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らしさ不在

作者: TOMMY

今日は紫のタンクトップに緑のトレンチコート、そこにジーンズを合わせよう。誰かに覚えてほしいわけじゃない。ただ、鏡に映る自分が――たとえば本の背表紙みたいに、どこかで一冊分の物語を背負っていてほしかった。そんなささやかな祈りを胸に、僕は出かける準備をした。ギリギリ変質者には見なされない範囲、だと思う。僕は意気揚々と街に繰り出した。


しかし、街なかには渋い白髪のジェントルマンや赤いワンピースに身を包むブロンド美人が闊歩していた。うなじがじんわり熱くなり、街の音が急に遠くなった。自分の服だけが、やたらと浮いて見えた。ショーウィンドウに映った“へんちくりん”に肩を落とすと、胸の中の小さな期待がひとつ、しぼんだ。目立つだけでは僕の目指す「らしさ」にはならない。だが、諦めるつもりはない。僕は次の手を考えながら、高級そうな洋服屋へ向かった。


フォーマルなスーツを買い込んだ。布地の手触り、襟の立ち方、ボタンの重さに、僕はなぜか安心した。明日が楽しみで胸がソワソワした。これは勝ったな。


翌日、黒いジャケットに一筋の折り目が光るスラックスを合わせ、僕は虎視眈々と個性的な人を探した。もちろん、僕に敵う人なんていないだろう──そんな自信の欠片を自分で笑いながら歩いていると、ダボッとした大きなTシャツに腰パンのラッパーや、不思議の国から舞い降りたかのようなふわふわと可愛らしい“魔法少女”が何の感情も放たず通り過ぎていった。彼らを見た瞬間、胸の奥で何かが「縮む」より先に、「嫉妬」が顔を出した。布地の重みが、急にのしかかる。


「負けてるはずがない」そう自分に言い聞かせても、足はすり鉢の底みたいに沈んでいった。内側から膝が砕けるような感覚。人の群れの縁で壁際に立ち止まると、言い訳の列が頭の中を通り過ぎる――今日はたまたまレベルが高いだけだ、今日は運が悪かっただけだ。言い訳を並べるたびに、胸の内側で犬が迷子になっていくようだった。そりゃ負け犬の遠吠えだ。


家に帰ると、僕は鏡の前で何時間も自問自答した。オンリーワンな個性って、どんなだよ? 何度も自問して、ちょっとずつ言葉にならない像が浮かんでは消えた。姿勢を正したとき、鏡の中に規律めいた“線”が走るのを見た。その線にすがるようにボタンを留めていった。制服みたいに整った輪郭が、安心をくれた。「これだ!」と勢いで買い込み、完璧を装った。今度こそ!


次の日、僕はストライプのYシャツに紺のジャケット、フォーマルなズボンで玄関を出た。鏡に映る自分に見惚れて、ゆっくりと街へ向かった。最初は溶け込んでいるように感じた。周りの個性的な人々に対して優位に立てた気がした。胸の中に少しだけ澄んだ満足が広がる。だが、時間が経つにつれて違和感が膨らみ、やがて顔を出した。


この“かっこよさ”は、どこかで見た型だ――ファッション誌に載っている誰もが着ているやつ。定番、安牌。それを着ている自分は、街の背景に溶け、消えていく。堂々としていた足取りはいつの間にかとぼとぼになり、公園のベンチで止まった。そっか……


風がシャツの襟をそっとめくる。鏡の中で完璧に見えた“かっこよさ”は、街に出ると途端に色を失った。目の前を走る子どもがいる。スーパーヒーローのマントを羽織り、丈は合わず裾は泥だらけだ。無邪気に笑って、勢いよく駆け抜けていく。マントはださいし、不格好だ。でも、その不揃いさが、その子だけの何かをつくっている。泥まみれの裾が、僕にはオンリーワンの装飾に見えた。


襟を直した瞬間、僕の内側に小さな違いが生まれた。らしさは服に飾る色じゃない、歩き方の奥に滲む癖みたいなものだ――と、文字通りに断言するよりも、風景の彩りがわずかに変わったことがそれを語っていた。街のざわめきが少し柔らかく聞こえ、空気が僕に遠慮し始めるような気がした。


僕の足元には、まだ誰の型にもはまっていない影が静かに伸びている。それは“らしさ不在”という名の影だ。だが、よく見るとその影はわずかに前へ進んでいる。まるで自分の知らない歩き方を知っているように。


僕は立ち上がった。影が先に一歩を踏み出したとき、僕はそれを追うように歩きだす。靴底が地面をかすめる感触が、いつもよりほんの少しだけ心地よかった。


明日は、視線が最初にすすめてくれた色を着よう。

……暴走しすぎない範囲でね。

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