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箱庭に雛  作者: 安宅
夏休み中
7/26

 寮に着いた書記はエントランスを抜け、エレベーターの前に立つ。嘉一は少し離れてその後に続いていた。早朝ということもあり、籠はすぐに一階まで来た。書記は乗り込んで、正面を向いた。それは自然な行動だが、後ろにいた嘉一と向き合ってしまうのだ。

 嘉一は即座に階段を選択した。書記を見送ってから階段で部屋に戻って、もう一度スーパーに行こう。無駄遣い以外の何物でもないけれど、『女の子はお金がかかる』という名目で、嘉一の自由になる金額は以前の倍になった。

 嘉一は目を伏せて、エレベーターの戸が閉まるのを待った。


「………」

「………」


 エレベーターが動く音は聞こえず、嘉一は恐る恐る視線を上げた。


 書記は嘉一を見下ろしている。

 左腕に一つ袋を吊るして、もう一つは胸の前で抱えている。空けた右手は操作盤に伸びていて、多分「開」ボタンを押し続けているのだろう。


「……乗れ」

「はい……」

 嘉一はおずおずと籠に乗って、書記から遠い隅へと移動した。たった1階分とはいえ、傍に立つのは嘉一の心臓が耐えられない。


 あっという間にエレベーターは2階に着く。有り難いことだ。嘉一は書記が先に下りるのを待ったが、彼は「開」ボタンを押すだけで歩き始めようとはしない。

 嘉一は逡巡の後、書記の横を通って下りた。続いて書記がエレベーターホールに出る。嘉一の判断は間違っていなかったらしい。


 さて、次はどうすべきか。嘉一は書記をそっと伺う。書記は何を考えているのか、それとも何も考えていないのか。見上げた切れ長の目の先には、嘉一ではない何かが映っている。


 恋愛感情ではないし、その視線の先に立とうとは思わない。

 ただ、その視線の先にあるモノが変わってしまったのが悲しい。


 嘉一が口を挟む権利なぞない。不満を持つことすら傲慢。



「………」

 ちらりとだけ嘉一を見遣った書記は、また先に歩き出す。パスケースのカードキーを確認したからには、嘉一の部屋に向かうのだろう。

 今の書記の行動は、自ら荷物運びをしているようなもので。転入生ならともかく、嘉一に気を遣う意味がわからない。嘉一は元来人付き合いが苦手なため、書記の意図も経緯も推測できない。対人スキルの低さに我ながら呆れてしまう。


 距離を保ちつつ書記の後につく嘉一は、広い背中をぼんやりと眺めていた。嘉一の身長は女性の平均よりもやや高いが、書記と嘉一の身長差は30センチ近い。体格もそれ相応に違うわけで。


 嘉一が社会的に男性として認識されており、嘉一自身肉体と精神のギャップを自覚していた頃、抱いていた不安の一つが『成長』だ。嘉一の両親はどちらも平均よりも身長が高く、嘉一も遅い成長期が訪れるのではないかと思い悩んでいた。

 その心配は杞憂に終わったが、もし嘉一に身体に『女性』になる余地がなかったら、果たしてどうなっていたか。


 書記の視点で見る世界はどんなものだろう。人の旋毛ばかり見下す書記は、人間をどのように認めているのだろう。

 ただの好奇心。わざわざ尋ねようとは思わないし、嘉一と書記はそんな会話ができる仲でもない。



 廊下の一番端、他の寮室から半分隔離しているような配置にある一部屋の前で、書記はぴたりと立ち止まった。その部屋こそ、嘉一に新しく割り振られた寮室だ。

 くるりと振り返った書記と視線が合ってしまい、嘉一はぱっと顔を下に向けた。


「……鍵」

「……はい」

 嘉一は胸元からパスケースを引っ張り出して、扉の認証部にかざした。ピピ、と確認音がして、緑色のランプが点いたのが解錠のサインだ。

 鍵は開けたけれど、どうすればいいのか。ドラマなんかでは、女性が男性をコーヒーでも、と部屋に招き入れるのが定番だが、生憎嘉一は定石を踏むつもりはないし、それが許されるのはお互いが好意を抱いている場合のみ。


 びくびく書記を上目使いに見る。書記は外開きの扉を右手で引くと、嘉一を見下ろした。入れ、ということなのか。

 自分の部屋なのにおっかなびっくり入室する嘉一はさぞ阿呆に見えるだろう。嘉一は土間を一歩進んでから、後ろを見た。書記は嘉一に続いて扉を潜ろうとはしない。どうしたものか、と少しだけ眉根を寄せた。


「……置け」

「え、……は、はいっ」

 意識せず、エコバックをマットに下した。姿勢を戻すと、中途半端に広げた腕に、ビニール袋が二つ載る。


「……あ、の」

 荷物持ちをしてくれたのだろうか。

 嘉一に?なぜ親切にする?突き飛ばした意味は?

 疑問符が浮かぶ頭を貫くように、低い声。


「……服」

「……服?」

 嘉一は自分の今の服装を思い出す、黒いTシャツに半袖のグレーのパーカー、ボトムスはベージュのクロップドパンツ。手術前から所持している服だ。下着が透けないように色の濃いTシャツ、念には念を入れて線が浮かないようにパーカーまで羽織っている。

 早朝という時間帯、向かう場所はスーパー。不自然なところはない。




「……上から、見える」




 数瞬考えて、理解して。


 流石にこのときばかりは書記を下から真っすぐ見上げた。


「……っ、あ、の、」

「………」


 言葉が出ずにもごもごしているうちに、書記はさっさと扉を閉める。


 残された嘉一は、赤くなったり青くなったり。百面相をするだけだった。

 ハプニングは王道展開。

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