三月三一日(日)一八時五分
母は、父が女に抱きつかれ父親からただの男になっていくのを感じた。
母はこの女がずっと、父が母と結婚する前からずっと父にまとわりついていることを知っていた。それを知ったある夜、母はあの男の夢を見た。
その日は母泣いていた。布団の中で一人だった。母は二八歳だった。母は父と結婚したかった。父とは十年近く付き合っていた。幸せに結婚するはずだった。あの女さえ居なければ。
その夜、あの男の夢を見た。黒い水晶と、桃色の水晶を選べと言われた。母は父に恋をしていた。母は父と別れないと誓って桃色の水晶を選んだ。その翌日、母は姉を妊娠していることを病院で告げられた。
その時、男は母に一つ条件をつけた。
眠ったままあなたの好きな男が来るのを病室で待つのと、起きてあなたの願いが叶うまで、毎晩この夢を見続けるのと、どちらがいいですか?
そして二〇年間母の手に握られた水晶が今ふるふると頼りなさそうに震えている。
姉はしばらく考えた。吐き気は凄まじい頭痛と耳鳴りに変わりつつあった。さっき目に入った木の欠片には良くないものが入っていたのか、右目が未だかつてない痛みで熱く疼き始めていた。姉は涙でゴミを洗い流そうとしたが、うまく涙が出なかった。こういう時に限って、と姉は呟いた。
その時思いついたように姉は左手を床について、右手を床板に当てた。右手には右ポケットから取り出した、「石見銀山の銀貨」があった。
キーホルダーを隙間に差し込み、姉はボロボロと崩れる板の端を探し始めた。
姉は板の端を探しながらも、女の声に耳を傾けていた。
女は二〇年前から父につきまとっていること、父は女に何かしら不倫としての立場を保証するような書類を書いてしまったこと、父は二〇年が近づいた最近、よくこの家に来るようになっていること、今日父は別れようと思って現金を持ってきたらしいこと。姉は初耳だった。そして父が今一言も発さないことに腹が立った。父はきっとこの女がまだ少し好きなのだ、と姉は思った。不倫なら「女」になりきる隠蔽工作が妻であるよりずっと簡単にできる。
父も男なのだ。
姉は脳を内側から殴られるような気がした。今まで信じていた父が失われてゆく感覚だった。父が自分一人でけじめをつけることは無理だと、姉は悟った。
女は父の首に腕を回したまま、耳元に囁いた。
「あなたの子供はどっちも大学生になったじゃない。あの時はあの女に子供ができたからしかたがないけれど、今度は私の番でしょ?私はお金なんかいらないのよ?」
父が観念して目を閉じたその時、女は恐ろしいものを見た。




