30歳になったら
子供の頃、身近に異性が居たら、それこそお約束のように交わす口約束があるだろう。
「◯◯くんのお嫁さんになってあげる」
「◯◯ちゃんをお嫁さんにしてあげる」
というアレだ。
まぁ大抵の場合守られることもない、ただの口約束。所詮はその程度のもので、別に何か法的な拘束力があるわけでもない。
だがもしも。
もしもこの約束を幼い頃から真に受けてしまったらどうなるだろうか。
『ゆーたくんのおヨメさんになってあげる』
『裕太くん、約束覚えてるよね?』
『裕太、私という物がありながら今日の女誰? 浮気? 許さないから』
『ゆーくん、お願い捨てないで。ね? 話聞いて? 違うの、そんなつもりじゃなかったの』
と、10歳の頃から始まって5年おきにバージョンアップしていて、今年は新たなバージョン、バージョン5がリリースされてしまった。
『約束守らなかったら、ゆーくんの事殺して私も死ぬから』
光のない目で俺を凝視したまま、ニタァと笑っている女が家の中にいる。
おわかりいただけるだろうか、この恐ろしさが。
「弥生ちゃんは一途よねぇ? 裕太も感謝しなさいよ? ここまでずっと想い続けてくれる子なんて他にいないわよ?」
「ありがとうオバさん、私、早くオバさんちの娘になりたい」
「あらやだ、もう娘同然じゃない。ねぇ? 裕太?」
「あー……うん、まぁ……」
母さんの『娘同然』という言葉は、大げさでもなんでも無い。事実その通りだ。
俺が産まれたときから隣に住んでいるこのヤンデレ全開の女性、弥生ちゃんは、所謂幼馴染だ。
弥生ちゃんの家は所謂シングルマザーで、オバサンは病院の看護師さんとして働いている。今も現役ナースだ。
ナースには夜勤があり、とても忙しい。
幼い娘を一人家に残して夜勤に行くのも心配だ、とうちの母さんに悩みを語っていたらしい。
お人好しで知られる母さんは『じゃあウチにいると良いわ。裕太の勉強とか見てもらえると助かる!』と、なぜかノリノリだったそうだ。
そして、おばさんが夜勤のときや遅くなる時には、弥生ちゃんは家にいるようになった。
俺が赤ん坊の頃には、本当に弥生姉ちゃんが俺を抱っこして放そうとしなかったらしい。
俺がまだ0歳で弥生姉ちゃんが5歳の頃、最初のバージョン0である「ねーねがゆーくんのおよめさんだよぉ?」がリリースされた。
ちょうど5歳差になる俺達は、本当に姉弟のように育てられた。
ほぼ毎日家にいるんじゃないかと思えるくらいで、下手すると弥生ちゃんは実母よりもうちの母さんに懐いていたかも知れない。
やがて小学生になり、中学から高校へ進み、大学を卒業した弥生ちゃんが社会人になったとき、俺は高校3年生の受験生だった。
思春期真っ盛りで、受験のストレスがピークだった俺は、この次期はちょっと弥生ちゃんに対して冷たかったと思う。それは反省している。
だが、この冷たかった時期が、弥生ちゃんのヤンデレスイッチを押してしまったようだった。
『お姉ちゃん何でもしてあげるから、ね? お願いだから嫌いにならないで』
と全力で俺に依存するようになってしまった。
ちなみに、弥生ちゃんはいわゆる地味子だが、不美人ではない。メガネを外してガッツリメイクをすれば、まぁまぁ映えるんじゃないかと思う。
取り立てて美人でもないし、貧乳でもない。極端に背が高いわけでも低いわけでもない。良くも悪くも『地味』以外に形容詞が見当たらない。
ただ、中身は結構強烈だ。
受験が近くてイライラしていた俺が少しそっけなくしていたら、突然俺の部屋に入ってきて服を脱ぎ始めた。
『ほ、ほら、お姉ちゃん、ゆー君になら何でもしてあげるし、何でもさせてあげられるよ? だから、だからあの、おねがい、お姉ちゃんのこと見て……少しでいいから、お話したい』
と、泣きながら突っ立っていたこともある。
正直言うと、ちょっと怖い。
俺が大学に入ったら入ったで、毎日1度は『彼女出来たりしてない?』『変な女についてっちゃダメだからね』『ゆー君にはお姉ちゃんがいるんだから』『ね? おねがい、ちゃんとお家帰ってきて? お姉ちゃん待ってるから』と調査が入る日々が続いた。
お陰で俺は大学の4年間を通じて、合コンに行ったことも無いしサークルにも入ったことが無い。
理由は『女子がいるから』だ。
さすがに就職先にまでは口出しすることはなかったけれど、無事に造船のメーカーに就職が決まったときは、泣いて喜んでくれた。
そこからは、毎日1回必ず『で? いつ結婚する?』と当然のように聞いてくる。
地味な外見ながら、毎日のように露出の多い服で家の中や俺の部屋をウロウロされたら、俺の理性も限界を迎えるのは仕方のないことだろう。
むしろ就職するまで我慢出来た俺の驚異的な理性は、称賛に値するはずだ。
会社の飲み会で少し酒が入った状態で帰った俺の部屋で、俺のTシャツだけでベッドに横たわる若い女がいたら、それはもう我慢しろという方が無理な話というやつだ。
ギリギリ『中でフィニッシュ』しなかった俺は、警視庁から表彰くらいはされても良いはずだ。
だが、その理性もそう長くは持たなかった。
今日は土曜日、会社は休みだ。
よし、落ち着いて状況を整理しろ、俺。
ここは間違いなく俺の部屋だ。オッケー、そこまでは良い。上出来だ。
昨日、俺は会社の飲み会を断って、コンビニでポテチを買ってから帰宅した。
冷蔵庫に入っていた発泡酒を開けて、ポテチを喰いながらネットで動画を見ていた。
そこに当然のように現れたのは、俺のLLサイズのシャツだけを来た弥生ちゃん。
『お疲れ様、ゆー君。お仕事大変だったね?』
『肩凝ってるでしょ? マッサージしてあげる。動画見てて良いから』
『え? あたってる? ……うふふ、ダメ?』
『いいよ、ゆー君なら。いつもみたいに可愛がってくれる?』
たしかこの辺りで、俺の顔にやたらと柔らかくて暖かいものが押し当てられた。
酒で動きが鈍った俺の頭に、この攻撃はクリティカルヒットだった。
実家で、1階に俺の両親がいることも綺麗さっぱり忘れて、結構ガッツリやってしまったと思う。
何よりも、ゴミ箱には使用済みのアレがない。そう、アレだ。オトナの男として責任ある行動をしましたよ、という証でもあるアレだ。
「まさか……やっちまったか……」
「んっ……あ、おはよ、ゆーくん」
あぁ、やめてくれ。
その毛布だけで身体を隠して、乱れた髪を恥ずかしそうに指でいじる仕草は俺に効く。
「あっ」
「えっ? な、なに? どうした? どっか痛い?」
「ううん……昨日のが、溢れてきちゃった」
頬を紅く染めた弥生ちゃんがうつむきながら、上目遣いに俺を見上げてくる。
あぁ、やっちまった。
「あ、あのさ、弥生ちゃん、昨日俺——」
「うん、凄かったよ……あんなに一杯愛してくれたの、初めてだった」
にこ、と幸せそうに笑みを浮かべた弥生ちゃんの目だけは笑っていない。
「ゆー君、私ね? 最初は女の子が良いなぁ。それから、4つか5つ違いで男の子。カワイイだろうなぁ……」
あぁ、もう逃げ道は、無い。
愛情はどこからまでが深い愛情で、どこからがヤンデレで、どうなったら狂気に変わるんでしょうか……




