2.出立
「さて、どうしよう?」
トールは迷っていた。
目標は決まった。
なら、次にすることは?
地盤固めである。
将来、勇者と相対する時のために、魔王としての地位を確かなものにするのだ。
すでにトールは魔王となっているが、それは個人において言えることで、世間一般には魔王と認識されているわけではない。
というか、世間一般に魔王と呼ばれている存在は――別にいる。
魔王城の主がそうだ。
魔王は魔王城にいるものだ。
たいていの者は、そう信じて疑わない。
かくいうトールも、そう信じていた一人だった。
だが、実際にはそうではない。
今、魔王であるトールが寂れた宿屋の一室にいるように、魔王が魔王城にいないこともある。
もっと言うなら、ここ四代ほどは、魔王城に魔王は不在だ。
魔王にはそれぞれ個性がある。
多くの魔王がいれば、それだけ多種多様の性格がある。
無口な奴もいれば、愛想のいい奴もいる。
生き様だって様々だ。
身の内にある膨大すぎる魔力に精神が狂った魔王もいれば。
小さな魔族の里で幸せな一生を送った魔王もいる。
人族や魔族との馴れ合いを嫌い、僻地で一人、余生を送った魔王もいる。
魔王になったからと言って、何も自分が魔王だと名乗る必要はない。
自分が魔王だという事実を誰にも気づかせずに、一生を終えた魔王もいる。
実例を上げると、第1289代目魔王は、とある王国のパン屋の女店主だった。
彼女は魔王となった後も、自分の生活スタイルを変えることなく、最後までパン屋の店主として死んでいった。
魔王としての魔力も知識も故意に使うことは一切なく。
ただ普通に生き、死んでいった。
だが、その時代にも“魔王”と名乗る存在はいた。
何故か?
魔王は魔王城にいるものだ。
そう思っているのは、何も人間だけではなかったらしい。
世間一般に魔王と呼ばれている存在は、魔王城の主だ。
しかしそれは、呼ばれているだけで実際には魔王ではない。
先ほども言ったように、ここ四代ほどは、魔王城に魔王は不在なのだ。
現在、人々が魔王だと思っている存在は、勝手に魔王城に居座り、魔王を自称しているだけの存在である。
そのことを歴代魔王の記憶から知ったトールは、愕然とした。
待て、と。
何だそれは、と。
それでは勇者となる者がやっとの思いで辿りついた先にいた存在が、魔王だと自称しているだけの偽物だということになる。
(流石にそれは、あんまりだろ……!)
かつては魔王を倒すことを夢見たことがあるだけに、トールの衝撃は大きかった。
勇者が来たというのに、肝心の魔王が不在など、あってはならない。
トールは考えた。
本物の魔王はトールである。
でもその事実があっても、世間一般においても魔王だと認識されなくては意味がない。
とは言うものの、どうすればいいのか?
昨日まで大した地位もない平凡な中級冒険者だったトールには、想像がつかなかった。
今ここで、自分が魔王になったのだとトールが主張したところで、周りは信じることはないだろう。
魔王城にいる存在が、本物の魔王ではないと主張しても同じ。
何バカなこと言ってるんだ、と冷たく切り捨てられるのが落ちだ。
世間一般に言う魔王が魔王城の主だと言うなら、トール自身が魔王城の主になってしまうのが一番の手だろうか。
でも今現在、魔王城にいる偽物の魔王には多くの配下がいる。
そいつらへの対応はどうしたらいいのだろう?
(いきなり俺が出て行って、今日から俺が魔王城の主だ、と宣言したとして、それで納得するとも思えないし……)
トールは迷う。
どういう方法を取るのがいいのだろうか?
「うーん……、」
迷って、悩んで、それで――。
「ま、いっか。取り敢えず、魔王城にでも行ってみれば後はなるようになるだろ」
トールは考えることを放棄した。
とにかく、魔王とは魔王城にいるものだ。
なら、何はともあれ魔王城にいってみよう。
思い立ったら、即行動。
これからの行き先が決まったトールは、さっそく荷造りを開始する。
幸いなのかどうなのかは知らないが、トールは“冒険者”だ。
ある日突然いなくなっても、「また旅に出たか」と思われるくらいだ。
そのまま帰ってこなくても――多少悲しむ者はいるかもしれないが――それほど驚くことなく受け入れられるだろう。
ギルドの依頼も、一昨日完了したばかりだ。
とくに問題はない。
問題というか、気がかりがあるとするなら、妹のことくらいだろうか。
だが、たった一人の家族であるトールの妹は、生まれ育った村の食堂で看板娘として働いていて、様々な町や村を行き来するトールとは別々に生活している。
月に数回、手紙のやり取りをするくらいだ。
性格もしっかりしているので、トールがいなくなっても大丈夫だろう。
突然連絡が取れなくなれば、きっと悲しませてしまうだろうが、トールが冒険者をやっている以上、そういうことも覚悟しているだろうから。
手早く荷物を纏め、部屋の中をグルリと見回す。
忘れ物はない。
「じゃ、行くか」
――魔王城に。