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突発的短編  作者: みこえ
6/6

父の日に

 そこは大通りを右に曲がり、少し入ったところにある。そこにはわたしとお母さんが好きな人がいる。


 その場所は桜が春の訪れを教えてくれる。だけれど、夏の訪れを秋の訪れを冬の訪れを何が教えてくれるのかは知らない。


 六月十六日、今日わたしとお母さんはここを訪れた。年に数度習慣のように訪れる場所。ある日から途絶えることなくここに訪れる。ここにはわたしのお父さんが眠っている。


 お父さんの眠るお墓は遊歩道に並ぶ桜の木がよく見える場所にある。今は鮮やかな緑色をしているが、春の訪れを告げる時は幻想的な色合いを持ち、それと同時に現実的なにぎやかさを持つ。


 わたしは花を持ち、お母さんは水の入った桶を持つ。よそ見をすることなく二人はそこへと向かう。お父さんが待つその場所に。

 お母さんはじっとそのお墓を見つめる。お母さんにはわたしには見えない何かが見えているような感覚がある。じっと見つめるその瞳はとても温かで優しいけれど、今にも泣き出しそうな雰囲気を持っている。その顔を見るたびにわたしは息苦しくなる。だけれど、それはまだお母さんがお父さんを好きだということで、それはわたしにとってとても嬉しいことだ。だから、息苦しくはなるけれど、その横顔をそっと覗き見ることは嫌いではない。


 丁寧に墓石を掃除するのはわたしの役目だ。持ってきたまっさらな雑巾を濡らし、軽く絞ると、丁寧に拭いて行く。今日は父の日だからいつもとは少し違う気持ちでそれをする。『ありがとう』と言う気持ちをおもいっきりこめて。






 先日、先輩から当然のように電話で言われた。

『父の日のプレゼントはどうするの?』

 先輩はわたしの家庭の事情を知らない。わたしが母の日にプレゼントを渡した事を知っているから、当然父の日にもプレゼントを渡すだろうと考えたのだろう。

「父の日のプレゼントはすでに決まっているんです。毎年わたしは花を買います。菊ではなくかわいらしい父の好きな花を」

 元気な黄色い花はお父さんが大好きな花。それ一本で存在感があり、満足できるもの。お父さんはひまわりが大好きだった。そんなに多くは買ってあげられないけれど、それをお墓に供えるのは毎年のこと。この季節にだけそれは咲き、華やかにさせる。それを考えれば夏の訪れを知らせるものは父の日のプレゼントであるひまわりなのかもしれない。


 わたしの言葉を聞いて先輩の声は少し沈んだ。ぼそりと『ごめん』と言われ、こちらが申し訳ない気持ちになった。わたしはお父さんがいなくて淋しい思いもしたけれど、その分お母さんがわたしを愛してくれている。それが分かるからそれほど痛いものにはならない。お母さんもこういう時はとても切なそうな表情をするけれど、お墓を離れればすぐにいつもの明るさを取り戻す。そう言う切り替えが上手な人なのだ。だからだと思う。お父さんがいないことを悲観したことはない。お母さんがいるのだからそれで充分なのだと思うのだ。それにお父さんはわたしを充分愛してくれた。そして、今も愛してくれているのだと感じられるから。


 それをどう先輩に説明しようかと悩んだけれど、言葉ではどうもうまく伝えられなかった。こういう感情はとても曖昧なところからきていて、明確に表す言葉は掠りはしても、確かな表現にはならない。多分、それはわたしとお母さんの間でも重なることのない、分かりあえるものではないことなのだと思う。どんなに言葉を並べても、その言葉から感じ取ることもまた、人それぞれで少しずつズレがある。微妙なズレは、そんなに問題ないとしても、やはりもどかしいものだ。そう言う伝わり方だけはしたくはない。だから、きっと――わたしだけが大切に抱く曖昧な、だけれどはっきりとした感情なのだと今は感じるのだ。


 先週の日曜日に約束をして先輩と会った。その時もやはり謝られた。気にすることはないと何度言っても彼はそれを気にするのだ。それが先輩のいいところではあるけれど、なんとなく心苦しい。わたしはそこまで気にしていないのだから。

「本当にもう気にしないでください。それより、行きましょう」

 その日はプラネタリウムに行く約束をしていた。プラネタリウムに行ったのは小学生の時だったと記憶している。学校の何かの行事だったような。曖昧な記憶だけれど、行ってみるとなんとなく思い出せる。


 まだ先輩と手をつなぐことは恥ずかしくて、自分では進んですることはできない。それは先輩も同じみたいで、結構勢いに任せて先輩はわたしの手を握る。でも、わたしが何もできないから、そう言う先輩に甘えてしまう。手はずっとつなぎたいと思うから。先輩の存在を確認したいし、先輩の温度を感じていたい。


 本当にこれが空なのかと言うくらい星が瞬いている。こんなに星が見える場所がどこかに存在しているのだろうか?そう思えるくらいだ。先輩の感嘆の声を耳にするたびに同じように感動しているのだと感じられた。星を観ている間も先輩は手を握ってくれていた。その手の強さで先輩の感情が伝わってくるような気がして嬉しかった。先輩もそう思ってくれていたら一層嬉しいけれど、それは贅沢というものなのだろう。


 プラネタリウムを出ると、そこに広がるのは青い空だ。快晴で暑いくらいの今日。先程までと全く違っていて、もう少し非現実に浸っていてもよかったかと思えるくらいだった。


「父はわたしが小学二年生の時に病気で亡くなったんです」

 お茶を飲もうとセルフサービスタイプのカフェに入った。この時こんな話をしようと思ったのはなぜなのか分からない。ただ、少しでもわたしの感情を分かってもらいたかった。その方法がこれだったのかもしれない。


 先輩はわたしが突然こんな事を口にするものだから少し驚いた顔をしてじっとわたしを見ていた。

「父の日のプレゼントは毎年ひまわりなんです。父はひまわりが好きだったら」

「ああ、あの絵もそうだったね」

 ひまわり畑に両親とわたしが手をつないでいる絵のことだ。あの絵はお父さんの事を思って描いた。写真を見てではなく、わたしの記憶の中で、お父さんの面影を追って。

「あれはわたしが抱いている象徴なのかもしれませんね」

 きっとわたしがずっと抱いていたお父さんはあの絵のような人だったのだと思う。あのひまわりのような……。


「象徴、か」

 先輩はコーヒーを一口飲んだ。わたしが言いたかった思いは伝わったのかも分からない。それ以上にわたしは何を伝えたかったのか分からなくなっていた。だけれど、なぜか突然、目の前の先輩を好きになって良かったと思った。あのバレンタインデーの時、勇気を振り絞って告白をして良かったと思った。なんでも話す事ができる人だから、そう言う事をきちんと聞いてくれる人だから、わたしはきっと先輩に惹かれたのだと思う。あの時は剣道をする先輩しか知らなかったけれど、きっとそれらがにじみ出ていたのだと今は思えるから。






 墓石前に鮮やかな黄色が並ぶ。夏の訪れを伝えているような元気の良い色だ。線香の煙が昇るのをじっと見つめる。母は大事そうに手を合わせ、ずっと長い間眼を閉じていた。もう何年も経っているのにまだまだ話し足りないようで、年に何回もここに訪れるのに、話すことは尽きないようだった。


 今回わたしも恥ずかしながら報告をする気になった。まだお母さんには話してはいないけれど、お父さんには話そう。多分、お母さんも気づいているだろうけれど、もう少しだけお母さんには秘密だ。なんとなく恥ずかしいから。


 ――大好きな人に告白をしました。大好きな人に告白をしてもらいました。とても強くて優しい人です。


「ずいぶん長い話をしていたじゃないの。込み入った話?」

 隣で母が微笑みながら言った。

「え?」

「素敵な人ができたって報告だったらお母さん不貞腐れるからね」

 母は桶を持ち歩きだした。その背中をじっと見つめる。もう分かっているかもしれないとは思った。それくらい頻繁に外出をしているような気がする。先輩も部活が忙しいから毎週ではないけれど。それに、最近のわたしは携帯電話を家の中でも持ち歩いているのだ。その変化はきっと分かりやすかったに違いない。お母さんは分かっているのに聞いてこなかったのはきっとその時が来たらわたしが話すだろうと思っていたからに違いない。なのに、お母さんの前にお父さんに言ってしまったから……。でも仕方ないよ。お母さんと話すのはもっと恥ずかしい事なんだから。


 わたしは小走りでお母さんを追いかけた。少し幼いお母さんの肩を軽く叩く。

「だって、面と向かって話すには少し恥ずかしいでしょう?だからお父さんで練習をね」

「そう?なら、きちんと報告をしてもらおうかな。娘の初恋の相手のことでも」


母の日を書いたのはこの父の日を書きたかったから。後輩の女の子の家庭環境を書きたかっただけなのです。なのに、こちらを書きたかったくせに母の日よりも短い……。多分、デートシーンが短いからですね。


ありがとうございました。

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