九月一日のこと、登校前
ぴ、ぴ、ぴ、ぴぴ、ぴぴ、ぴぴ、
騒々しい目覚まし時計のアラームが鼓膜を叩く。
起きたくないけれど、今のうちにアラームを止めないと。放っておいたら次第に音が大きくなる設定なのだ。
ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴぴ、
手を伸ばしてアラームを止める。再び下りそうになる瞼を必死にこじ開け、ベッドから起き上がる。
今日から新学期だ。
始業式への出席は自由だが、その前のホームルームには出ないといけない。登校時間は変わらないのだ。つまり、『共学化のテストケース』の説明前から、女子制服を着て人前に晒される。
文化祭やイベント時ならともかく、今日は始業式で仮装をする行事ではない。傍からはただの女装趣味の変態だ。小さな配慮に欠けるのは男性職員ばかりだからなのか、単に嘉一相手だからか。近頃気分が沈み気味な嘉一はきっと後者だと予想した。
試作制服第三弾はAラインの水色のワンピース。丸襟の部分は白くて、胸元には赤い刺繍が施されている。試作制服の中で最も私服っぽい。
用意していた小さな花の飾りが付いたピンを探しかけて、クローゼットに片付けたことをすぐ思い出す。クローゼットを開ける気になれなくて、最低限梳かすだけにした。着飾るのは自分の為で、褒められるのが目的ではないけれど、貶されれば傷付く。
夏休み前は毎日転入生が、取り巻きを引き連れて迎えに来ていた。今日からまた、ドアを乱暴に叩く音に怯える日々が始まるのか。
転入生の脳も茹だって、嘉一のことをすっぱり忘れてくれないかな、と詮もない妄想。もしくは夏休みを境に部屋替えしたことを知らず、前の部屋に行ってくれればいいのに。生徒会が『テストケース』の部屋くらい把握しているだろうから無理に違いないが。
ご都合主義は現実には存在しないのだ。
ピンポーン、
インターホンが鳴る。
おかしい。転入生はインターホンなんて文明の利器は使用しない。
猫の置き時計と腕時計を交互に見比べたが、夏休み前の転入生が来ていた時間より20分も早い。ホームルームの時間は通常時と変わらないのに。
とにかく身支度は整っているから、このまま登校しよう。ドアを開けた。
「……平凡ちゃん、ホントに女の子になったんだね~」
「会計様……?」
そこに居たのは、生徒会会計、黄海川琥珀が一人だけ。
会計は軽薄そうな見た目そのままに中身も軽薄で、おまけに下半身までだらしないとの噂。彼の親衛隊員は『性的なお友達』関係の輩が多いらしい。
明るい髪を無造作にセットして、制服を着崩している。へらりとした笑顔が印象的。
「ちょっと付き合ってくんないかな~?」
「……はい」
そして、転入生の取り巻きの中で唯一、嘉一を庇った人間だ。
部屋のドアに転入生対策として『先に行きます』と貼紙をしてから、裏を掻いて室内に会計を招く。
「すっごい少女趣味!目クラクラしそ〜!」
「………」
けらけら笑う会計について、嘉一はよく知らない。
ただ、会計は嘉一への虐めを見つけると消極的に咎めたのだ。
『平凡ちゃん女の子みたいだから、イジメとか気分悪〜い!俺の見てないトコでやってよ〜』と。
見ていないところで何をされているかは気にならなかったようだが、見付けると必ず止めてくれた。嘉一の目的に自分は含まれていないと理解している桃津郷ですら手を出さなかっただけで、見咎めることはなかったのに、だ(桃津郷の場合、生徒会目当てだと誤解はしていたが)。
嘉一は、何となくだが、会計に一方的な親愛を抱きつつあった。
会計の方は知らないが、少なくとも憎んではいないだろう。
……―――だからこそ、この居心地の悪い視線の意図を、嘉一は察せられなかった。
「……会計様、」
「平凡ちゃん、ちょっとこっち来てくれる〜?」
会計がへらりとした笑顔で言う。口調はゆったりと、けれどどこか焦っているようで、嘉一は固まった。
「……じゃ、俺が行くね?」
ぐっと距離を詰められる。
「……ぁ、」
「はい、ぎゅ〜」
抱きしめられた。
額が会計の肩に当たる。爽やかな香水の香り。親衛隊員ならばうっとり目を細めるだろうが、嘉一の精神は恐慌状態だ。
何がなんだかわからない。
離れようにも、意外に力の強い会計にがっちり抱きしめられて動けない。
嘉一にとって何倍にも感じられた数分だったが、徐に会計が身体を離した。
「……会計様、」
目が合った会計は、へらりと笑って。
「……ん〜、平凡ちゃんムカつく〜」
顔だけは笑って、泣きそうな目と声で言った。
「………」
それに即座に最適な反応ができない嘉一は、やはり未熟な人間だ。




