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午後5時、ベッドに臥せていたらいつの間にか時間が経っていた。そろそろ夕飯の支度に取り掛からなくては。
のそりと起き上がって伸びをする。背骨がぽきっと小気味よい音を立てた。
視界の隅に入り込んだ皺くちゃのストラップスカートとブラウスを、努めて意識から排除する。
嘉一に可愛らしい制服が似合わないのくらい、分かっていたことじゃないか。髪留めの色を合わせたり、馬鹿みたいだ。
制服に合わせたカチューシャもヘアピンもクリップもバレッタも、収納ボックスから出して、制服の上に投げた。コツン、コツンと布越しのフローリングが音を立てる。
それらをぐちゃぐちゃに丸めてごみ箱へ、……放り込もうとしてできなくて、結局クローゼットに投げ込んだ。
全部可愛くて、昔からずっと憧れていた『女の子』の装い。
未練がましい嘉一は、潔く捨てることができない。
ヘアアクセを全て除いた収納ボックスを片付ける。空っぽのボックスが鎮座する半端な風景に耐えられなかった。
小さなボックスをどうするか少しだけ考えて、ベッドの下の隙間に放置。見えないように、奥へ奥へ。手を伸ばして、小さなボックスがもう二度と嘉一の眼前に現れないように。無理だろうけれど、完全に忘れ去るまで出て来ないように。
ぷるるるる、ぷるるるる、
内線電話が嘉一を呼び立てる。嘉一の部屋の内線電話を鳴らすのは、いつも歓迎できない人物だ。
嘉一は平伏のような姿勢からのろのろと身体を起こし、受話器を手に取る。
「……はい、東雲です」
『金井戸だ』
「……はい」
ほら、やっぱり。
『風紀委員会室には行ったか?』
金井戸が切り出した。行ったことは行った。入室はしていないが。
「はい……、委員長様方とお会いしました」
指示されたことは、きちんと果たした。嘉一が金井戸に内線電話で言い付けられたのは、風紀委員会室へ向かうことのみ。本題を話す前に嘉一を帰したのは風紀委員長、副委員長で、嘉一自身に非はないはずだ。
ただの言い訳だけれど。
『……風紀委員長から、お前が来なかったって苦情がきてんだよ』
「……そうですか」
風紀委員長の嫌がらせか。彼の嗜虐趣味の片鱗を見せられた身としては、正直杜撰で規模が小さいと感じざるを得ない。
この嘘ももっと広範囲であれば、嘉一の胸を抉っただろう。
こんなしょうもない嘘でも、嘉一を信じてくれる人はきっといないだろうから。
『それはともかく、明日の始業式で全校生徒に共学化のテストケースについて説明がある』
「……はい」
『始業式には出席してもいいし、しなくてもいい』
「……はい」
『風紀からはもう一度連絡があるかもしれねーから注意しておけ』
「……はい」
『体育の授業カリキュラムについては明日の放課後、体育科の妹尾先生に直接相談しに行け』
「……はい」
『更衣室についても風紀と体育科とで相談しろ』
「……はい」
『それと、……あー、問題があったら、担任の俺に言え。『テストケース』に何かあったら俺の評価に関わるんだ』
「………………はい、」
最後は、たっぷり間が空いてしまった。
ホスト染みた服装に、教職者に相応しいとは言い難い言動、転入生への贔屓を隠さず臆面もなく『光は自分のモノ』と公言しておいて、今更評価も何もないと思う。転入生が来る以前から問題のある教師だったけれど、一生徒を誘惑するのは倫理上どうなのだろう。
それにしても、金井戸は自身も嘉一にとっての『問題』だとは考えなかったのか。
あるいは、『共学化のテストケース』への仕打ちとして表に出たらまずいから、今のうちに機嫌を取っておこうという魂胆か。……邪推すれば、『テストケース』からのの不満を自分のところで握り潰し、遠回しに嘉一を虐げるつもりかもしれない。
多分嘉一は、何か問題が起きたときに金井戸を頼ることはない。
期待を裏切られるくらいなら、最初から一人きりのほうが、まだ耐えられる。
『……おい、お前聞いてんのか?さっきから同じ返事しかしてねーだろ』
「……すみません」
『俺が今言ったこと復唱してみろ』
「……『始業式の出席は自由』と『風紀からの連絡に注意』と『体育の授業カリキュラムについて、明日の放課後に妹尾先生に相談しに行く』と『更衣室については風紀と体育科とで相談』です」
『問題があったら金井戸に言う』は意図的に除外。
『……ちっ』
金井戸があからさまに舌打ちした。
それから、小言めいた説教をされて、電話は一方的に切られた。時計を見れば、かれこれ30分は話していたようだ。
金井戸からの連絡の半分以上は、以前から知らされていたことだ。
単に嘉一の記憶力を信用していないのか、難癖を付けたいだけか。
きっと両方だろう。
これにて夏休み編終了。
次話より新学期編です。




