九月一日のこと、教室
嘉一は渡されたごみ、元々はラッピング材だったものを見下ろす。『好きな人がいるふり』に過ぎなくても、動機は嘘でも。
本当に好きな人に渡すものなら、どんなものにするべきなのか。本気で悩んで、ラッピングにこだわって、メッセージカードまで書いて。
ただの思い付きから発展した計画で、渡す宛てのないプレゼントにメッセージまで付けるなんて恥ずかしいと理解しているけれど。それでも。
一袋だけ残ったマカロンを出して、ごみを紙袋へ。マカロンはどうしようか迷って、片手で持つことにした。これから食べるものと食べ終えた包装を一緒に紙袋に入れるのは、何となく嫌だ。衛生面ではなく、嘉一の感覚的な問題だ。 鞄には、袋に包まれているとはいえ靴も入ってる。普通に不潔。
仕方なく手持ち、という措置だ。何日かは大丈夫だから、と桃津郷あたりに渡してしまおうか。もしくは自分で食べてしまうか。
会長らは書記から渡されたのを口にしたけれど、あれは転入生の前だったから。通常時なら、嘉一が作ったものなんて食べるわけがない。転入生が見てないところで捨てられるのがオチだ。
軽くはないダメージを負ったが、収穫はあった。嘉一に『本命』がいることを印象付けられたし、特に誰も疑ってはいない様子。
しかも、この作戦は繰り返せる。次はタルトでも作ろうか。
嘉一が理不尽な待遇なのは今に始まったことじゃないし、踏み潰されなかっただけマシだ。そう自分を納得させていると、誰かの視線が手元に注がれている。
「僕らにはないのかな?」
「……副委員長様、」
あることはある。一袋だけ、嘉一の手作りという、副委員長が欲しがるわけがない代物が。
副委員長はこれを要求しているのだろうか。いや、まさか。
嘉一のことを心底邪魔だと思っていて、事あるごとに痛め付けようとする副委員長が、嘉一の手作りの品を食べたがるなんて。
そんなの、あるはずない。
少し悩んでから、嘉一は頭を下げた。
「……すみません、買ってきます」
「それは護衛の僕も動けと?」
「いえっ、副委員長様のお手を煩わすつもりは……」
ぶんぶんと首を横に振る嘉一は、副委員長を動かさずに食べ物を用意する手段を考えた。恐らく嘉一が用意する義理なぞないはずだが、大人しく従っていたほうが得策だ。夏休み前の経験から学習済みである。
「……寮に帰ってからコンビニで買って、明日お渡しします」
「……顔が平凡なんだから、せめて頭も平凡だったらよかったのに」
副委員長は嘉一の手からマカロンの袋を奪った。
「あっ」
一つ取り出して齧る。
「……光に食べさせるには及第点かな。平凡にも一つくらい特技があったってコトだね」
なるほど、転入生と同じものを食べたかっただけか。何とも可愛らしい動機だ。副委員長の言動は可愛らしさのカケラもないが。
次は余ってもいいから多めに用意しておこう。また書記に食べられることも考慮して、『本命用』も。
ぞろぞろと転入生たちは教室に入る。間もなく担任の金井戸が来て、ホームルーム中取り巻きたちと転入生を取り合うだろう。必要な連絡事項などは最後に早口で通達。酷い時は一枚プリントを渡すだけ。
どうせ今日も、そんな風にホームルームが行われる。夏休み前が毎日そうだったように。
プリントで渡されるのは困る。クラスメイトにも嫌われている嘉一の手前で、情報が止まるのだ。
幸い転入生には金井戸から直接連絡を受けるので、それを横で聞いて前の学期はやり過ごした。だが、今まで可能だったからと言って、次も通用するとは限らない。
転入生は嘉一の『ボディーガード』として纏わり付くつもりのようだが、風紀以外の取り巻きたちが許容するとは思えない。『異性愛者』を自称する転入生から『異性』を離したがるのは自明の理。
何かしらの策を講じなければ。
転入生らに続いて嘉一が入室すると、注がれていた嫌悪や憎悪の眼差しが驚愕に早変わり。夏休みを境にクラスメイトが『女装』してきたら、きっと嘉一も同じく驚くだろう。クラスメイトたちは風紀委員長らに遠慮してか、ちらちらこちらを窺うだけで何も言わない。居心地悪さに、視線が下がる。
転入生を中心に取り巻きたちが騒いでいる。嘉一は窓際から2列目、後ろから2番目の自分の席に座って、何をするでもなくじぃっと机の木目を数え始めた。
明らかな現実逃避だった。
「……―――でさぁ!○×△は$%#&で◎□▽∽だろ!!なあ嘉一!!」
「………………え?」
いきなり話を振られた。転入生の声は嘉一には聞き取りにくく、気をつけなくては聞き漏らしてしまう。多分周波数の問題だろう。
嘉一は曖昧に笑って見せる。
「……そうだね、」
頷くだけで明確な返答をしていないはずだが、転入生は自分に都合よく解釈したようだ。
「だろ!」
嘉一は笑ったまま続ける。
「……ごめん、やっぱりよくわかんない」
明確な意思表示は危険だ。オブラートに包んで曖昧に。
転入生は不満げな様子を隠そうともしない。
「なんでだよ!!嘉一はホントに∽▽@>◎&#―――!!」
聞き取る努力を早々に放棄した嘉一は少し首を傾げて、ぼんやりと転入生を眺める。
全く理解できないが、転入生は意外と未来に生きているのかもしれない。
これは未来語、うん、あんまり不快じゃない。
新たな処世術を生み出した嘉一だが、話し掛けてくるのは転入生だけではなかった。
「平凡!どっちがどっちかわかる?」
「光は言っちゃだめだよ!」
庶務らは嘉一の机の前に二人並んで立つ。先程まではそれぞれの口調で話していたのに、今度は語尾を伸ばさず癖を隠している。よく見れば傷んだ髪の毛は切っていて、内出血があった右手の薬指や位置のズレたピアス穴には絆創膏。リップクリームは以前と色が違うし、肌はファンデーションでカバー。涙ぐましい努力だ。
嘉一は困ったら笑う日本人らしさを遺憾無く発揮した。
「……すみません、わかりません」
双子の片方が得意げに口元を緩め、もう片方が言った。
「残念、僕が帷だよ!」
「「えっ?」」
双子の片方と嘉一の声が重なった。続いて転入生の声が鼓膜を貫いた。
「朔!嘘はだめだろ!?」
「うん、ごめんね!……嘘はだめだよねぇ、平凡?」
双子の片方―――兄の朔が嫌な笑みを浮かべる。嘉一が肩を震わせたのと同時に、弟の帷もそっくりな表情を作る。
「……で、どこが違うのー?」
机の木目を数える作業に戻りたい。
「……いえ、お二人とも瓜二つで、」
「で?どこなのぉ?」
嘉一は言い訳すら、最後まで言わせてもらえないのだ。
「違うのはー?」
「……瞬き、です」
観念した嘉一が発した一言で、朔が帷に向き直る。
「帷、我慢しなきゃダメじゃん」
「無理だよー!朔がわざと瞬きしたらいいだけじゃない?」
二人が責めるというには和やかな言い合いをしている。別にそれは構わない。ただ、嘉一とは離れたところでしてほしい。
木目を数える作業に没頭していますというポーズで、嘉一はこっそり身を縮こませた。




