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箱庭に雛  作者: 安宅
夏休み中
6/26

八月三十日のこと

 寮に併設された24時間営業の大型スーパーでは、大抵の食材は手に入る。上流階級の子息が通うだけあり品揃えと質は言うまでもなく、かつ食堂の食材と併せて仕入れているせいか安価だ。だが利用者は決して多いとは言えない。理由としては簡単で、自炊する生徒が少ないのだ。


 菓子、インスタント食品、惣菜、文房具などは寮内にあるコンビニに大抵の物は置いてある。スーパーとコンビニの決定的な違いは食材の有無で、食材こそスーパーのメイン商品だ。

 元々金銭的に豊かな者が多いため、自炊による節約の必要を感じない。また、食堂の料理はプロが作るだけあって美味で、メニューも幅広く、勿論栄養バランスにも配慮されいる。

 この環境で自分で料理をする者は、一般の家庭出身の特待生か、はたまた年頃の男子の中では珍しい趣味の持ち主かのどちらかだ。嘉一は完全に後者で、以前からスーパーの常連だ。なので客が疎らになる時間帯は把握している。


 朝5時、寮からスーパーまでは誰もいなかった。とりあえず、米を買おう。主食だし。ただ部屋までの運び込みが難しい。以前はカートを借りていたが、戻しにくるときに人に遭うかもしれない。

 どうせ新学期には大勢と顔を合わせなくてはいけないのだが、嫌なことは先送りにしたい。

 嘉一は嫌いな野菜を最後に残してしまうタイプの子供だったのだ。


 


 店内を探してみると、1キロ詰めの米が置いてあった。嘉一がいつも買うのは10キロ詰めの袋だが、持てないと諦める。それでも、肉、野菜、魚に足りなくなった調味料や乾物などを買えばかなりの重さになる。


 カートを押しながら、たまにカゴを持ち上げて確かめる。これくらいなら許容範囲か、いやもっと持てるかも。

 最終的に、たまに休みながらならば両手に持てそうな量になる。学生証を兼ねたクレジットカードで会計を済ませてから、ビニール袋に詰める。うっかりエコバッグを一つしか持ってこなかったのだ。最終的に、こんもり食品が詰め込まれた黄色いひよこのエコバッグが一つと、ビニール袋が二つ出来上がる。


 ビニール袋を両腕に一つずつ通して、エコバッグを胸の前で抱えればいけるか。腕には真っ赤な跡が残るだろうけど。

 嘉一は半袖を来てきたことを今更後悔した。せめて七分丈ならば。


「よっ、と……」

 軽く掛け声を上げて一気に持ち上げる。案の定、ビニール袋の持ち手が腕に食い込んだ。

 ヨタヨタとスーパーの自動ドアを通ったが、早速休みたくて堪らない。立ち止まるくらいなら無理して歩いたほうがましか。いっそ走ったら楽かもしれない。実現不可能な戯言を吐く相手もおらず、口許を歪めた、


 刹那、




 トン、と肩を押された。




「………っ!」





 平素であれば何ともない力だが、今の嘉一のバランスを崩すには十分だ。前に倒れて袋の中身を盛大にぶちまけ、膝を強か打ち付けた。


「………ぃ、た」

「……目障、り」


 言葉こそたどたどしいが、鋭い視線が雄弁に語っている。

 2メートルに届きそうな体格にキリリとした目許が涼しげな美丈夫、生徒会書記、銀松台(ぎんしょうだい)雪之丞(ゆきのじょう)




「……書記、様」


 嘉一は呆然と彼を見上げた。先程のような悪意の凝縮された言葉の暴力はざらだったが、書記に直接手を出されたのは初めてだ。


「……邪魔」

「す、みません……」

 反射的に口から出た謝罪。

 足元に袋から出た食品が散らばってしまい、片膝を付いてかき集めた。卵は割れてしまったかもしれない。


 じり、と書記の靴底がタイルに擦れた。近付かれる前に、と両膝を付いて食品をぐちゃぐちゃに袋に詰め込む。パスタがぱきりと折れる音、トマトが潰れて汁を零した。


 じわり、目尻に涙が浮かぶ。

 転入生がやってくるまでは、嘉一は書記を尊敬していた。


 書記は幼い頃の交通事故の後遺症により、声を出すと喉が引き攣れるらしい。声量もほとんどなく、自然に無口になっていったのだという。

 親衛隊員は書記を『寡黙でカッコいい』と言っているが、嘉一はむしろ、微々たる効果のリハビリを何年も続ける彼を見ていたかった。全然スマートじゃなくて、泥臭い姿だったけれど、遠い何かを掴もうと努力する書記に、嘉一は励まされた。



 『女性』になりたがる自分を重ねていたと言えばそれまでだけれど、ひたむきな姿勢に憧れる気持ちは本物だったのだ。


 転入生が書記の言いたいことを理解してしまったために。自分が理解するから話す必要はないと仕向けたために。彼は何年も続けていたリハビリを止めた。声に出さなくても察してくれる転入生に縋った。


 嘉一はそれを責めようとは思わないし、軽蔑もしない。

 書記の状況であればそれも仕方なし。嘉一自身、こうして名実ともに『女性』になれたのも、降って湧いた幸運のようなものだ。




 食品を無理やり詰め込んだビニール袋は破れかけていて、寮までもつか不安だ。けれど一刻も早くここから離れたくて、三つの袋を無理やり持ち上げた。書記の目を見ずに軽く頭を下げる。再び頭を上げると、下げた視線に青いネクタイが映り込んだ。


「……っ!!」


 青いネクタイは3年の指定色だ。


「しょ、き様……」

「………」

 書記は嘉一の抱えた袋の内、ビニール袋二つを奪って背を向けて歩き出した。


「書記様……っ」

 手を宙に泳がせてから、意を決して大きな背中を追いかける。

 小走りしながら、何が狙いか予想する。親衛隊員が待つ場所まで誘い込み、リンチでもするつもりだろうか。いや、あえて荷物を持つ意味がない。消耗品では質の効果は薄いし、嘉一が諦めたら何の意味もない。

 では食材を捨てる気か。しかし、それならその場で踏み潰せばいいだけで、嘉一に拾わせた上に手ずから運ぶ理由にならない。

 訝しむ嘉一を、書記は一度振り向いた。


「……部屋、どこだ」

「え、」

「………」


 部屋、誰の、どの?転入生と違って理解力の足りない嘉一に苛立ったのか、書記は来た道を戻って嘉一に正対する。つい半歩退いた。


 じっと見下ろす視線が怖くて、エコバッグを胸の前で強く抱く。今回れ右して逃走した場合の、成功率ははたしてどの程度か。

 書記は大きな手を嘉一へ伸ばす。しまった、絶望的に低い確率が限りなくゼロになった。


 ぎゅ、と瞼を閉じる。

 来るべき拳に警戒したのだが、武骨な指先は嘉一の剥き出しの首を撫でて。


「……ひぃっ」


 服の中にしまい込んでいた、パスケースのストラップを引っ張る。書記は大きな身体を丸めて、寮室のカードキーを抜き出した。



「……しょ、き、様」

「……2階か」


 書記はカードキーに印字された寮室番号を見遣ってから、また前に向き直って歩き出す。




 ぽかん、と間抜けに呆けた嘉一は、正気に戻ると急いで彼の後に続いた。

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