菓子パン
妻がお弁当を作らなくなった。
今日も味気ない菓子パンを齧り仕事に向かう。
自分は何をしたいのだろう。
大学を卒業し、小さいながらに活気のある商社に入社した。
特段仕事ができるわけではなかったが、教えられたことを堅実に行なう僕を
上司は高く評価してくれ、若いうちから仕事を任せられてきた。
年功序列の会社で、入社3年めの私が主任に抜擢されたのは着実に上げた成果を評価されたからだ。
そんな会社に初めて女性総合職で入社してきたのが、高柳だった。
上司は私に彼女の教育係を命じ、私は始めて部下を持った。
彼女は当時の日本人としては新しい考え方の人間だった。
行動も、言動も派手で、だけど、誰もが彼女の実力を認めていた。
その場に居るだけで、ぱっと場が華やぐ。
私が彼女に恋に落ちたのも自然な成り行きだった。
次々と派手な功績をあげ、彼女は営業企画の主任に抜擢された。
当時は異例のことだった。
彼女は私の部下でなくなり、ようやく同じ土俵に立てるね、と笑った。
彼女は綱渡りのような手法で仕事を進める。
一歩ぐらつけば、あぶない。
それを絶妙なバランスで潜り抜けていくのだ。
しかし、そんな綱渡りのような人生を楽しむ彼女についていけなくなってきたのも事実だった。
彼女が社長にたてつき、辞表を出した時、彼女と私は終わった。
彼女は私よりもキャリアを選んだのだ。
留学に行く彼女を私は止めなかった。
周りから、好奇の目で見られることに疲れ果てた頃、
私を癒してくれたのが妻だった。
優しく、繊細で、私が居ないと生きていけない。
そんな雰囲気に恋に破れた私は癒されたのだ。
バブルがはじけても、堅実な経営をしていた会社は堅実に不況を乗り越えることが出来た。
家庭が出来、私は更に仕事に打ち込み、堅実に成果を出した。
長女が大学に入学し、長男も高校に進学した頃、私は自分の人生をむなしいと感じるようになった。
優しい妻を持ち、特別親と対立することのない、優秀な子供を持つ。
仕事でも、良い部下に恵まれ、責任のあるポジションに居る。
何かの本のような、代わり映えのしない、堅実な人生。
私の人生には冒険が足りなかった。
最初で最後の冒険が、高柳と付き合ったことなのかもしれない。
そんなことを思い始めた頃、サブプライムローン問題から発生したリーマンショックが会社を襲う。
会社の建て直しの大プロジェクトに、私は抜擢された。
そして、大手メーカーの部長職にのし上がった高林と再開したのだ。
50歳に手が届く年齢の彼女だが、驚くほど若く見えた。
内側からあふれるエネルギー。
若い頃は、いきがっているようにしか見えなかった言動も、
確かな実績から来る自信にあふれ説得力を持つものになっていた。
「お久しぶりね。」
彼女の顔によく似合うルージュがやけに目に付く。
「ずっとあいたかったのよ?」
年を感じさせない彼女の目に吸い込まれる。
「この後、飲みにでも行かない?」
マニキュアをきれいに塗った爪が私の手に絡まる。
「どこがいい。」
私は彼女に、落ちた。
ホテルでは、高校生に戻った、とは言いすぎだが、
妻には感じない興奮に身を任せた。
年相応に男性を経験した彼女の手練手管に負けそうになる。
ギリギリのバランス。
長年感じることの出来なかったスリル。
遠い昔に感じた恋心。
そして、またよみがえる恋心。
最後の恋かもしれない。
年甲斐もなく、と回りに笑われてもいい。
高柳を手に入れたい。
蝶のようにあでやかで、男を翻弄するこの女を手に入れたい。
その夜、私は、はじめて妻をうらぎった。
「部長、今日は菓子パンですか?」
部下の白井がコンビニ袋の中を覗き込む。
妙に居心地が悪かった。
「ああ。最近方々を飛び回っているしね。
妻に迷惑を掛けられないから、買ってくるようにしているんだ。」
部下は無邪気な笑顔で愛妻家ですね~とからかってくる。
白井はいまどきの若者にしては素直で、憎めない性格をしている。
「奥さん、忙しそうですもんね。家のお袋が大ファンなんですよ!」
白井の不可思議な発言に私は固まる。
大ファン?白井のおふくろさんが?
そんな私の疑問に彼はなんと言うこともなく応える。
「またまたぁ~。お袋がいつも買ってる雑誌で今月特集がくまれていましたよ!」
えっと・・・と言いながら、最近会社で全社社員に支給されたスマートパット端末をいじくる。
「ああ、あったこれこれ。これ、部長の奥さんですよね!
年始の挨拶でお会いして以来だけど、髪の毛染められて更にきれいになりましたよね!」
そんな白井のほめ言葉を私は右から左に聞き逃し、
電子画面に大きく写る、妻の笑顔と、味のある器、つい最近まで食べていた、見るからにおいしそうなお弁当を見つめる。彼女の隣には黒髪の、年齢不詳の美女が立ち、その後ろによく日に焼けた、たくましい体つきの男性が立つ。
真っ白い髪で呆然と私を見つめる妻が脳裏によぎる。
わずかに触れた手を振り払い去っていく妻を。
目で人が殺せるのなら、私は妻の肩に手を置く男を殺していただろう。
久々に食べた、菓子パンが胸に焼きつく。
夫目線。
ちょっとづつの更新で申し訳ないです。
年寄りのSEXシーンは微妙だけど。
そもそも、年寄りの浮気の話って。。。
だんだんと話しは進む。