九月一日のこと、教室2
嘉一が副委員長に引き連れられて教室に戻れば、既に文化祭の出し物の投票が行われていた。クラスメイトの視線とざわめきを受けつつ着席すると、斜め後ろから名前を呼ばれる。
「嘉一!!文化祭メイドカフェに投票しようぜ!」
名指しでなければ気付かないふりをしたのだけど。わざわざ嘉一を指名するものだから、仕方なく振り向いた。取り巻きたちも、嘉一と一緒に入室した副委員長含め転入生の後ろに待機済み。始業式の後片付けもあっただろうに、相変わらず転入生が絡むと行動が早いな、と素直に感心した。
因みに転入生の「〜しようぜ」は勧誘の文型で命令を意味する。最初から拒否を認めないなら「〜しろ」と命令形で言えばいいのに。実際そう言われたら、それはそれで何か引っ掛かるだろうけれど。
「俺はお化け屋敷のがいいんだけど、こいつらが俺のメイド服見たいって言うからさ!!男が可愛いなんて言われたって嬉しくねーよ!」
転入生は満面の笑み。言ってる内容と表情が全く一致しない。上辺を取り繕うつもりがあるなら、せめて最低限の演技くらいすればいいのに。
「……いいよ」
嘉一は曖昧に笑って了承した。どうせ嫌われ者の嘉一は名前だけの参加か、皆がやりたがらないことを押し付けられるかのどちらかだ。出し物が何になっても大した差ではない。
お化け屋敷だったら暗闇の中でこんにゃくを釣るすようなつまらない役割、メイドカフェなら食品の運搬(接客ではなく、倉庫―調理場間だ)の肉体労働が妥当か。できれば事前準備に名前だけ加えてもらい、当日は空き教室に引きこもれないかと思案。共学化テストケースとして『学園の定めた休業日以外の登校の努力義務』を果たさねばならため不参加は認められないが、積極的に方々出向く必要はないのだ。
と、そこへ左側からも声がかかる
「東雲もメイドすんだろ?」
「え、なんで?」
ほとんど何も考えず、ぽろりと唇から零れる。
右に小首を傾げた嘉一に身体ごと対面した桃津郷は、同じく向かって右に首を捻った。
「なんでしねーの?」
桃津郷が不思議そうにしている。なぜ嘉一がメイド服を着る考えに至ったのか、そちらのほうが余程不思議だ。
彼は需要と供給というものを知ってるのだろうか。嘉一がメイド服を纏ったところで誰が喜ぶというのだ。
そもそもこの学園の生徒たちにとってお手伝いさんは非常に身近な存在だ。嘉一の実家にも、エプロンドレスでなく割烹着のお手伝いさんが一人いる。
その事情を考慮した上でメイドの需要がどこにあるかと言えば、『可愛らしさ』の一言に尽きる。親衛隊のチワワたちが押し売り紛いに配り歩いているものだ。嘉一は持ち合わせてすらいない。
「僕は、できれば……準備とか、」
に、名前だけ加えてもらってサボタージュを希望。さすがに体裁が悪いので、後半は省略した。
「メイド服縫ったり?」
「あっ、手作りなんだ。うん、お裁縫好きだし」
「女子力高いな」
「……ありがと」
嘉一は本当に珍しく、心底くすぐったさに笑った。困ったときの作り笑いではない。
『女性』として自己満足に磨いてきた技能が、認められたのだ。桃津郷にその気がなくても、嘉一の女子としての力量が高いと言った。
それだけで十分だ。
「東雲もメイドすればいいのに」
「しないよ……、似合わないもの」
さすがに、嘉一の何倍もメイド服が似合うだろう美少年たちの輪に交じるほど厚顔ではないのだ。学園に戻ってから傷付けられてきた『女性』としての矜持。負けがわかっているのに、首を突っ込む理由はない。
「おい!二人で何話してるんだよ!!隠し事はダメなんだぞ!!」
二人とも声を潜めてはいなかったから、聞こうと思えば筒抜けだったのに。転入生は自分が中心でない話題には無関心だが、『自分が話題の中心でないこと』には悪い意味で関心度が高い。
「えっと、メイド服縫うの、したいなって、」
できれば何もしたくないけど、という本音を隠した嘉一に、転入生は小柄な体躯に不釣り合いな尊大な態度で宣った。
「仕方ねーな!俺のは嘉一に作らせてやるよ!」
「……あ、うん」
まだ投票すら済んでないのに気が早いことだ。
取り巻きたちの圧力の甲斐あって、出し物は難無くメイドカフェに決定。小柄なチワワが9人分しか枠がないメイドに名乗りを上げる中、嘉一は何も発言せずにチワワのジャンケンを眺めていた。生徒会と風紀の権力は素晴らしく、転入生の名前は真っ先に板書済み。その流れで衣装係の候補に『東雲』と書いてくれた文化祭実行委員には感謝だ。
黒板には各係と割り振る人数が書かれている。チワワに人気の『メイド』、嘉一が希望した『衣装係』、飾り付け担当の『内装係』、メニュー作成の『調理係』。会計は実行委員が担当することなった。桃津郷は内装係で、灰田川は調理係のようだ。
事前準備は衣装係と内装係の負担が大きく、当日はメイドと調理係が出づっぱりという役割分担だ。転入生と遊ぶためか当初は内装係を希望していた灰田川だが、ジャンケンに負けていた。美形に寛容な学園だから、どうせほとんど免除だろうけれど。転入生は取り巻きが騒いで連れ出すだろうし。
また、誤算なのは衣装係が嘉一一人だったこと。本当はかつての嘉一と同じく地味系の男子が何人か立候補していたのだが、副会長の『あなたたちまともに針持ったことあるんですか?』に敢なく撃沈、調理係と内装係に割り振られていった。一応家庭科の授業に裁縫もあるのだが、彼らはあまり熱心には取り組んでいなかったらしい。ミシンの使い方さえ危ういのだとか。
さすがに10人分のメイド服を一人で製作するのは厳しい。結果、市販のものを購入しあまりにも合わなければ嘉一が直す、となった。しかしメイドになったのは転入生含め、小柄で華奢な背格好の似通った生徒たちだ。全員同じサイズのものを買うだろうから、サイズ直しは恐らく不要だろう。仮に必要だったとしても、嫌われ者の嘉一に任せるのではなく、実家の本職メイドに直させるに違いない。
正々堂々サボりを手に入れた嘉一は、コンセプトをどうするかだとかメニューを何にするかだとか、話し合いをするクラスメイトを横目に欠伸を噛み殺す。取り巻きたちは、転入生にはどんなメイド服が似合うか、という言い争うにはしょうもない話題で盛り上がっている。桃津郷だけが他の内装係とテーブルクロスはどこから入手するのか、食器は誰が用意するのか、と話し合いに参加していた。しかし、『紙皿でよくね?』と発言して猛反対を喰らってからは聞き役に徹している。この学園の生徒は高級志向なのだ。
この喧騒ならば、嘉一を気にする人間なんていないだろう。こっそり桃津郷を観察する。彼には色々な意味で期待大だ。主に転入生避けとして、ついでに『女生徒』への気遣いもあれば御の字。
「おい」
ガン!と椅子に衝撃。びくっと跳ね上がって振り返る。
「……灰田川くん」
「係変えろ」
灰田川は不機嫌そうに眉根を寄せている。嘉一に話し掛けることも嫌だろうに。
係を変えたい、というのは、文化祭当日転入生と遊び回れるようにか。
嘉一は、何の係になったところで雑用には変わらない、サボる機会を手放すのは惜しいが転入生を避ける言い訳と交換ならばそう悪くもない、と頭を巡らせてから、承諾した。
「うん……」
だが、衣装係が楽なのは嘉一だからで、灰田川が就くならチワワがサイズ直しを次々依頼しそうだが。いや、嘉一が心配しなくても、灰田川も内部進学者だし予想しているか。
第一、嘉一に忠告する義理はない。
「えっと……、委員の人に言ってくるね」
灰田川の鋭い視線から逃れたくて、嘉一は急いで椅子から立った。教壇の前まで歩いていき、文化祭実行委員に声をかけようとして、困った。
名前がわからない。
数秒頭の引き出しを探したが、文化祭実行委員の顔と一致する名前は発見できず、仕方なくその生徒の視界に入る位置に移動してから呼び掛けた。
「あの……」
「……えっ?!俺?!」
そこまで驚かなくても。嘉一の存在感が希薄なのか、話し掛けるなという口外の主張か。どちらでもいいけれど。
「灰田川くんと係交換したから、書き直してほしいんだけど……」
「あっ、うん!わかった!」
委員は小さく名前が書き込まれた中の『灰田川』の三文字だけを、黒板消しの角で器用に消す。『東雲』の周りは何も書いていないから豪快に。それぞれの名前があった場所に違う名前を書き入れて完了。
早速目敏いチワワが黒板を指差してひそひそ相談しているが、嘉一は知らない。
そういえば、灰田川はなぜ転入生を好きなんだろう。
灰田川と転入生の邂逅は二人の部屋で成され、他の取り巻きの面々のように噂にはならなかった。人目がなかったのは副会長も同様だが、その件は副会長自ら言い触らして回っているから既に全校生徒の知るところとなっている。
転入生は灰田川にとっても『性格がいい』のだろうか。そうに違いない、そうでなければ灰田川は転入生に執着しない。
では、嘉一は?
打算がなくはないが、今こうして自分を犠牲にする灰田川にとって『都合のよい』嘉一は、果たして灰田川から『性格がいい』と見られているのだろうか。
それはない。即座に否定。
灰田川は、嘉一が犠牲になることを『犠牲になっている』と考えない。嘉一が親衛隊のように見目好い生徒に尽くすことに喜びを感じるのだと勘違いしているのか。
それとも―――、
「………」
溜め息。考えても埒が明かない。答えは灰田川にしかわからないのだから。
第一、知ってどうする。転入生と自身を比較して何になるというのだ。
灰田川と嘉一との間には捻れるだけの関係すら存在しない。存在しないものは正せない。新たに構築するつもりもない。
嘉一が灰田川の命令に従うのは、単に敵を作りたくない消極的な平和主義ゆえ。灰田川の容貌がたとえ見るに堪えない醜悪なものでも、嘉一に危害を加える手足や暴言を吐く舌がなくても、余程害がない限りは様々なものを譲るだろう。
その根底にあるのは、争いは悲しいだとか人を傷付けるのが嫌だとか、綺麗な信念ではない。
嘉一自身傷付けられたくないから。
対立を避けて通れるならば避けたい。弱者たる嘉一は他者と衝突すれば無傷ではいられないから。自分を守りながら他人を傷付けても誰にも怨まれない道があるのなら、嘉一は迷いなく選び取る。
今選べないのは、単純に嘉一にはそんな選択肢が与えられていないからだし、もしあったとしても露見するのが怖くて選べないだろう。
利己と小心だけが、嘉一を真人間たらしめているのは皮肉だ。
嘉一が着席するとほぼ同時に内装係の輪から桃津郷が帰ってくる。ちらりとだけ視線を遣った。




