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序章

 目の前で、蝋燭の火が頼りなく揺らめいていた。


 何ともなしに、それを見続ける。

 その部屋に通されて半時、部屋の装飾を眺めることにも飽きてしまった。限りなく長く感じる間、燭台の前に座ってひたすら蝋燭の火だけを見つめていた。

 ふと、部屋唯一の扉に視線を移す。扉と言っても木製ではない。絨毯のようにふんだんに刺繍が施された垂れ幕だ。

 垂れ幕の隙間に人の手が差し込まれ、蝋燭の火がかき乱れる。


 部屋に、一人の青年が現れた。

 心もとない明かりでも輝くような金の髪。見る者を威圧する鋭い金の目。金毛の中から真っ黒な耳が天に伸び、同じく黒い尾が背後で揺れた。整った顔立ちをしているが、左目の下に、横一本の鋭利な傷跡が走っていた。年は二十代半ばほど。


 オルムト支族の若き長、アルシード。

 何代か前の長がルマナ族王家に連なる姫を娶ったそうで、以来、王家の血筋の証である金色の毛色が受け継がれているという。だが金の目も受け継いで生まれた者はほとんどおらず、その意味でも、支族の者たちから絶大な信頼と忠誠を寄せられている。


 アルシードの金色の目に射抜かれる。

 それを受けて真っ向から睨み上げたが、どうにも落ち着かなかった。合わせただけで気圧されそうなほど意志の強い視線に貫かれたからではない。肌身離さず持ち歩いている愛剣がないせいだ。

 片時も手放したくはなかったのだが、この部屋に入る際、案内の戦士に取り上げられてしまった。いつもなら決して許さないが、ここは自分の村ではない。無理を押し通すことはできなかった。


 アルシードは唇を吊り上げた。まるで、嬉々としてご馳走にかぶりつく肉食獣のようだ。

「さしもの闘神も、寝所では一人の女か」

「勘違いするな」

 侮蔑を含めて言うアルシードを冷ややかに見上げ、殊更敵意を込めて吐き捨てる。

「我がフーロウの長の命を受けたから嫁いでやったまで。ここに剣があればさっさとその首刎ねてやったものを」

「恐ろしい女だな。……そこで火の双子とやり合ったそうだな。目だけで射殺された気がしたと震えていたぞ」

 案内の戦士のことだ。アルシードの護衛をしている、顔も立ち姿もそっくりな双子の青年たちに剣を預けるよう言われた。怒りのままに斬りつけることだけは踏み留まったが、しばらく睨み合いになったのだ。双子の青年も無表情に睨み返してきたので、アルシードの言うように怯えて震えていたようには見えなかった。

「嫁いだのならば、妻としての役目を全うしたらどうだ」

「やりたければやればいい。私はおまえを受け入れない」


 アルシードは垂れ幕から離れ、回り込むように背後に立った。

 跳び離れたい衝動に駆られる。

 右手で足を抑えて耐えるが、無防備な背を取られた居心地の悪さと、戦士として培ってきた命を脅かす危機への焦燥感は膨れ上がる一方だ。


 アルシードはこの状況を楽しんでいるに違いない。見なくてもわかる。どれだけ自分がこの屈辱的な状態に耐えられるか、試しているのだろう。


 それでも、決定的な所には踏み込んでこない。

 互いに根は戦士だ。殺し合ったことも数知れない。長年戦ってきた相手の間合いに無用に入ることは、たとえ夫婦となったとしても、容易に立ち入れるものではない。


 二人の間には、戦場で会い見えた時さながらの緊迫感が張り詰めていた。

「強情だな。俺におまえを寄越したのはおまえの実の兄、フーロウ支族の長だぞ。おまえは戦士が従うべき長に捨てられ、妻が従うべき夫に拾われたのだ。命というのならば、大人しく俺に従え」


 兄の気難しい顔が思い浮かんだ。別れたのは今日のことだというのに、もう随分と会っていないような気がした。

 この婚姻を言い出したのは兄だった。

 オルムト支族との和平のため、実の妹をオルムトの長の妻に差し出した。青天の霹靂だった。自分も、ましてや同族の戦士たちすら、それは知らされていなかった。合意したその場で、「フーロウには二度と戻って来るな」と兄に突き放された。そしてそのままオルムト支族の村に来たのだ。


 嫁入りのための道具は何一つ持たされず。

 長年敵対し、何度も命を懸けて斬り合った男の元に、たった一人置き去りにされて。

 あるのは身一つ、剣二振り。


 それが今日の夕方のこと。

 オルムト支族の村に着くと、先に知らせが行っていたのだろう。突然の族長の婚礼に村人たちが慌ただしく準備をしている最中だった。

 そしてそのまま、誰にも心から祝福されることなく、実感の湧かないままアルシードと婚礼を上げた。


 その時から、自分は嫁ぎに来たのではなく、戦士として来たのだと心に決めていた。

 今この身に許されるのは、心一つと誇り高き名一つ。


 背に垂らした髪が揺れた。

 アルシードが触れたのだ。踏み込んでは来ないと思っていただけに、これには驚いた。

「闘神は闘神か。血にまみれた剣はおまえを人には戻さなかったか」

 それは話しかけたのか独り言か。


 ひとしきり髪を弄ぶと、左肩に触れられた。反射的に右手で跳ね除けたが、唯一抵抗できるその手を掴まれてしまう。

 背後を睨みつける。思ったよりも近くにアルシードの顔があった。

 アルシードの手は大きく、しなやかに見える反面、固い皮に覆われていた。剣を握る戦士の手だ。

 右腕を捕らえられたまま、対の手が左肩からゆっくりと腕の方へ伸ばされる。素肌を晒している腕に触れた手は冷たい。


 撫で下ろされていく途中、手が止まった。

 止めたのではなく、それ以上辿れなかったのだ。


 頭の後ろで、アルシードは鼻を鳴らした。息が微かに髪にかかる。

「闘神と戦神の婚礼か。喜ぶ阿呆が半分。気に食わない阿呆が半分、と言ったところか」

「……兄上の提案を受け入れたのはおまえだ」

「だからこうして、おまえを俺の寝所に呼んでやった。それとも、俺と寝るのが嫌なら今までのように殺し合うか? 双剣の闘神と焔の戦神。どちらが上か、気にする連中も多かろう」

 その割に、物言いはひどく投げやりだ。殺気も全く感じられない。

 戦場で見える時は、戦意を滾らせ、荒れ狂う炎のように剛強な剣を繰り出してくるのが、アルシードという男だった。

 それが今は、積もった灰の中で火が燻っているかのようだ。


 戦場とはかけ離れた様子に戸惑いながら、一人の戦士として言い返した。

「……おまえは、それでは満足しないだろう」

「その腕ではな」


 アルシードは隻腕から手を離し、乾いた声で囁いた。

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