ。乗れ」
アルシードがひらりと神輿に乗った。
「わ、私も乗るのか?」
「おまえ以外に俺の隣に座る者はおらん」
シャンテはいつになく怯んだ。
フーロウの大祭では神輿はでなかったから、当然乗ったこともない。しかもマグ・エパーヤの周りには、おそらく村中の人々が集まってきていて、シャンテとアルシードに注目しているのだ。
戦場の殺気を受けても涼しげに受け流すシャンテでも、これだけの好奇心からの視線が向けられる中を担がれていくのは、非常に勇気がいる。
ためらうシャンテを見下ろして、アルシードが苛立ちを滲ませていた。
「早くしろ」
「あ、歩いて行ける」
「その間におまえの衣装が汚れる。そんな姿でオルムトの守り神の前に出るつもりか。それともこれに乗る度胸がないのか?」
「そういうわけじゃない!」
反射的に言い返した。
ここで時間をとるわけにはいかないことはわかっている。村人たちは神輿が動くのを待ってから祭壇に向かうのだろう。
なおもためらうシャンテに、アルシードが意地の悪い顔を見せた。
「それとも、俺がここまで抱き上げてやろうか」
「結構だ!」
シャンテは戦神に戦いを挑む覚悟で神輿に飛び乗った。
二人が座ると、待機していた戦士たちが担ぎ棒を肩に乗せる。
持ち上げられる感覚には少し驚いたものの、神輿はゆっくりと進んでいく。意外と乗り心地は悪くない。
闘神と戦神を乗せた神輿を先頭に、祭壇のある草原まで長い行列が続いた。