九月一日のこと、移動中
視線を下げて耐える。金井戸はその間に、これから始業式だから纏まって講堂まで向かうことを指示し、始業式後は夏休みの課題を集め、体育祭と文化祭の実行委員を決めると予告した。本来ならば担任が講堂まで引率するのだが、金井戸は生徒会顧問として一足先に準備があるらしい。始業式後も遅れて戻ってくるので、その間にある程度は進めておけとのこと。
「お前らは45分までに講堂入っとけよー」
『はーい!』
チワワらが元気良く返事をする。出掛けで転入生らの方を向いて、忠告していくのも忘れない。
「生徒会と風紀委員会も20分集合だろうが。早く来い」
「えー!光と一緒に行くから後でいいでしょー?」
「そうだよ!僕ら特に仕事なかったしぃ」
双子はそう主張するが、『庶務』は事務系雑用係みたいなもののはず。仕事がないわけがない。しかし、嘉一の主張は受け入れないくせに嘘には騙されやすい転入生は、あっさりと信じた。
「そうなのか!じゃあ朔と帷も嘉一のボディーガードしよーぜ!!」
「え?」
何故か急に嘉一の話題になっていて、思わず斜め後ろを振り向いた。それをどう勘違いしたのか、転入生は否定を想定していないのだろう、確認を装った断定系で返す。
「嘉一も人数多いほうがいいだろ?!」
だが、嘉一には講堂までのボディーガードなぞ必要ない。
「……僕、始業式出ないよ?」
それは可能性や選択肢ではなく、決定済みの予定だ。
「なんでだよ!ちゃんと出ないとダメだろ!!」
「僕の話聞くのも恥ずかしいし、……それに、皆始業式出るから危なくないと思うよ?」
親衛隊のチワワたちは、愛しの生徒会役員の晴れ舞台を見ようと行事には真面目に出席する。歓声を上げたり度々椅子から立ち上がったりと、出席態度は酷いものだけど。
つまり、加害者になるだろう親衛隊が講堂に集中する。講堂より教室のほうが安全だ。
「席に座ってじっとしてるから、風紀の護衛もいらないと思うし、」
「本当に頭は平凡以下だね」
転入生の後ろに立つ副委員長が笑っている。その笑顔が油断ならないことは、何度も嘉一自身が証明してきた。
「椅子から動かないから護衛が必要ないなんて道理が通るわけないだろう?平凡には講堂まできてもらうよ」
「……始業式には出席義務はないと、」
「式には出なくていいよ。邪魔にならないように、舞台袖にいればいい。あそこなら一般生徒は入れないから護衛も要らないし、風紀委員も近くにいるし。逆に式に出られたら他の生徒に紛れて護衛が面倒だ」
嘉一には選択権が与えられているはずなのに、副委員長は考慮しない。嘉一の意向を聞き入れてもらえた記憶なんてないが。
座席はクラスごとに割り振られているためか、先に講堂に乗り込んで良い席を取ろうとする親衛隊員はいない。いても、入口で止められて講堂に入れないだろう。閑散とした廊下には、所々に風紀の腕章を付けた生徒が立っているだけだ。
ボディーガードを名乗り出たくせに、転入生は嘉一より随分前を歩いている。これ幸いと大人しく後ろを歩く。風紀委員長と副委員長も護衛とは名ばかりで、嘉一には目もくれない。全く有り難いことだ。
講堂は玄関に対して反対側に独立して建っており、校舎とは渡り廊下で繋がっている。階段は校舎の各所にあって、今回は渡り廊下のすぐ側の階段まで平行移動、それから下へ降りるつもりらしい。
転入生を先頭に、いくつもの頭が下へ動くのを見送って、遅れて階段を降りようと進みかけて、足を止めた。
嘉一の今の服装はワンピースだ。下からの視線を阻む布地がない。
盲点だった。
女性としての感覚が身についていない嘉一は、世間の女性が当たり前に対策を講じる事態に対して無防備だ。嘉一がワンピースの下に着ているのはスリップと下着だけ。
スカートがめくれても恥ずかしくないよう着込むべきだった。
仕方なく、手摺りから身を乗り出して階段を見下ろす。全員が踊り場を折り返したのを確認してから階段を降りた。先程と同じ様に、身を乗り出して階段を見下ろすと、転入生らは既に過ぎていたが一人だけまだ中程に残っている。彼はこちらを見上げると、秀麗な美貌に不愉快さを滲ませた。
「早くしろ、平凡!」
「……はい」
生徒会長が、不機嫌さを隠しもずに待っていた。
「ちっ、風紀の馬鹿共、護衛忘れてやがる。だから馬鹿は嫌いなんだよ」
「………」
「てめぇもだ平凡。さっさと来い。光が行っちまうだろうが」
そうは言っても、生徒会長は嘉一のほうを見上げたまま。降りるに降りれない。清楚なスカート丈では中は覗けないだろうし、生徒会長も嘉一のスカートの中身なんて興味ないだろう。でも嫌なものは嫌だ。
「聞いてんのか平凡!」
生徒会長は律儀に待っている。転入生にのめり込んでも生徒会役員としての仕事を放棄しなかったのはまだ評価できるが、先に行ってくれれば追い掛けるのに、どうして待つのだろう。
「無視してんじゃねーよ平凡の分際で!」
生徒会長は遂に階段を登って踊り場まで戻ってきた。嘉一は脇をすり抜けて駆け降りようか迷ったが、余計に面倒になりそうで考えるだけに留めた。
さて、生徒会長が嘉一に殴る蹴るの暴行を加えることは、あまり考えられない。それは彼の人間性云々の話ではなく、目的が『嘉一を移動させること』だから。嘉一の移動速度が落ちるようなことはしないはず。
意外にも、仕事に対しては真摯で律儀な人だ。風紀が放棄した『護衛』の仕事を肩代わりして、嘉一のいる踊り場まで戻ってくるくらいには。
元々生徒会長から加えられた危害も、通り掛かりに強く突き飛ばされたり足を蹴飛ばされたり、という『何かのついで』のような暴行がほとんどで、親衛隊のビンタのように『嘉一を傷付ける』為だけのもの一切なかった。腕力の差で、生徒会長の所業のほうが大きな痣になったけれど。
嘉一の前に仁王立ちする生徒会長に、嘉一は迷わず頭を下げる。
「すみません」
「こんな馬鹿なことで俺達の気が引けるとでも思ったのか?クズめ」
謂われのないことで責められるのは慣れた。胸の痛みは無視できる。
前を向いて階段を降りようとする生徒会長に、階下から声がかかる。
「会長、何してんすか?」
「特待生か。お前こそ」
位置関係で嘉一から階段下は見えないが、先に行ってたはずの桃津郷が戻ってきたようだ。
会長は桃津郷を『特待生』と呼ぶ。灰田川に至っては『不良』呼ばわりだ。嘉一からすれば、髪を染め制服を着崩した生徒会長も、十分不良っぽく見えるのだが。
質問に質問で返した会長に、桃津郷は素直に答える。
「会長がいないって光が言ってるから」
どうやら転入生の代わりに会長を探しにきたらしい。普段から転入生の周りに群がる面々だ。一人でも減ったチャンスを逃しはしないだろう。転入生に恋愛感情がない桃津郷に白羽の矢が立つのは想像に難くない。
それにしても、自らボディーガードを名乗るくせに嘉一がいないのにも気付かないのか。つくづく転入生は嘉一の常識では理解できない。有言実行は必ずしも成しうることではないが、舌の根も乾かぬうちに忘れるとは。
「俺は風紀共が護衛を放棄してやがるから、仕方なく平凡を見てた」
会長の答えを受けて、桃津郷は嘉一が踊り場(もしくは階段上)にいると認識したようだ。納得した様子で、会長を促した。
「そうすか。じゃあ早く行きましょうよ」
「ああ。平凡行くぞ!」
脇で二人のやり取りを聞いていた嘉一は、手摺りから身を乗り出して階下を見た。桃津郷がこちらを見上げている。また、降りられない。
「早くしろ!」
会長の怒鳴り声に身を竦める。そこでようやく桃津郷が気付いたのか、あっと声を上げた。
「ごめん、俺いたら降りれないよな?」
すぐ気付くあたり、さすが共学出身者。嘉一は素直に感心した。顔立ちや家柄では生徒会長が一番だが、実際外に出れば桃津郷のほうがモテそうだ。
「……向こう、向いててくれる?」
「わかった」
桃津郷が階段に背中を向ける。嘉一はパタパタとバレエシューズで階段を降りた。下から三段目を踏んだところで、桃津郷に声をかける。
「ごめんね」
「いや、当然だろ。……会長?」
何故か踊り場に残ったままの会長は、嘉一と桃津郷を見下ろしている。顔には不可解、と書いていた。
「……平凡、てめぇ俺様の命令は聞けなくて特待生の言うことは聞くのか。随分ナメやがって」
「何言ってんすか」
桃津郷は心底呆れた顔をした。
「東雲、スカートですよ?」
「だから何だ」
「……あー、はい」
桃津郷は一度、嘉一に視線を戻す。
「東雲、先行ってろ」
「……うん」
桃津郷は会長に説明するつもりのようだ。内容を予想して、顔に熱が集まる。次に顔を合わせるとき、きっと気まずい。それ以外の理由も含め、もう会う機会が無ければいいのに。
嘉一は階段を降り切って、桃津郷を見上げた。
「桃のタルトとか食べる?今日作ろうと思うんだけど……」
「甘いのは好きだけど、二日連続だろ。大変じゃないか?」
「作るの、好きだから。嫌じゃなければ、食べてほしいな、って……」
「……じゃ、頼む。東雲がいいなら是非食いたい」
「うん」
まだ踊り場の会長に会釈して、渡り廊下へ。
小走りしながら、今日の予定を頭の中で整理する。
スーパーに、桃を買いに行かなくてはいけない。




