あんみつ
新幹線が通る駅だとは思えないほど、那須塩原駅は閑散としていた。
駅を降りてすぐ右側にうどん屋さんがある。
そこで松本と待ち合わせていた。
熱いお茶と、あんみつを頼んでから、那須についたことをメールする。
泣いているのか笑っているのかわからない、微妙などんよりとした天気が、
私の今の心模様をあらわしているようだ。
自分のカフェを作り上げるという仕事は、思った以上に私を支えていた。
昔のように、ただ家にこもっていたのなら、私の精神は崩壊いていたと思う。
なによりも、経済的に自立できているという事実が、
思った以上に自分の心に安定をもたらしていた。
万が一夫に本当に捨てられても、食べるのには困らない。
もっとも、離婚に際して夫はこちらが引き腰になるほどの金額を提示してきているが。
どうしたのだろうと思う。
奥村の言うとおり、夫はおかしくなっているのかもしれない。
昔の夫なら、このような交渉の仕方はしなかった。
夫は慎重にこちらの顔色をうかがい、自分が優位に立っていると思わせ
交渉をスマートにまとめてきていた。
北風と太陽でいうところの太陽だ。
今の夫は、完全に北風になってしまっている。
金に物を言わせ、強引に何かを迫るなど、夫のやり方ではないのだ。
そして、私はそのやり方に反発し、離婚を拒否している。
私は夫を愛している。
ほんとうに?
北風に反発する旅人のように、かたくなになっているだけなのかもしれない。
あんこの優しい甘みが口の中に広がる。
おいしいものは心を癒す。
夫を癒したくて、元気にしたくて料理を作ってきた。
その特技が、今私に自信を与えてくれている。
ただの主婦が唯一誇れることだ。
若手の陶芸家たちの作った器でお弁当を作る取り組みは、
夕飯時のニュースで流れると、瞬く間に大反響を呼んだ。
陶芸家たちには50個作品を納品してもらう。
私はそれが引き立つようなメニューを考える。
1日限定10個のお弁当だが、若手の陶芸家を売り出すいい宣伝になった。
今後もこの取り組みは続けていくが、カフェをリニューアルオープンするにあたって、
どうしても器が足りなくなった。
若手たちの器も週替わりで使っていくが、
メインとなる器を、オーナーが発掘した陶芸家に依頼することになった。
脱サラして陶芸家になった彼は泣かず飛ばずのところをオーナーに見出された。
ブティックに並べるようになると、瞬く間に売れるようになった。
いくつも賞をとり、その作品は高値で売買されている。
なんでも、おねぇ系で独特な個性を持つ華道家が作品に使用したところ人気が出たようだ。
それがこれから待ち合わせをする松本だった。
「こんにちは」
日に焼けた、Tシャツにチノパンというラフな格好の男が話かけてきた。
40歳半ばだと聞いていたが、30代でも十分通りそうなほど若々しい。
夫もそうだが、年をとって見えないというのは本当にうらやましい。
もっとも、私も髪を染めてから娘に若くなったと誉められた。
今まであまり手を掛けてこなかったが、
しっかりとカットしてもらったからかもしれない。
「はじめまして。」
私はあわてて席を立つ。
「座ってください。あ、僕にもあんみつ一つ。」
以外に甘党なのかもしれない。
甘いものを食べるとすぐに胸やけをする夫と比べて、思わず笑みがこぼれる。
「だいの甘党なんです。お恥ずかしい。」
そう頭をかきながら照れる彼は本当にかわいいと思う。
「わざわざお越しいただいてすみません。本当は僕が東京へ行けばいいんでしょうが、
どうも東京が苦手でしてね。東京の駅は迷路みたいでしょう。妻にもよく馬鹿にされたものです。」
熱いお茶が彼の前に置かれる。
「いいえ、私も新宿駅とかはよく迷います。
行くたびに、駅の構内が変わっているんですもの。」
熱いお茶と格闘している彼に笑みがこぼれる。
私も猫舌なのだ。ここのお茶は熱すぎる。
「那須はいいところですね。
実は初めて来たんですけど、涼しくてびっくりしました。奥様も?」
幾分さめたお茶をすすりながら松本に尋ねる。
「いえ。サラリーマン辞めた時に妻とは別れましたから。
よくできた妻だったんですが、うだつが上がらない夫にうんざりしたんでしょうね。
そのうえ脱サラだ。子供たちとかローンはどうするんだってね。」
彼は楽しそうに明るく話す。
なるほど、確かに彼の奥さんの気持ちはわかる。
夫はまじめ、誠実を絵に描いた男だったため、経済的な心配は一切なかった。
まじめ、誠実に関しては今になっては疑問符だらけだが。
「まあ、なんとか陶芸で食っていけるようにはなったんですがね、
子供も妻も付いてきてはくれませんでした。あたりまえですけどね。」
目の前に置かれたあんみつがすごい勢いでなくなっていく。
「いやね、テレビをつけていたら、おいしそうなお弁当特集をやっているじゃないですか。
アー食べたいなぁなんて思っていたら、次の映像であなたが作ったお弁当に心をがっつりつかまれました。」
脱サラして、田舎でこもりっきりで作品を作っていると聞いたので、
どんな頑固な変わり者だろうと思ったら、ずいぶん人懐っこい人だった。
なんて答えていいのかわからず、曖昧にありがとうございますと笑う。
「あ、お世辞じゃないですよ。本当に、器が生きているみたいだった。
最高に輝いて見えたんですよ。」
スプーンを握りしめて熱く語る。
コメントはプロの陶芸家だが、微妙に間抜けだ。
「どこの弁当やかと思ったらオーナーさんの店なんだもの。
思わず電話をかけたわけですよ。
そしたらカフェ計画のことを教えてくれてねぇ。
是非僕の器を使ってほしいってお願いしたんです。」
オーナーはそんなに前から、カフェを計画していたのかと驚く。
おなかいっぱいで入らなかったあんみつを彼がちらちらとみている。
残りものだし失礼かなと思いながらも食べます?と聞くと
全開の笑顔で自分の空になった器と取り換える。
彼の車にのり閑散とした駅付近を離れると
数々の美術館や博物館の看板が見えてくる。
大きな川の橋を渡り、チーズミュージアムを通り越し、
大麻博物館なる物々しい看板が見えてきたあたりで左折する。
小さなコテージや、土産物店が立ち並ぶ賑やかな通りをすぎると
ひっそりとした森の中に入る。
コンクリートで舗装されていない道を進むとかわいらしいロッジが見えてくる。
「ここがアトリエです。」
なるほど、裏に小さな煙突がついた建物が見える。
あそこが窯なのかもしれない。
アトリエに入ると色々な器が並んでいる。
適当に置いてあるようにみえて、そこでないといけないと思われるような絶妙な配置。
ちょうどいい大きさのまあるい器を見つける。
これにサラダを盛り付けたらちょうどいいに間違いない。
「気に入りました?」
彼がお盆の上に鈍色のカップを乗せて持ってくる。
「あ!それ!」
そう、いつも私が愛用している、鈍色の、光沢のあるいびつな形のそれだった。
「ああ、オーナーも使ってくれているからか。
そうですよ。あの店のオーナーのカップは僕が作ったんです。」
カップなのに、つめたい。
アイスコーヒーを入れてきてくれたようだ。
「ペアだったので、もうひとつは私が使っているんです。
すごく手になじんで、愛用しています。」
ミルクを入れながら答えると彼がうれしそうに笑う。
「うれしいですねぇ。じゃあ、どういうイメージの器がいいか教えてくれますか?」
商談が始まる。
値段は材料代だけでいいと言われたが、そうもいかないだろう。
だが、こちらが欲しい器の形と数を具体的に話していく。
こうして那須の出張が終わる。
「あ、カフェのオープンの日は僕も東京に行きますよ。」
帰りの車でハンドルを切りながら彼は話す。
「なんだか、雑誌とかの取材があるから来いってオーナーにいわれましてね。
僕を発掘してくれたのはあの人なんで、頭が上がらないんですよ。
久しぶりに東京に行きます。オープン楽しみにしているんで。」
言葉通り、カフェのオープンは華やかなものになった。
おねぇ系の華道家が、松本が作った器だということで遊びに来てくれ、
ついでに目に付いた花器に花を生けてくれたのだ。
これには私はびっくりし、オーナーは大喜びだった。
雑誌の記者にたのまれて、カフェの名物となったお弁当と
オーナー、そして松本に囲まれ写真を撮る。
緊張して顔をこわばらせていると松本がそっと肩をたたく。
「顔が、僕のいびつな器みたいになってますよ」
とジョークを言うかれに思わず声をあげて笑ってしまった。
25年、夫と生きてきた。
老後も当然夫と二人で、穏やかに過ごしていくものだと思っていた。
たくさんの笑顔に囲まれ、私にもこんな未来があったのかと。
そして、これからももっといろいろな選択肢と未来があることを感じた。
もう45歳だ。でも、まだ45歳なのだ。
夫は今日は何を食べているのだろう。
おいしいと思えるものを食べていてほしいと思う。
後書き 最初、軽井沢にしようと思ったけど、
男の名前を松本に決めてたから長野はまずかろうと笑
急きょ那須塩原に。
物語は中盤。
今回、描写が多くてちょっとダレたかも。
あんまり余計な事書きたくなかった。
進まない物語は好きじゃない。
がっと書きあげます。が、月初の給料計算でてんてこ舞い。
UPするのに時間がかかるかも。
会社で更新するわけにいかないしね。。。