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三月三一日(日)夕方五時五分


 母は家で夕飯の支度をし終える。

母は昼寝をしようとしていた。父の経営する会社の従業員の給料計算をして、シフト表を書く。そして父のために家を片づけ、夕飯を作る。今日の夕飯は肉じゃがだ。母は高校生の時からずっと家族のために料理をしてきた。ある時は弟のために。ある時は子供のために。そして今日は父のためだ。寝ている妹を姉に任せ、今日は久しぶりに家に帰ってきた。

やはり家はいい。母は床に横になった。夕方の昼寝は、掃除も仕事もご飯も五時前に終えた時だけに許される、つかの間の贅沢だ。私には夫がいて、娘が二人いて、三人とも優秀でとてもやさしい。幸せだ。母はゆっくりと目を閉じた。


突然、穏やかなうたた寝は思わぬ形で闇に落ちていった。今まで夜にしか訪れなかった、あの男との白い部屋の時間がやってきた。母は桃色の小さな水晶を右手に握りしめていた。

「今日はなんだか早いのね。」

母は男を見た。ついに来るべき時が来たことを母は悟った。

「今日はいよいよ決着の夜ですよ。」

男は言った。

「あらそう」

母は答えた。

二〇年間、様々な事があった。この悪魔は幾度と無く私の心を折ろうとしてきた。決着とはなんだろう。母は、ゆっくりと、目を閉じた。

目を閉じた母は父が仕事場でも家でもない場所へ靴を脱いで入っていこうとしているのを感じた。


姉は妹のスマートフォンを握ったまま、しばらく考えていた。起きていることは明白だった。やはり父は会議などには行っていない。どこかで家族以外の人間と密会しているのだ。そしてそんな事をする理由は一つしか思い浮かばなかった。こんな時に。妹がこんな時に。

間違いなく誰かが止めるべきことだった。そして妹は眠り、母は疲れている状況の中で、誰かは自分しか居ない。


「私、東京に帰ったら、ちゃんと勉強するわ。」と姉は言った。

「だから、目を覚ましてね。私、あなたに汚いって言われても、受け入れるから。その通りだもん。早く自分の期待が叶うように、試験に受かって、あなたのこと羨ましく思わないでいいように頑張るね。」


妹は目を閉じたまま呆れた。まだこいつは私に期待するのか、と辟易した。試験に受かれば私が姉のことを汚く思わなくなると本当に信じているのだろうか。妹は姉が可哀想になってきた。

妹はずっと姉のことを合理的な人間だと思っていた。だから東京の大学に行くと言い始めた時、妹は止めた。それはとても生きていくのに合理的な方法には思えなかった。姉にはずっと、自分の前を歩いていて欲しかった。そうすれば自分の人生も全てうまく行く気がした。

姉が大学に受かってしまったあの日から、姉妹の人生は完全に別の方向に動き始めた。姉が寂しくないのか、妹はいつも疑問だった。姉はおそらく寂しかっただろう。そして色々失った。姉は愚かだ。


いつの間にか姉は立ち上がっていた。行き先は妹のスマートフォンが教えてくれる場所に決まっている。


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