戦争が終わったら
戦争が終わって、ようやく一年が経つ。
都市の朝はまだ少しざわついている。瓦礫を撤去する音、補修を続ける工夫の笑い声、整備されていない道を行き交う人々の足音――それらは、かつて砲撃で震えていた地面とはまるで別の世界のようだった。
主人公、ルシアン・ヴェイルは、古いビルの一階で小さな喫茶店を営んでいた。
店名は《リメイン》。
「残る」という意味だ。
戦争が何もかも奪っていったから、せめて“残るもの”を大切にしようと思った。安直だと笑われても、この名には自分の全てを込めた。
朝の光が店内に差し込み、磨かれた木のテーブルを照らしている。
かつて銃を握っていた手が、今はドリップポットを持つ。
細く湯を落とすたび、立ちのぼる香りが心を整えてくれた。
――まるで、銃声と叫びを遠い夢にしてくれるようだった。
ルシアンは静かに珈琲を淹れながら、開店準備を進める。
右肩には古い傷があり、時折、雨の日には疼いた。
夜になれば悪夢も見る。
それでも、この店の朝だけは穏やかだ。
扉のベルがちりん、と鳴った。
「おはようございます、ルシアンさん」
入ってきたのは、近所の少女、メイア。
二十歳にも満たない細身の身体で、戦後の復興局に勤めている。明るい性格で、人懐っこい。喫茶店の常連でもあった。
「おはよう。今日も早いな」
「ええ、復興局は毎日いそがしくて。でも、ここでコーヒーを飲むと落ち着くんです。戦争のこと、あんまり考えなくて済むから」
彼女の笑顔は、戦争前の世界を思い出させてくれる。
ルシアンは黙って微笑み、カップを差し出す。
メイアは嬉しそうに受け取り、温かさに頬を寄せた。
店内にはジャズのような緩やかな音楽が流れ、外の喧騒とは別の時間が流れていた。
「ルシアンさんって、軍人だったんですよね」
メイアがふと尋ねた。
彼女はルシアンの過去を知っているが、深くは聞かない。
でも、今日は少し違う表情だった。
「ああ、長くね」
「怖くなかったんですか? その……戦争とか」
ルシアンは少し笑った。
「怖かったよ。ずっとな。慣れもしなかった」
「でも、生き残ったんですね」
「……たまたまだ」
彼は誰よりも強い軍人だった。その代わりと言わんばかりに彼の周りの仲間たちは皆死んでいった。
その記憶は今も胸の奥で重く沈む。
メイアは自分のカップを見つめながら、小さく呟いた。
「戦争って、まだ街に残ってますよね。傷跡も、記憶も。だけど……ルシアンさんの店だけは違うんです。なんて言うか……希望、みたいなものがある」
「希望か。そんな大したもんじゃないさ。ただの喫茶店だ」
「そういうのが大事なんですよ。だって、戦争が終わった今……こういう場所が必要になるでしょう?」
ルシアンは返事をせず、ただ窓の外を見た。
晴れ渡る空の向こうに、まだ壊れた建物が並んでいる。
砲弾の傷痕が壁に刻まれたまま、風が通り抜ける。
それでも、街はゆっくりと息を吹き返していた。
人々が笑いながら瓦礫を運び、子どもたちが戦車の残骸でかくれんぼをする。
荒れた土地に花を植える老人もいた。
――みんな未来に向かって生きている。
その光景が、ルシアンの胸に温かなものを灯す。
「なあ、メイア」
「はい?」
「戦争が終わったら、こうして朝からコーヒーを淹れるのが夢だったんだ」
「ふふ、素敵な夢じゃないですか」
ルシアンはゆっくりと息を吐き、微笑んだ。
「……やっと、叶ったよ」
カップからは穏やかな香りが立ちのぼり、戦場の記憶を薄く包み込んでいく。
かつて銃声が響き、血が流れていた世界の端で、いまは珈琲の湯気が静かに揺れている。
――ここから、また始めればいい。
死んでいった仲間たちの顔を思い浮かべながら、ルシアンは心の中で呟いた。
「お前たちが夢想した戦争が終わったこの国で、俺はお前たちに誇れる生き方をするよ」
店の外では、新しい風が街を撫でていた。




