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箱庭に雛  作者: 安宅
夏休み中
2/26

過去と現在のこと

 男同士の色恋に浪漫を感じる女性を、『腐女子』と呼ぶらしい。主役も相手役も男(異性)なので嫉妬や自己投影が難しく、完全に他人事として楽しめることや、恋愛は逆境があればあるほど燃えるというが、男同士であることが既に一つの逆境であることが、人気の秘密かもしれない。共感はできないが。


 彼女らの間では『王道』なる共通認識があるとのこと。『正当な道』『近道』という意味ではなく、よくありがちな設定や展開を指すようだ。


 まず、舞台は全寮制の閉鎖的な男子校。通う生徒は金銭的に豊かな子息ばかりで、何故か同性愛に異常なまでに寛容。

 人気投票で選ばれた生徒会や風紀委員会が権力を振るい、彼らを慕う親衛隊なる組織が跋扈する。学園で重視されるのは一に顔立ち、二に家柄、成績や内面はその次だ。学園の生徒たちは、その歪んだ価値観に毒されて、自身が学園に染まっていることにすら気付いていない。


 そこに典型的なオタクのような変装をした美少年の転入生がやってきて、学園の上層部を魅了する。外からの新しい視点をもたらした転入生は、親衛隊からイジメに遭ったり(男同士で)ラブコメしたり、山あり谷ありで大団円。転入生が実は理事長の甥だったり、喧嘩が強かったり、勉強ができたりする設定もあるようだが、それはそれとして。



 『女性』として生きるための準備として、短期間入院していた病院で、同じく入院中の一回り年上の女性にそれを聞いたとき、嘉一は動揺を隠せなかった。



 その所謂『王道学園』は、嘉一の通う学園そのものだ。



 二週間もしない内に退院した彼女が言うには、『非王道』や『脇役主人公』なるジャンルもあるらしい。

 転入生と同室あるいは隣の席の平凡な脇役的立場の生徒が主人公とのこと。主人公なのに『脇役』とは、これいかに。転入生は傍若無人に平凡な『脇役』を親友と称して連れ回す。『脇役』は、転入生に好意を寄せる美形には目の敵にされ、親衛隊からは転入生の代わりに虐げられる。それを見て楽しめるのか疑問だが、そこから後が見所とのこと。美形たちが転入生から『脇役』に乗り換えたり、『脇役』が転入生たちへ復讐したり、という過程がいいのだとか。


 嘉一は自分の於かれている状況を振り返る。

 ゴールデンウイーク明けにやってきた転入生は、理事長の甥だった。彼はモジャモジャの鬘に瓶底眼鏡と鼓膜を突き破るような大声が特徴的で、学園の人気者たちを次々と虜にしていった。

 校門まで迎えに来た副会長の愛想笑いを指摘し、双子庶務を見分け、無口な書記の主張を理解し、下半身がだらし無い会計を叱り、会長にキスされて、と『王道』をしっかり踏襲した転入生は、『脇役』についてもきっちり押さえていた。

 『脇役』という呼び名の引き立て役、弾除けに採用されたのは、何を隠そう嘉一自身だ。










 嘉一は自身の特殊性を自覚していた。一般的には裕福な家庭だが、上流階級の子息が集う学園では中の下の家柄。男臭さのない中性的だが決して造作が抜きん出て美しくもない、平凡な顔立ち。成績も平均辺りをウロウロし、何をさせても普通。多少手先が器用なことと、運動神経が鈍いことを除けば、特徴らしい特徴は見受けられない。それでも、外から見て平凡でも、嘉一は自身を特殊性を持つ人間だと認識していた。


 嘉一は、自分を『女性』だと思っていた。


 嘉一の精神と身体がもつ性の不一致は、まだ言葉も覚束ない頃から垣間見られた。青い車の食器が嫌、ピンクのウサギがいいと強請り、困った顔で諭されたのがきっかけだった。青よりピンク、特撮ヒーローより変身ヒロインのアニメ、ミニカーより着せ替え人形、玩具の剣よりおままごとセット。

 絵本のフリルたっぷりのドレスに憧れる嘉一の様子に危機感を抱いた両親は、一貫教育の男子校附属幼稚園に放り込んだ。男しかいない環境ならば周囲に感化されるだろう、という思惑によるものだ。願望と言い換えてもいいかもしれない。


 そんな両親の期待は外れ、嘉一は『男性』にはなれなかった。依然として性自認は『女性』であり、男子校で『異性』ばかりの環境には居心地の悪さを感じていた。

 周囲に根本的な部分で溶け込めない嘉一は、第二次性徴を迎える頃から友人に距離を置きはじめた。話、主に恋愛系の話題に共感できないのが理由の一つだ。『女性』として扱われなかったがゆえに『女性』への憧れを抱く嘉一には、年頃の男子らの会話は即物的過ぎたのだ。

 いつしか友人は一人、二人と離れていき、高等部に進学する時分には、嘉一は『教室の隅で本ばかり読む平凡な根暗』として認識されるようになっていた。まともな会話をせず、尤もする相手もおらず、ただ置物のように息をする、いてもいなくても同じ存在。

 その扱いに嘉一は、一抹の寂しさを感じつつも概ね満足していた。嘉一の一人ぼっちの平凡な毎日は、卒業まで続くはずだった。










 先に述べたように、転入生は閉じた山奥の学園の規律を否定し、外の常識(と騙る、転入生の我が儘)を押し付けようと暴れ回った。大半の生徒はそれを冷ややかに見下していたが、一部の生徒らが主張の新鮮さに影響されてしまったのだ。


 それが生徒会を始めとした、学園の人気者だったから質が悪い。『ホモじゃない!』と声高に叫ぶわりには美形ばかり侍らせる転入生は、美形らを慕う親衛隊を刺激した。

 この親衛隊なる団体は、設立の名目こそ『○○様をお守りし、お助けする』だが、実際は過激なファンクラブに過ぎない。彼らの恋愛感情は、狂信者の信仰に似ている。崇拝対象に近付く者は敵と見なされ、徹底的に弾圧する。自主退学に追い込まれた生徒は数知れず。親の権力や金で、ターゲットの実家諸共追い詰めるのだ。

 その苛烈さは、嘉一が身をもって証明済みだ。




 辛うじて夏休みに突入したために、彼らと会うことはないが、二学期からを思うと胃の辺りがキリキリと痛む。小柄な体躯と可愛らしい容姿から、親衛隊員らは陰で『チワワ』と揶揄されている。しかし、その本質は小型犬なぞ比較にならない程凶暴だ。猛獣の攻撃性と蛇の執念深さに人間の頭の回転、更に親の七光り。利用できるものは全て利用して、完膚なきまでに叩き潰す。


 嘉一のゴールデンウイークから終業式までの毎日は、正直思い出したくない。平凡な見た目ゆえ性的暴行がないのは唯一の救いだが、生温い手は一度もなかった。

 初期段階はバケツの水を被る、上履きが隠される、机に落書き、暴言と無視。呼び出されての警告もあった。夏休み近くになるとロッカーに鳥の死骸、教科書や体操服は切り刻まれ、呼び出しは集団リンチへとレベルアップした。傷痕が残ったり、両親に気付かれることはなかったけれど。親衛隊員の多くが小柄な体格で、それに見合った筋力しか持たないのが幸いした。


 嘉一が受けたいじめ(制裁、と呼ばれている)はまだまだ甘い、とのこと。夏休み前に親衛隊員たちがそう言った。

 噂では、過去に精神も肉体もボロボロにされ自主退学に追い込まれた生徒もいるらしいから、ただの脅しではないだろう。因みに、その生徒は未だに病院を出られないらしい。

 新学期には、どんな仕打ちが待っているか。




 そこまで考えて、男子校に『女子』となった嘉一が通えるわけがないと気付く。嘉一は我ながら鈍臭いなあ、と安堵の溜息を漏らしつつ自嘲した。


 見舞いに来た両親に転入先はどうなるのか、と確認したところ、母親はにっこり笑って。


「今の学校、そのまま通えるわよ」




 母親曰く、転入手続きのため学園の事務局に連絡した際『共学化のテストケースとして在学し続けてほしい』と依頼されたそうだ。慣れない環境で一からやり直すよりいいだろう、と楽観的に受け止めた模様。

 一方父親は、もうすっかり『娘をもつ男親』の顔だ。若い男の集団に、嫁入り前の娘一人で生活させるなんてとんでもない、全寮制ならば尚更だ、と憤慨していた。嘉一もその通りだと思う。


 しかし東雲家では母親がヒエラルキーの頂点だ。逆らえるわけがない。






 斯くして、嘉一は『女子』として男子校へ戻ることになったのだ。

 『TS』『脇役』『嫌われ』。

 好きなものを詰め込んでも美味しくなるわけではないのは重々承知しておりますが、実験的にやってみたかった。


 鰻とケーキとカレーの食い合わせは下手物になること必至ですけど、挑戦者がいたっていいじゃない。

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