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箱庭に雛  作者: 安宅
新学期
17/26

九月一日のこと、遭遇

 校舎に着き、副委員長は自身の靴箱へ向かう。嘉一も自分の靴箱を、―――スルーして鞄から上履きを出した。今の嘉一の状況を鑑みれば、靴箱に靴を入れるなんて、ごみ箱にそのまま放り込むに等しい。昨日下したばかりの女子用の上履きを入れていた袋にストラップシューズを包んでから履き換える。


 女子用の上履きは、男子のそれとは全くデザインが異なる。男子用の上履きは白いスニーカーだが、新しく女子用に採用された上履きは白いバレーシューズ。ちょっとダサいし、昨日も履いたとはいえ、まだ慣れなくて違和感。

 丁度履き終えたところで副委員長が戻ってきた。副委員長は嘉一の様子をちらりとだけ窺って、すぐに教室へと進む。嘉一は目を伏せて後に続くだけだ。




 廊下には早めに登校した生徒がちらほら歩いており、嘉一の姿を認めた皆が戸惑っている。副委員長がいるため表立って騒ぐ生徒はいないが、ザワザワと声がした。

 それはそうだろう、何せ学園一の嫌われ者が女装して、風紀副委員長に引率されているのだ。状況を察した者が皆無なのも当然。副委員長は意に介さず涼しい顔で廊下を闊歩し、嘉一は下を向いて早足。

 階段を3階まで上って、すぐの教室が2年Bクラス、嘉一と転入生の所属するクラスだ。



 この学園は時代錯誤甚だしく、クラス分けの基準に成績や生活態度のみならず家柄まで関係している。上から、S、A、B、C、D、Eと分けられており、嘉一はBクラスの下位。家柄や成績の不足は生活態度でカバーしている。転入生の取り巻きのほとんどはSクラス所属。同じクラスの桃津郷はスポーツ特待生のため家柄と成績が足を引っ張り、一匹狼の不良、灰田川(はいだがわ)真墨(ますみ)は生活態度がどうしようもなく悪かった結果だ。転入生は成績、家柄には問題ないが親衛隊幹部が所属しているS、Aクラスは危険と、転入生と懇意にしている理事長が勝手にBクラスにしたとか。



「あーっ!!!」


 びくりと肩が震える。ばたばたと煩い足音と、それ以上の騒音。


「嘉一!なんでそんなカッコしてんだよ!!ちゃんと制服着ないといけないんだぞ!!」


 転入生、虹ヶ丘光。

 嘉一の平穏を奪った、あらゆる元凶だ。



「虹ヶ丘くん……」

 転入生は取り巻きたちを残して、一目散に嘉一に駆け寄ってくる。ぶつかる寸前で止まったが、近すぎる距離に不快感。思わず上体を反らした。


「なんで部屋替わったの言わないんだよ!!親友の俺に隠し事するなんてサイテーだぞ!!それに嘉一、なんでスカートなんだ?!ちゃんと制服着なきゃダメだろ!!」

 

 転入生はまだ、嘉一が女性だと知らないらしい。嘉一は何と説明しようか頭を悩ませた。



 嘉一が危惧していたのは、まさにこの状況だ。転入生に『女』として近付いてしまう。男のときですら取り巻きたちによこしまな目的で近付きたがっていると誤解されていたのだ。よこしまな感情は同性に抱くより、異性に抱くほうがずっと自然だ。

 この不純同性交遊が蔓延る学園でも、女は男に好意を抱くもの、という前提がある。両性愛者もいるからだろう。

 尚、女性と女性が付き合うという概念はないらしい。勝手なものだ。




 嘉一は何と言えば誤解を招かないか、もしくは転入生に近付かなくて済むか、目を少し伏せて考えた。けれど、全く引き出しから出てこない。そもそも仕舞っていなかった。


 嘉一は諦めて、口を開く。

「……虹ヶ丘くんの連絡先、知らないから……」

「なんだ!そーだったのか!俺のケータイ聞き忘れるなんて嘉一も仕方ねーな!!」

 知りたくなかったし、転入生が嘉一の連絡先を聞かないのをいいことに、あえて忘れたふりをしていたのだが。

 そんな言い訳は、転入生には通用しないけれど。


「あっ!制服ちゃんと着ろよ!」

「……あとね、僕、女の子になったよ」

「うん?」

「女の子になって、共学化のテストケースになったの。だからこれが制服なの……」

「うん?!」


 流石に予想外だったのか、転入生は分厚い眼鏡の奥で瞬きを繰り返す。

「さっ、」

「虹ヶ丘くんはっ」

 いつもの『サイテーだ』を繰り出されたら、嘉一に対する仕打ちは悪くなる一方だろう。

 転入生を嫌いながらも、嘉一が少しでも安全に学園で過ごすには、転入生を利用するしかない。


 たとえ、嘉一の平穏を崩した張本人でも。



「虹ヶ丘くんは、性別で差別するなんて、酷いことしないよね……?」

「あっ、当たり前だろ!!」

「そうだよね……、変なこと言ってごめんね?」

「おう!許してやるよ!!」


 実は単純で猪突猛進な転入生は、意外に操作しやすい。行動自体は制御できなくても、思考を方向付けることは容易いのだ。


「……あのね、ちょっとお願いがあるの」

「なんだ?!言ってみろ!」

「うん……。これからちょっと距離置いてほしいな、って」

「なっ?!」

「僕、不純異性交遊禁止だから……」

「俺と嘉一は親友だろ?!オカシーじゃん!!」

「……でも、虹ヶ丘くん、よく『ホモじゃない』って言ってるよね?」

 美形侍らせてるくせに。向けられる好意を拒絶しないくせに。けれど、応えようともしないのに。



「俺はホモじゃない!!」

 お決まりの言葉に、嘉一は自分の予想通りにコトが進んでいると確信する。


「……だからね、僕、女だから。そういうのじゃないって言っても、虹ヶ丘くん女の子がいいって自分で言ってるし、」

「だから!!」

「不純異性交遊って思われたら、学園にいられなくなるの。虹ヶ丘くん、お願い……」


 嘉一は少しだけ高い位置にある転入生の顔をじっと見つめる。造作が整った者なら色仕掛けになるだろうが、生憎嘉一は自身の容貌を熟知している。


 嘉一が訴えるのは、転入生の『正当性』だ。

 正確には、『正しくありたいという独善的な価値観』。



 転入生は自分が世間一般で言う『正当』『普遍』であり、この学園は『特異』で『異端』な空間だと認識している。そして、その価値観に絶対の自信を持ち、周囲にも強要する。



 要は、その価値観に嘉一の要求を添わせればいい。

 どこまで転入生と離れられるかはわからないが、距離を置きたいという主張はできた。これで親衛隊を多少大人しくできれば御の字。転入生と完全に離れられれば儲けもの。




「……わかった!」

「虹ヶ丘くん、」

 うまくいった、と嘉一は内心手を叩いて喜んだが、



「危ないからボディーガードとして側にいてやるよ!!」




 こういうのを、『斜め上をいく』と言うのだろうか。




「そ、それは風紀の仕事だからっ、」

「藤緒や梓だけじゃ心配だ!!安心しろ、俺結構強いんだぜ!!」



 転入生と離れている方が安全だと、何故理解してくれないんだろう。


 嘉一は、心の中で叩いていたはずの両手で頭を抱えた。

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