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箱庭に雛  作者: 安宅
新学期
25/26

九月一日のこと、教室3

 桃津郷は呆れたような、疲れたような顔で椅子に座る。恐らく御子息様方の金銭感覚についていけなかったのだろう。『カーテンとテーブルクロスはこのブランドでないと認めない』だとか『食器は一流のものを空輸』だとか、学生の文化祭には相応しくない会話が漏れ聞けた。

 嘉一自身、さる企業の役員の御子息、否御令嬢であるが、母親が中流家庭の出自のため庶民的な価値観だと自負している。電車に一人で乗ることも、学園外のコンビニで買い物もできる。……なんてことないように聞こえるが、それができない箱入りが少なからず在校しているのだ。文化祭とはいえ、紙皿に紙コップなんて使うわけがない。

 因みに嘉一も紙皿使用には反対だ。山奥くんだりまで来る学外からの来場者なんて数が知れてる。学内の生徒の集客を考えれば、コストパフォーマンスよりブランドイメージを優先すべきだ。


「あいつら、買ったあとどーするつもりだよ。予算だって限られてんのに」

 内装係の話し合いでは備品は新しく購入することが前提のようだが、文化祭が終わった後の処分は未定らしい。自炊しない面々には不要のものだ。ある程度数を揃えるだろうから、自炊派の生徒が引き取るには多過ぎる。かと言って廃棄するには値が張る代物(を購入予定)だ。

 また、文化祭では各クラスに予算が割り振られており、私財を投じるのは禁止されている。備品の質を追求すれば、衣装や食材に予算が割けない。そもそも内装係が認める品質のものが、予算内で購入できるかも怪しい。


 高級品購入以外で、御曹司様方のお眼鏡にかなう備品は調達できないものか。

「……食堂から、予備の食器とテーブルクロス、借りられないかな?」

 食堂の備品は普段から生徒らの目に触れる物。当然一流の品のはず。質に関して問題はない。学内のものだから無料だし、文化祭が終われば返却すればいいだけ。


 我ながら当座の問題三点とも解決できる名案だと思ったのだが、即座に桃津郷に否定された。

「食べ物出すクラス、他にもあるだろ。うちにだけ許可下りるわけねーよ」

 指摘はご尤も。ただ、それは道理に則ればの話。



「なんだ、光がメイドをするのに必要なら、備品の貸し出しの許可くらい出すぞ」

「あっ、うちの系列店の貸したげるよぉ」

「購入でも構いませんよ。予算は生徒会から出しますし」

「一応学校行事だから、ポケットマネーは出せないんだよね〜?寄附って形ならアリ?」


 失言だった。

 揃いも揃って、上層部は。無理を通して道理を引っ込めることに抵抗を見せない。そんなことをすればまた親衛隊が騒ぐだろうが、その矛先は発案者である嘉一に向くに違いない。

 一般生徒に示しがつかないだとか、まっとうな考えを持つ者はいないらしい。



 転入生はにんまりと御満悦の様子。生徒会が自分のために権力、財力を使うのが嬉しいのか。特別扱いはダメだ、皆平等だと豪語する癖に、自分が別格に扱われるのは容認、むしろ歓迎している。



 顔を左に向けると、うんざりした桃津郷と目が合った。桃津郷がへらりと笑うものだから、釣られて嘉一も苦笑。価値観の共通は連帯感をもたらす。




 突然、苦笑いの桃津郷の頭に影がかかり、



 べちっ、と間の抜けた音がした。




「……ったぁ!」

 桃津郷と嘉一が視線を上げると、書記が長い腕を伸ばしている。


 衆目の元、一般生徒に暴力を振るうなんて。学園中の嫌われ者の嘉一に対しての暴行ですら、人目を憚るべきものなのに。親衛隊持ちの桃津郷に対してなら尚更だ。

 身長に比例して書記の手足は長い。かかった遠心力は相当のものだろう。

「何すか一体?!」

「………」


 叩かれた箇所を押さえて見上げる桃津郷に、書記は答えない。見下ろす視線にたじろいだのは、桃津郷のほうだ。

「……何ですか、いきなり」

「………」

「……何なんすか」

「………」

 二人のやり取り、正確には桃津郷が不平をぶつける様を呆然と見つめていると、不意に書記が嘉一に向き直る。


「……書記、様?」

「………」


 長い腕が嘉一にも伸びて、思わず固く瞼を閉じた。




「……不純、異性こ、ゆうは、禁止だ」


「はぁ?!今のどこが?!」


 書記の手が、パスケースに届くことはなかった。もちろん、既にないマカロンにも。長い指は空気を掠めて、腕ごと下ろされる。

「不純どころか触ってもないですよ?!」

「………」


「なあ東雲!」

「……あ、うん」

 そういえばそうだ。

 転入生や取り巻きの主張は意味がわからないことが通常運転のため、嘉一は既に彼らに対し常識で反論するのは諦めている。日本語が通じない相手に日本語で理解を求めるのは無意味だ。彼らのあらゆる知覚器官にはフィルターが備わっているのだから。

 正論の主張は、もう選択肢にすら上らない。


「……気を、つけろ」

 一言言い放って教室の後ろに下がる。それは嘉一と桃津郷のどちらに言ったのかわからない。ここで終われば桃津郷の叩かれ損だ。

「ちょ、」

 がた、と桃津郷が椅子から立ち上がったのと、

「嘉一!雪之丞と何話しんだよ!!内緒話はいけないんだぞ!!」

 転入生の大音声が鼓膜を突き刺したのは同時。


 話すだけには納まっていないが、転入生は自分が中心でない話題には本当に無関心だ。今だって内容を知りたいわけではなく、ただ注目を集めたいだけに過ぎない。


「え、と……」

 嘉一は書記とほとんど話していない。主に発言していたのは桃津郷で、、書記は二言三言しか口にしていない。嘉一はほぼ相槌のみ。果たして一方的な発言は会話と呼べるのか。


 当然転入生に、まともな主張なんて通るわけないが。その状況に慣れすぎていたのか、書記に抗議しようとする桃津郷の姿は新鮮だった。同じように転入生に抗議するつもりはないけど。


 さて、転入生には何と返すべきか。『大したことじゃない』や『何でもない』は通じない。隠し事は最低だ、と詰られるのだ。

 何も話していないのに、何を話したことにすべきか。


「……僕は何も言ってないから、書記様と桃津郷くんに聞いて?」

 結局二人に丸投げした。


「雪之丞!春ノ介!何話したんだ?!」

「……特に、何も」

 書記は簡潔に、

「書記さんがいきなり頭叩いてきたんだよ。不純異性交遊禁止、って」

 桃津郷は書記を睨みつけながら、各々返す。この三者の言い分から判断すれば、普通批難されるのは書記だろう。だが、転入生が『普通』の価値観で動いてくれていたら、嘉一はこうも苦労しない。



「そうなのか?!ダメだろ嘉一!!」


 なぜそこで矛先が嘉一に向く。転入生の脳には変換機が搭載されているのか。未来世界では脳に変換機装着が一般的になるのか。


 生憎嘉一は現代人なので、未来の技術を理解できないし稼働を止めることもできない。不可能を前にして、嘉一は諦めた。


「……うん、誤解されないように気をつけるね」

 自身は潔白だが、誤解させて申し訳ございません、というスタンス。不純異性交遊を否定すれば取り巻きに、肯定すれば親衛隊に詰られる。板挟みは辛い。


「おう!許してやるよ!」

 転入生が何を許すというのか。嘉一は許しが必要な行為はしていないし、転入生は許す権利もない部外者なのに。


 何か言えば墓穴を掘り、何も言わなくても責められる。


 馴染んだやるせなさがじんわり胸に広がった。




「……今のは、俺のせいだ」


 小さく、掠れた声がした。




 皿のようになった目を書記に向ける。身長差に首が痛むが、それどころではない。



 書記が転入生の言葉を否定した。


 あの書記が!



 書記は嘉一を見下ろしている。じっとりした嫌な気配を纏った視線が降り注ぐ。


 嘉一が書記に抱いたのは、純粋な『気持ち悪さ』だった。書記の皮を被った得体の知れない生き物に見えた。



 これは、誰なんだ?




 嘉一は、書記から視線を逸らすこともできず、ただ肌を粟立たせるだけだった。

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