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花咲く地で① ~闘神~

 ある日、シャンテはアルジャーに「村から離れた所で、一人になれる所はありますか」と尋ねた。アルジャーは渋い顔をした。

「長のご命令で村外への案内は禁じられとるのですが……」

「承知しています。村の近くで構いません。監視をつけていただいても結構です」

「理由をお聞きしても?」

「フーロウを離れてから、剣を握っていません」

 シャンテは愛剣に手を触れた。

 ほんの数日だが、毎日剣を握り続けたシャンテにはひどく長いこと剣を持っていない気がした。


 オルムトには戦士たちのために訓練場が設えられている。単に体を動かしたいだけならそこでも十分事足りる。しかしシャンテには誰もいない場所、誰にも見られない場所が必要だった。

 戦士の魂を持つアルジャーだから、シャンテの気持ちも察しがついたのだろう。思案顔になった。

「そうですな。ないこともありませんが……。この事は長には?」

「いえ。忙しいようなので言っていません。それに、そう時間のかかることではありませんから」

 シャンテの答えに、アルジャーは眉をひそめた。

「なんの伝言もなく姿を消されては、長が心配するでしょう」

「私から和睦を破ることはあり得ません。その心配は杞憂です」

 するとなぜか、アルジャーは深く嘆息した。理由がわからず、シャンテは首を傾げるが、「まずは長の許可を得なさい。それからならば、お連れしましょう」と、言われてしまえば仕方がない。

 シャンテはアルシードの元へ向かった。


 アルシードは戦士たちの訓練場にいた。大事な大祭前であっても戦士の訓練は決して欠かしていないようだ。シャンテが行った時には、戦士たちが一対一で稽古をしていた。


 ルマナ族は爪も牙も持っているが、獣のようにあまり長くはない。敵と戦う時は武器を使う。多くは剣や弓だ。


 爪や牙を使う時。

 それは、己の誇り、ルマナの誇りを証明する時だけだ。


 今の所、戦場で何度危機的状況に陥っても、シャンテはまだ一度も己の爪と牙を使ったことがない。普通の戦士でも一生に一度使うか使わないかというくらい、滅多にあることではない。

 それくらい、ルマナ族にとって己のみに備わった力を行使するということは、特別な意味を持つことなのである。


 シャンテが姿を現すと、戦士たちの動きが乱れた。

 背を向けていたアルシードもシャンテに気がついた。手には木剣を持っている。自ら手解きをしていたようだ。振り返った顔にはすでにしわがある。

「何をしに来た」

「許可を得に」

 まだそれだけしか言っていないのに、アルシードの眉間のしわが、一層深くなる。


 それを見たら、シャンテの心に迷いが生じた。

 オルムトの長の元に嫁いでおきながら一人になりたいと言ったら、オルムトを拒絶しているととられかねない。

 シャンテにはそのつもりはまったくない。しかしここはオルムトだ。フーロウと何度も戦い、その度にシャンテはオルムトの戦士を数え切れないほど斬り、時には命を奪ってきた。シャンテのことを憎く思う者もいるはずだ。

 そんな彼らに対し、我が儘を通せば、なんと思われるだろうか。最悪、シャンテへの憎しみは彼らの長であるアルシードに向かう。

 いや、彼らにしてみれば今度の和睦も闘神の嫁入りも気にくわないはずだ。そしてそれを、アルシードに対しても隠しているだろうか。シャンテの気づかない所で、アルシードは二人の婚姻を非難されていたのかもしれない。

 それなのに、これ以上シャンテが勝手なことをすれば、アルシードの立場が苦しくなるだけではないか。

 そこまで考えて、シャンテは首を振った。


(何を考えているんだ。和睦、それにラウラとルルウの立場の心配こそすれ、アルシードの立場など、考えるだけ無駄ではないか……)


 シャンテがアルシードの立場を慮る必要がどこにある。そんなことをされなくても、アルシードは支族の長として十分に強い力と統率力を持っている。

 なのに、何故自分がそう考えてしまったのか、自分でもわからなくなってしまった。


「言いたいことがあるのならさっさと言え」

 苛立たしげなアルシードの声に、シャンテは我に返った。

 アルシードは目に前にいる。

 シャンテは腹をくくった。もうここまで来てしまったのだ。判断するのはアルシード。これでだめなら、もう諦めるだけだ。

「村の外へ出る許可がほしい。一人で修行がしたい」

「修行ならばここでやれ」

「できれば人のいない所でやりたい。遠くへは行かないし、時間もあまりかけない。案内も監視もアルジャー殿に頼む」

 沈黙したアルシードの眉間のしわがこれ以上ないほどに深くなった。

 気が気でなくなった戦士たちも、稽古の手を止めて長と闘神を見守っている。

 主の後ろに控える火の双子だけは、「おお、妻の我が儘」「狭量な夫の度量が試されてる」と、相変わらず感情が読めない顔で囁き合っている。


 これはだめかな、と思い始めた時、アルシードが木剣を放って寄越した。それを右手で受け止める。見れば、アルシードは顎で訓練場を示した。


「この中にいる戦士たちを全員倒せたら許可をくれてやる」


 唐突な提案だ。意味がわからず目を瞬かせたシャンテだが、すぐに木剣を握り直した。よくわからないが、条件を満たせば許可はくれるらしい。

 訓練場にはたくさんの戦士たちがいたが、訓練場に引かれた四角い線の内側にいる戦士は二十人。他は場外だ。アルシードが言った「この中」というのは、線の中で違いないはずだ。ならば、この二十人を倒せば、村の外に行けるということか。


 シャンテは助走もなく駆け出した。


 一番近い所にいた戦士まで十メートル。一瞬で距離を詰め、木剣を横薙ぎに一閃した。

 泡を食ったのはオルムトの戦士たちだ。ろくに構えることもできず、初めの二人は吹き飛んだ。そのすぐ奥にいた二人も、躱せずに巻き込まれて倒れる。

 一撃で片がついた四人には目もくれず、シャンテはさらに奥の戦士たちへ迫る。一人を斬り、振り抜いた勢いのままもう一人を斬り飛ばす。


 木剣ではあるが、シャンテが振るえば立派な武器だ。多少の加減を込めて打たれた痛みでも相当なもので、倒れた戦士たちは地面に伏せたまま身動きがとれない。しかし、もし全力で木剣を振るえば、この程度ではすまない。骨折だけでなく、下手をすれば肉が切れ、あるいは内臓破裂もしていたはずだ。


 六人が倒れた時点で、残りの戦士たちはようやく状況を理解した。慌てたシャンテに挑みかかる。

 気合いの声を発しながら突進してくる戦士たちを、シャンテは躱し、すれ違う寸の間に木剣を叩き込む。

 数人がかりで飛びかかっても結果は同じだ。シャンテが木剣を振るわずしても、その立ち回りだけで同士討ちに遭い、戦士たちは倒れる。


 さして時間もかからず、二十人の戦士たちは地面に膝をついていた。

 うめき声の上がる中心で、シャンテは木剣をアルシードに放り返す。

「これでいいか」

 息も切らさずにシャンテは言った。

「それだけ動ければ修行もいるまい」

 アルシードは皮肉を込めて返す。

「なんだ。ではくれないのか」

「初めにやると言ったのは俺だ。さっさと行け」

「助かる。できるだけ早く戻る」


 シャンテはアルジャーの所へ戻った。

 闘神のいなくなった訓練場では、シャンテを相手に一合も交えることのできなかった戦士たちがアルシードの怒りを食らい、精根尽きるまで稽古をさせられたのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 アルシードの許可を得たと伝えると、それならばとアルジャーは快諾してくれた。

「ただ、儂はこの後用事がありましてな。申し訳ないが、孫に案内させますが、それでもよろしいか」

「構いません。よろしくお願いいたします」

 そうしてシャンテの前にやってきたのは、アルジャーの孫の一人、シャムシーという青年だった。


 シャムシーは祖父アルジャーと同じ毛色を持った誠実そうな青年だ。どちらかというとシャンテの兄ムートと同じ学者肌に見えるが、オルムトの戦士として一隊を率いる実力の持ち主だった。

 隊長ならば忙しいだろうと思ったのだが、シャムシーは「一隊といっても守備隊で、村に直接攻め込まれたのでもなければ暇なんですよ」と気安く受け負ってくれた。


 アルジャーに代わってシャムシーが案内してくれたのは、オルムトの守り神の祭壇の近くだった。

 祭壇へ行く道の途中、大岩が三つ転がっている辺りで崖下の方へ道を外れ、崖の中腹に走る細道を進む。自然にできた道のようにも見えるが、細いながらもしっかりした足場を見るに、もしかしたら誰かが整備した道なのかもしれない。

 一列になって歩きながら、シャムシーがこんなことを言った。

「いつも従弟たちがお世話になっています」

「従弟、というと?」

「カルとクム……、カルシェンとクムシェンです」

「従兄弟なのですか?! ではあの二人もアルジャー殿の孫なのですか……」

「似てないでしょう? うちの家系は何故かみんな似ないんですよ」

 偉大な戦士としての偉業と風格を持つアルジャー、温厚そうなシャムシー、無表情の火の双子。確かに全く似ていない。

「あんな顔なので誤解されやすいのですが、笑いも怒りもしますし、中身は割と普通なんですよ」

「そうなのですか。私にはさっぱり見分けが付きません」

「身内でも間違えられることがありますよ。完璧にわかるのは長と祖父だけでしょう」


 辿り着いたのは、ご神体と祭壇のある草原の丁度真下辺りだろう。

 細道の終わりに、腰ほどもある大きな岩が突き出しており、それを回り込むと、崖から突き出るように、十メートルほどの小さな空き地に出た。空き地いっぱいに、白や黄色の小さな花が絨毯のように咲き乱れていた。

 シャンテは驚いてシャムシーを見た。

「本当にこんな所を使わせていただいてもいいのですか?」

「ええ。ここは村の者でもほとんど知る人のいない場所です。下からも上からも見えませんから、人目も気にならないでしょう。ただ、一応護衛として僕は近くに待機させてください。闘神であるあなたには不要のものかと思いますが、どうかご理解ください」

「こちらこそ無理を言ってすみません。もう一つお願いがあります。私の修行が終わるまで、こちらは見ないようにしていただけますか?」

「わかりました。異常がない限りは、少し離れた所でお待ちしています」

 シャムシーは嫌な顔一つせず頷いた。


 シャンテは花畑の中に進んだ。

 花畑の隅、崖際に不自然に土が盛られている所があった。近くで見ると、その上に丸い石が立てられている。墓だ。

 シャンテは片膝をついて墓に祈った。


(静かに眠る方。あなたの地を少しだけお借りします。お許しください)


 そばに来たシャムシーがしんみりとした声で言った。

「シャンテ様、ありがとうございます」

「どちらの方のお墓か、聞いてもよいでしょうか」

 きっとこれほど素敵な場所に葬られた人だ。遺族にとって大切な人だったに違いない。

「メアナ様です。長のたった一人の妹君でした」

「アルシードの妹君か……」

「幼い時に流行病で亡くなり、長……、当時はまだ長ではありませんでしたが、長がここに墓を建てたのです。花の好きな子でしたから」

「そうですか。仲のよいご兄妹だったのですね」

「ええ。アルシード様は子供の頃から自分にも他人にも厳しい方でしたが、メアナ様と接する時だけとても優しい兄でした」

「会ってみたかったな。仲良く、なれただろうか……」

「よろしければ、また会いに来てください。メアナ様も喜びます」


 ふいに、兄ムートの顔が思い浮かんだ。


 戦いよりも読書が好きで、伝手を頼ってシェン族の難しい本を買っては読みふけっていた。目つきが悪く頬もこけていて、滅多に笑うことのない兄であったが、私室で本を読んでいる時やシャンテに読み聞かせてくれる時は、穏やかな顔をしていた。

 今まで兄妹喧嘩はしたことがなかったので、仲はよかったはずだ。


(石塔でのあれは、兄妹喧嘩になるのかな……)


 そうだとすると、兄とは喧嘩別れしたことになる。いつもの通りに振る舞えなかったことが、今はほんの少し悔やまれた。


 シャムシーの気配と足音が遠ざかり、視線も消えるのを感じてから、シャンテは花畑の中央に立った。

 深呼吸を繰り返すと、心と体が軽くなったように感じる。吸い込んだ空気は山の冷気と花の香りを含み、全身を包み込む。


 気づけば、剣を抜いていた。抜こうと思ってはいなかった。抜いた感覚もなかった。

 そのままゆっくりと体を動かす。足下の花を一本も散らさず、次第に動きは速くなっていく。体の動きに合わせて剣が舞う。素振りというには鋭く、剣舞というには軽やかに。


 今も崖の上の祭壇で舞の練習をしているであろうエフィアのことを思い出す。

 彼女が全身全霊をかけて大祭に臨むのは、自分たちを助けてくれたオルムトへの恩返しのため。


 シャンテにはオルムトへの恩はない。フーロウとオルムトの和睦のために、己の意思ではなく、敵と婚姻させられた。

 一時的な武力衝突の回避のために、支族間の男女が結婚することは、滅多にあることではないが、珍しいことでもない。そういった場合、嫁いだ先で温かく迎え入れられるとは限らない。シャンテの場合、少なくとも表面上は受け入れられている。


(私は、オルムトのためにこの剣を振るえるのだろうか……)


 闘神の双剣は、兄に捧げた。

 ルマナの誓いは死ぬまで守り続けねばならない。

 今更、別の誰かに、それも敵だった男に捧げられるとは思えなかった。


(それでも、今はアルシードの妻だ)


 兄には二度とフーロウに戻るなと宣告された。シャンテに故郷はない。オルムトで生きていくしかないのだ。


 戦いになれば、オルムトのために剣を振るわねばならない。果たして、その時、シャンテの剣は闘神の剣と呼べるのだろうか。


 混濁する思考を少しずつ斬って削ぎ落とすように、シャンテは無心に剣を振るい続ける。

 いつしか、失われた左腕ともう一降りの愛剣の感触があるような錯覚に陥った。


 その儚い感覚に深く抱かれながら、シャンテは舞い続けた。

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