三月三一日(日)一六時
病院は消毒の匂いがした。こんなところにいつもの妹がいるというのはとても違和感があった。妹は一番端の病室の、一番端のベッドにいた。
妹以外の患者の枕元には沢山の花や、果物や、ぬいぐるみがおいてあった。慰めのつもりで送ってきたものだろう。そしてそれは姉には妹が「病人」であるという事実をより確実に理解させた。妹のベッドサイドに着く頃には、妹が本当に倒れてしまったという実感で姉の心臓は高なった。
いざベッドサイドまで行って妹を覗きこむと、妹はただ眠っているように見えた。息は整い、夕日に染まる頬が紅色に染まっている。寝ている妹よりも、看病している母の方にえらく疲れが溜まっているようだった。姉は妹を代わりにみておくから、今日は休みなよ、と申し出た。
じゃあ今晩のおしっこの世話だけしたらあんたに任せようかな、と言って母はカーテンを閉めて、姉を病室の外に閉めだした。
おしっこの世話!
そうかやっぱり妹は寝たきりなんだ。姉ははっとした。父と二人消毒臭い廊下に立ち、姉は頭が何かで打たれたようにぼうっとした。どうして妹はあんななにも悲しい事になってしまったのだろう。絶対にどこかで私達を見ているに違いないのだ、と姉は思った。病室の外で姉はまた目の下が熱くなってきた。
その時目の前を薬の袋を連れた車椅子の若い女の子が通って行った。ニット帽をかぶって、顔が真っ白だった。か細い手をお母さんのような人が握っているのが見えた。
姉はその二人が病室の前を横切り、廊下の突き当りを右におれて消えてゆくまで、ずっと眺めていた。あの人達は、と姉は理解した。死ぬまでここに居なくてはならない人達だ。自分なんかこんなことでまだ泣いてはいけないな、と姉は思った。
妹はこんなにも姉が涙を我慢していることに驚いた。目の下があまりにも熱いので、妹は目を開けてしまった。男がいつの間にか、少女を見送って妹の横に来ていた。
「どうですか?お姉さんの気持ちになるというのは?」
男は気持ちの悪い薄笑いを浮かべて妹のほうを見ていた。
「そうね。新鮮だわ。でも元彼さんと出雲大社に行くことが試練だったわけ?だいぶんつまらないのね。私はお姉ちゃんの気持ちは十分に分かったわ。ここから出してよ。」
妹は男のずっと変わらない笑顔が少し怖くなってきたのをごまかすように威勢よく言った。この男は本当に一体何なのだろう。
「試練はこれからです。」
男は目の上で手をひらひらさせて、妹に目を閉じるように促した。
妹はこの得体のしれない男を恐ろしく思うと同時に腹が立ってきた。
「あなたはなんなの?人の心の弱みにつけこんで。こんな所に人の心を閉じ込めて、何がしたいの?」
男は呆れたように妹を諭した。
「だから、これは賭けだと言っているでしょう。それもあなたが始めて、あなたがルールも決めた。これは私のしたいことではないですよ。あなたのしたいことなんです。」
妹はそう言われるとなんとも言い返せないような気がして、そっと目を閉じた。




