逃走と追っ手
茶色の鎧で統率された騎馬武者が、安土の方角から駆けつけ、お市達がいた家を取り囲む。
「中を探索せよ。見つけ次第、こちらにお連れせよ。丁重にな・・・傷つける事は許さん、いけ」
「「「御意!」」」
三佐の階級章を付けた片目の男が、馬に跨ったまま、入口に馬を止め、指示を出す。
指示を受けた男達が、三人で一組となり、家の中や敷地に向かっていく。
すると京の方角から、違う部隊が駆けて来て、部隊を率いていた男が、三佐の男に並び、声をかける。
「十兵衛、少し性急すぎではあるまいか?もしも、あのお方であれば、この数では抑えきれまい」
「大助か、仕方あるまい。あの波動と現象・・・十中八九、当たりだ。増援を要求すれば、時間を取られ、逃げられる」
「そうだろうな、それにお主の父、柳生宗矩様もお側におるやも知れぬぞ」
「それは、お前も同じであろう?武藤幸村様もお側に居る可能性があろう?」
「市近衛衆が解体されたと同時に、近衛衆千名は全て、織田に戻らず、野に消え、消息を立ったからな」
「それを統括していた父上達が、居らぬとは言い難い」
苦しげに話す二人。
「素直に、我らに投降するとは思えぬ・・・斬れるか?」
「、、、役目とあらば・・・」
悲しげな顔をして、腰に差した刀の柄を掴む十兵衛。
「役目か、儂には・・・お市様を斬るなど、、、」
苦しげな表情を崩さずに呟く大助。
「斬らねば、この世は終わる」
「分かっておる、そうなれば、お市様が愛した民が苦しむ事ぐらい、理解はしておる」
「なればこそ、安土の秀信様やあの政宗様までもが歯向かえば、その場で斬っても良いなどとは・・・言うまい」
下を向き、苦痛の表情を浮かべる二人。
「しかし、近衛衆が問題だな。彼らは命を捨てて、お市様をお守りするだろう。犠牲者の数を抑えるのは、困難であろうな」
「市近衛衆か・・・一人一人がそれぞれの得物を極めておる方々、我ら織田陸軍のみならず、全国から集められた精鋭中の精鋭、織田最強の千人。もし、一人でもお側に居たら、我らが束になってかかっても、突破されるであろう」
「見つかってから、考えよう。調べに向かわせた者達が、戻ってきたようだ」
指示を受けて、調べに入った男達が、十兵衛の前に報告に来る。
「三厳様、家屋には誰も居りませぬ」
「庭先、敷地内にもお姿は見受けられません」
「竈の火の熱さが残っておりました。それほど時間は経ってないと思われます」
「それと、これを・・・」
次々に報告をして、最後の一人が十兵衛に、家の中にあったであろう箱を差し出す。
「十六葉菊を下地に織田木瓜の家紋・・・これは市家の家紋に間違いない」
受け取った箱の上に彫られた家紋を見て呟く。
「この様な近くに居られたとはな、直ぐに安土に報告せよ!直ぐに近隣の長官に伝達し、道を閉鎖させろ!速やかにお市様と小市様を保護するのじゃ!」
なんとか追っ手を振り切った市は、小市を前に抱えて、颯爽と馬を駆けさせ、伊賀の領地に入っていた。
「なんとかここまでは逃げれたようね・・・でもここまでかしら?」
市は馬を静かに止めると、呟くように声を出す。
「お市様、これより先には入れませぬ」
一人の男が姿を現して、市に声をかける。
「正就ですか」
「ご無沙汰を致しております」
「通るだけで良いのですが、無理のようね」
市は周りに多数の気配を感じ、呟く。
「上様の命により、お通し出来ませぬ」
「そうでしょうね、貴方の立場は分かってるつもりだから・・・」
そう言って、馬の向きを変える市。
「どちらにも行かせませぬ」
正就は右手を上げて、呟くと市の周りに、多数の忍が現れる。
「そう、見逃すこともしないという訳ね」
「上意なれば・・・捕えよ」
冷めた声で呟く市に対して、正就が市を囲む忍びに命令すると、静かに動き出す正就配下の忍び達。
「やめよ、服部正就」
市を庇うように一人の老人が現れ、正就に話しかける。
「なっ!ごっ五右衛門様・・・」
石川五右衛門を見て、声を裏返らせて驚く正就。
「お主達、伊賀服部衆はお市様より、受けた恩義を忘れたか?」
睨みつけて、冷淡に話しかける五右衛門。
「クッ、ここでお市様を逃せば、織田治世が揺ぎ、内乱となるは必定」
「織田の治世のう・・・その治世、誰が作ったのじゃ?我ら闇に生きる忍びを、このように陽のあたる世に出してくれた方はどなたじゃ?お主の言い分等、通らぬ」
「しかし、内乱となれば、民が苦しみます!それをお市様が喜ぶはずが無いはずじゃ!それなのにこのように逃げておれば、魔王になったと思われても仕方なき事ではないのですか!」
五右衛門の威圧に耐えながら、正就が苦しげに叫ぶ。
「そうね、正就の言う通りだわ。内乱となれば、民が悲しむわね・・・でもね、私が織田に居れば、確実に内乱が起こるわ。それにあたしが死んでも、内乱が起こる。だから逃げているの、行方不明なればこそ、保たれる状況を作り出してる」
市は冷酷な顔をして、正就に話しかける。
「何故、そのような状況を作らねばならないのですか?」
「この子を守る為に、私は織田を捨てたのよ」
小市の頭を撫でながら、話す市。
「小市様を・・・守る」
「今の織田では、この子は秘密裏に抹殺される。でもそれはさせない」
冷酷な顔を浮かべ、呟くように話す市。
「なっ!政宗様のお孫様である小市様を抹殺等、出来る訳が・・・」
「出来るわ、この子・・・半妖なのよ」
「なっ・・・」
「分かったでしょ?この子が殺されないようにするとしたら、今はこうするしかなかった。完全に後手に回ってしまってるんだけどね・・・」
苦しげな表情を浮かべて話す市。
「物の怪であれば、滅するほか無いのではないですか!それをお市様は身内だからと、庇うおつもりか!」
「ふっ、そう言うと思ったわ。身内であろうがなかろうが、関係無いわ。たまたまこの子が身内であっただけの事、それに物の怪全てが滅せられなければ、ならないのかしら?」
「そっそれは、人を惑わし、闇に引きずり込む物の怪を、滅する事は仕方なき事かと」
「そうね、貴方が言う物の怪、それならば滅せ無ければならないでしょうね。でもね、心優しき物の怪もいるのよ。この子のようにね」
「!・・・」
小市の頭を撫でながら、話す市に言葉が詰まる正就。
「私はこの子を犠牲には出来ない・・・」
「そのような事、民を考えたお市様のお言葉とは思えませぬ!あれほどの仕置を行ったお市様がそのような事!」
「そうね、そう考えるでしょうね。政宗達もそう考えてるわ、それが話をややこしくするのよ。いいかしら、この子の親が生きている事を考慮してる?」
「小市様の父上様は、政宗様の御子息政長様。しかし政長様は亡くなっておられる・・・まさか、母親という事ですか」
「そう、この子の母親は生きてる。そしてこの子が殺されたら、人間を憎み、怒り狂って日の本に厄災をもたらすわ。せっかく改心して、人の為に生きる事を考え始めたのにね」
「そうなれば、物の怪を成敗するのみ!」
「堂々巡りをさせないで・・・本当に、あんた達は似てるわね。政宗といい、秀信といい・・・対面や外見を気にするような人に育つとはね。その点、政長はあたしが最も期待した次世代の人間だったわ。あの物の怪の心にあった、人を憎む感情を浄化してしまったのですもの」
「しかし・・・」
「私はね、貴方にも教えたでしょ。外見や対面など気にしない、心が醜くなければ良いのだと。物の怪で有ろうが、心が醜くなければ良いのよ」
「・・・・・・」
「私が公で動けば、織田が割れて内乱になる、そして大量の人を殺す事で、私は魔王に覚醒するわ。そうなる事を後ろで画策し、糸を引く者がいる。その人物を見つけ出す為に、こうして今は逃げてるのよ。こうしてれば、必ず奴は表に現れるはずなのだけど、、、」
「・・・・・・」
「もういいわって考えちゃうことがあるのよ。逃げるのも飽きてきたからね。本当に、あたしを怒らせないで欲しいわ・・・」
市の顔が徐々に変化していく事に、気付いた正就は急ぎ、手を前に出して、手の平を左右に振ると、市を取り囲んでいた忍が消える。
「数々のご無礼、申し訳ございませんでした、、、」
両膝を付き、目から涙を流して、市に向かって謝罪する正就。
「・・・いいのよ、気にしないで」
馬を進め、正就の横を通りながら、声をかける市。
「お市様、我が館にて、しばし休息されては如何ですか」
急ぎ立ち上がり、市に声をかける正就。
「そこまで、迷惑はかけさせれないわ。それに追っ手の動きが早いわ、多分、三成と吉継が動いたんでしょうね」
「なっ、行政の石田様と軍部の大谷様ですか!」
「でなきゃ、此処まで追い詰められてないわ」
少し、嬉しそうな顔をして、正就に話しかける市。
「じゃ行くわ、もし聞かれたら、逃げられた、とでも言っておいて」
優しく微笑みながら、前を向き、片手を上げて手を振りながら、その場を去る市。
「お気をつけて・・・」
不安げな顔をして、走り去るお市の後ろ姿を見つめる正就であった。