感動のフィナーレ
※観覧注意。途中からイジメの展開になります。
1日のはじまりは穏やかな気持ちで迎えないといけない。いつもの時間に起きて、学校に行く用意をちゃんとして、美味しい朝食を食べて、幸せな朝を過ごして。そういうのをちゃんとやって、“姫野呪忌夜のゼンマイ”を回すことができる。素晴らしい朝が来た、幸せな朝だ、ほい。
キッチンの近くのテーブルで、椅子に座ってトーストをかじりながら、しみじみと幸せな時間を味わっていると、毎日やってることだから、これくらいの朝を過ごすのはなんて事ないと、さすがに私でも日常茶飯事だというのが分かる。なんてったって幸せ探しのプロですから。こういうことはプロに任せてください。
朝からさっそく、使いたいセリフが頭に思い浮かんだ。幸先が良い。そろそろランキングの順位が上がるかも知れない。なんてったって私は、色々な言葉の使い方とか言い回しに、興味津々なんだから。自分でも不思議なくらい、色々な表現を知りたくなる。日進月歩。これからも精進しよう。
右の席で、同じようにトーストをかじっているお母さんも、きっと同じようなことを考えているんだと思う。希望の朝は誰にでもやってくる。ちょっと機嫌の悪そうな顔だけど、いつものことだからそこは気にしない。余計なことを言うと怒られる。さわらぬ神に祟りなし。
長袖にキラキラ輝く金色のラインが入った、上下黒のジャージ姿。荒々しい書体で“暴走魂”と、胸に描かれている赤いTシャツ。金髪に染め上げた髪を後ろで結んだヘアスタイル。タンスの角に足の小指でもぶつけたのかも知れない、機嫌の悪そうな顔。どこから見てもヤンキー上がりの見た目で、生粋のストロングスタイル。トーストに八つ当たりするように、むしゃむしゃかじりついている。食欲旺盛だ。
姫野紀美子。私のお母さんは、ガラの悪いお母さんだった。
もっというと、人に呪忌夜という名前をつけといて、自分は普通の名前。ずるい。お母さんもモラトリアムだ。もしかすると私のまわりの人たちは、みんなモラトリアムなのかも知れない。対策本部を作らないといけない。これは可及的速やかに調査しないと……。
「あっ、そうだ呪忌夜。もしかすっと近いうち、総長がこっちに引っ越してくるかも知んねえから」
「総長? えっ、もしかしてウルフちゃんのこと?」
「こら、クソガキ。うちの総長に馴れ馴れしく、ちゃん付けしてんじゃねえよ」
「総長って、カボチャの馬車は解散したんでしょ?」
「人の話を聞け。たく、カボチャが解散なんてあり得ねぇからな。みんな大人になったから、色々あって時間が合わねぇだけだよ……」
ぶつくさ言ってる。いつもそうだ。でも今日のお母さんはちょっと、勢いが足りない感じだった。複雑な大人の表情で、お母さんはため息をついている。もしかしたら今、幸せが逃げちゃったかも知れない。心配だから私は、幸せを探した。
ウルフちゃんのことは、前に私の名前がクラスの男子にからかわれて困っていることを、お母さんに相談した時に聞いた。お母さんは「私のマブダチの話なんだけどよぉ……」って言って、ウルフちゃんのことを話してくれた。
子供だったころのお母さんは、同じ小学校の同じクラスで、ウルフちゃんに出会った。お母さんはある日、勇気を出して「一緒にトイレに行かない?」って誘った……。
それから、トイレであったこと。ウルフちゃんが不良マンガを読んだのをきっかけに、変身したこと。また学校に通うようになってくれたこと。ギクシャクしちゃって、何度もケンカしたこと。でも仲良くなれたこと。みんなが“真のマブダチ”になったこと。カボチャの馬車を結成したこと。それから、ヤンキー街道(?)を突っ走ったこと。
話が長くて私の集中力がもたなかったから、最後の方は、はちまきを頭に巻いて、体操服姿の小学生のお母さんたちが、みんなと一緒に競争してたのかなって思った。走るのは大変だから苦手だけど、仲の良い友達とそういうふうに走るのは、楽しそうだなって思った。
それに、私の他にも名前のことで嫌な思いをしていた女の子がいたって分かって、それがお母さんの友達だって知って、ドキドキしながら話を聞いていた。カボチャの馬車を結成したことも、子供たちが仲良く、秘密基地を作っているみたいでワクワクした。
だから私も、“真のマブダチ”がほしいってお母さんに言った。そうしたら、お母さんは嬉しそうに笑って、「そのうち出来るんじゃねぇかな」って言った。いつもとは違って少し子供っぽい顔をしていた。言ったら絶対に怒るから、言わなかったけど。
「そういえば。ねぇ今でも、全国制覇を目指してるの?」
「うるせえな、ガキには関係ねえんだよ。とにかく、もしかすっとバタバタするかも知んねえけど、お前はちゃんとやっとけよ」
「んー。分かった」
すぐ子供扱いする! あっ、そうだ。
「ところで、なんで私の名前、キラキラネームなの?」
「うわー。朝っぱらから母親にそういう事を聞くのかお前は。かーちゃんちょっとドン引きしたわ……」
「もう、そうやってごまかさないでよー」
「ていうか名前なんて、不良マンガ読めば一発じゃねえかよ。アレ読んだら、たいていの事は何とかなんだからよぉ。バシッと読めよ」
「じゃあ、買ってよ!」
「小遣い貯めて自分で買え」
「ケチ……」
「つまんねえ事を言ってねえで、さっさとメシ食えよ」
「はーい」
つまらなくないのに。
「それより昨日、帰り遅かったな。とーちゃんから電話あったのにいねえから、あいつ心配してたぞ」
「ああ、昨日はちょっと……」
ドキってした。魔女の隠れ家に行ってて、いつもより帰りが遅れたんだよね。でもお母さんにはなんとなく、内緒にしている。私の中で隠れ家になってるから、あんまり言いたくない。そういえば、隠れ家っていうと忍者っぽいけど、洋子さんのやってるあの文房具屋さんは、あんまりそういうイメージじゃないな。何が違うんだろう?
「何だよ。お前も夜中に出歩くお年頃かよ。あーあ、かーちゃんちょっと心配だなぁー。とーちゃんも心配してたしなぁー。電話で、「……まだ帰ってないのか?」ってすげー暗い声でいうわけ。マジで気が滅入ったわ。あいつ思い詰めるとうっとうしいからよぉ」
「えーっ! 本当に大丈夫だよ。心配させるようなことしてないよ……」
私が大丈夫って言ってるのに、お母さんは大げさに「あー心配、心配」って言っている。何だかわざとらしい。それに、私の方がずっと心配してる。お母さんは見るからにガラ悪いし、お父さんは体が大きくて人相も悪いから、海賊みたいに見える。しかも、どこか影のあるイケメン。行動力とカリスマ性がありそうなお父さんだ。いつか手違いで手配書が回って、賞金をかけられるんじゃないかって心配だ。
お父さんは、燃料を運ぶ大きな船に乗って働いている。だからあまりお家にいない。あと凄く真面目な人だから、余計に心配だ。正直者は一番狙われやすいんだ。
「ほれ、ボケッとすんな。学校に遅刻すんぞ」
またガミガミ言ってきた。私が家族のことを考えていたのに、お母さんはデリカシーがない。本当にもう。
「分かってるよ」
「分かってんなら早くしろ。私も少ししたらパートに行くからな、早くしろよー」
「分かってる!」
親を思う娘の気持ちを気づかってほしい。お母さんは毎朝、同じようなことを言って急がせる。モヤモヤする。まあ良いや、ご機嫌な朝食も食べたし、お皿を片づけよう。
「ウップス!」
テーブルに肘をぶつけた。電気がビリビリしてるみたいに、しびれてる。
「お前は相変わらずドジだな……」
私の不幸を見たお母さんが、呆れたような顔で言った。さっきはしつこく心配って言ってたのに。もっとちゃんと心配してほしい。ビリビリする肘のしびれにうめきながら、このやり場のない気持ちを、お母さんにぶつけることにした。くらえ、眼光電撃殺法ビリビリアイ・ビーム!
「自分の母親をそんな目で見るな。涙目で睨んでも、ぜんぜん怖くないぞー」
意地の悪い口調がますます憎たらしい。お母さんに怒りがおさまらない私は、ますます強く睨み付けた。くらえ──
~θθ
朝の教室。だいたいいつも通りの時間についたから、先生が来るまでまだけっこう余裕がある。私は余裕と、予定どおりの生活が大好きだ。これからのことが分かっていて、ゆとりもあると、とても安心する。
教室を眺め回すと、ちらほらとクラスの子たちの姿が見える。その中に、緑ちゃんを見つけた。昨日、洋子さんのお店に一緒に行ったから、そのことを思い出して、いつも以上に身近な感じがする。
挨拶をしようと思ったけど、同じクラスの前川さんと村上さんと一緒におしゃべりしている。だから私は少し気後れした。
縁が銀色の細いメガネをかけてて、髪を左右でお下げにしている前川さん。ショートカットで、元気な女の子って印象の村上さん。二人とも、あんまり話したことないんだよな……。
でも、何を話してるのかなって気になった。それに親友を見つけたのに、朝の挨拶をちゃんとしないなんて、そんなのは友達失格だ。よし話かけに行こう。
「おはよう緑ちゃん」
「おはよう呪忌夜」
ちょっとドキドキしたけど、いつもの緑ちゃんの反応に安心した。話していた二人の様子を見ると、前川さんは「姫野さんおはよう」って言ってくれて、村上さんは「姫ちゃんおはーっ!」って言ってくれた。
あんまり話したことがない子たちだから不安だったけど、ちゃんと普通に挨拶してくれた。けっこう良い感じだぞ。私は手応えを感じた。
二人にちゃんと「おはよう」って返してから、何に対してだか分からないけど私は、「いける!」って思った。だって二人ともほがらかに笑って、とっても打ち解けやすそうな雰囲気だもん。歓迎のムードだ。私も輪の中に入って、仲の良い感じになれそうだ。
これはきっと、さわやかな朝の魔法だ。もしかしたら友達になれるかも知れない。
「えーと、呪忌夜ちゃん……。あっ、ごめん。そう呼んで良い?」
前川さんから聞かれて、「来た!」と反射的に身構えてしまった。これはチャンスなのかな、それともピンチなのかな?
ちょっとうろたえながらだけど、私はちゃんと「うん」て答える。ウェルカムだった。
「じゃあ姫ちゃん。一緒にトイレ行こうよ?」
村上さんが明るく誘ってくれた。それでも安心しきれなかった私は、いったいどんなお誘いなのかなって、やっぱり身構えてしまう。ここまでは大丈夫だったけど、もしかしたら何か嫌な思いをするかも知れない。
村上さんは誰とでも話せるような明るい性格の女の子で、教室中に響き渡るような声で誘ってくれて、いちおう親切な子だなって思うんだけど。
──この後トイレで何が起こるんだろう?
色々と想像して心配になる。でも気づいたらもう、みんなと一緒に廊下を歩いていて、そのままトイレに行った。
「というか、姫ちゃんの名前ってちょっと変わってるね! でも私そういうの悪くないと思う。逆にスッゴクかっこいいと思うよ」
キラーンって感じで、村上さんが、輝いて見える笑顔でそう言ってくれた。
でも、もしそれが善意100%で言われているんだとしても、色々と納得できない私は──おーい大変だ。姫野呪忌夜が女子トイレを、返り血で染めやがったー。
不安で余計なことばかり考えてしまう、私の悪いクセが出てきた。予想できない出来事が恐いんだ。だからって……。
ちょっともみ合っただけで、さすがに流血騒ぎにはなっていないのに、大げさな噂があちこちで囁かれた? そして、先生に呼び出されて叱られた? そして、次の日から学校に行けなくなってしまう。そんなのは私の勝手な──。
「呪忌夜!」
緑ちゃんの声で我に返って、現実を理解した。私は今、ぼんやりしていたみたいだった。あれでも今のは……。
前川さんと村上さんが、心配そうに私を見ている。私は何を考えていたんだ。もしかしたら、ぜんぜん変わってないのかも知れない。疑心暗鬼でみんなを怖がっている、私は「みにくいアヒル」のままなのかも知れない。
「呪忌夜ちゃん。貴女も魔女さまに会ったよね?」
ショックを受けている私に、前川さんが聞いてくる。魔女さま? もしかしたら洋子さんの事なのかな……。
緑ちゃんに目で確認してみると、うんてうなずいてくれた。
「うん。洋子さんに会った」
「だよね。それなら私たちは仲間なの!」
「仲間?」
「そう。深淵の魔女さまに色々なことを教えてもらった仲間なの」
私の答えに前川さんは、真剣な顔をしてそう言った。でも、仲間って何のことだろう。
「姫ちゃん、いきなりこんなふうに言われて戸惑うかも知んないけど。でも実は私たちも、魔女の隠れ家で、洋子さんと色々お話をしたんだ。だからなんか、細かい事情とか良く分かんないけどでも、なんとなく分かるかなって感じなんだよね……」
村上さんがそう言ってから、前川さんと目を合わせて、少し照れ臭そうな感じで笑った。
「私たちもけっこう色々あるから、そういうのをちゃんと聞いてくれる大人の人に出会えて、嬉しかったんだ。洋子さん、ぜんぜん迷惑そうにしないで、全部ちゃんと聞いてくれるから……。喜怒哀楽が激しいから、最初はびっくりしちゃったけど」
「あー、私もあのテンションにけっこうビビったかも」
前川さんが困った感じで笑って。村上さんがその時のことを、思い返している表情で、ほがらかに言った。あのテンションだったんだ。洋子さんは誰にたいしても同じなのかな。それって凄いことだけど、やっぱり変な人だなぁ。
「悪く思わないで欲しいんだけど、姫ちゃんはいつも気難しい顔をしているから、実は正直、話し掛けづらかったんだ。でも、一度ちゃんと話してみたかったの」
村上さんが真面目な顔をして言った。気難しい顔っていうのはたぶん、緊張してたり、考えごとをしてる時だと思う。でもそんなにかな?
「呪忌夜の事をよく知らない人が見たら、近寄りにくい」
緑ちゃんがあごに指を当てながら、しみじみと言ってる。私は近寄りにくいの? いつもけっこう油断してるんだけど。
「私たちも、呪忌夜ちゃんのこと勝手にイメージして、話して大丈夫かなとか不安に思ってたから。そういうのあんまり良くなかったかも」
前川さんが申し訳なさそうな顔で言った。でもそんなの、私も一緒だと思う。それに私なんかいっつも、そういうふうに考えすぎて、優柔不断になってるし。もしかしたらみんなも実は、同じような感じで、一緒なのかな?
「緑ちゃんと色々話してて、トイレに誘おうとか、落ち着いて話せるようにしようとか思って、なんだかこんな感じになっちゃったけど。でも、洋子さんに励ましてもらった仲間だって思ってたから、大丈夫かなって。ごめんね、怖がらせちゃって」
「呪忌夜は世間知らずだから、もっといろんな人と話した方が良い」
バツの悪そうな顔で村上さんがそう言った。気をつかってくれてたんだ。緑ちゃんが、やれやれって感じで説明してくれる。凄く、良い人たちなのかも。
「ところでこれから私の名前、下の名前で呼んで欲しいな。香って……」
前川さんがちょっと恥ずかしそうに言った。やった、もう下の名前で呼びあう仲だ。でもさっきから展開が早くて、追いつけない。どうしよう。なんて言おう。
「えと、香さん? いや、香ちゃん?」
「ちゃん付けが良いな」
「ごめんね……、慣れてなくて」
「みんなそうだよね。ゆっくりやっていこうよ呪忌夜ちゃん」
メガネの奥でやわらかく、目尻がたれさがった。優しい眼差し。うろたえる私に、香ちゃんは言ってくれた。ひかえめな安心できる声で。
「あっ、じゃあ私も。夢だよ」
「夢ちゃん」
「おう。よろしくな!」
夢ちゃんは元気にあっけらかんと言った。裏表がなさそうな目で、ニカッて感じの笑顔。運動が得意そう。親しみやすい。そうなんだ。
「姫野呪忌夜です。これからよろしくね」
私も二人にそう言った。そうしたら同じタイミングで、「こちらこそ」って返してくれた。それから「ハモった」って笑い合ってる。凄い仲良しだ。
緑ちゃんがニコニコしながら、私の顔を見てくる。なんだろう恥ずかしいな。
「何、緑ちゃん?」
「さっき泣きそうな顔してたよ、呪忌夜」
「えっ、してないよ……」
「してた。泣き虫」
「もう、緑ちゃんの意地悪!」
緑ちゃんが楽しそうに笑って私をからかう。緑ちゃんはたまに意地悪だ。
~☆
トイレで色々とお話ができて、みんなとの距離が縮まった気がした。それから、おしゃべりしながら廊下を歩いて、私たちは教室に戻った。もうクラスのみんなも来ているみたいだった。たぶん全員が揃っていると思う。いつも通りの朝の光景。いつも通りの日常が始まる。
緑ちゃんとも、香ちゃんとも、夢ちゃんとも、仲良く話せた。だから正直、私は受かれていた。私はちゃんとしているのが好きだ。そして、好きな人たちと楽しい時間を過ごせるのが好きだ。だから、いつも通りの日常は、とても安心できるから大好きだ。ウキウキする。
嬉しい気持ちのまま教室を見渡してると、いつも私をからかってくる田中と目が合った。
顔の輪郭を隠すような長さの、色素の薄い茶色の髪。白い肌。女の子みたいな顔立ち。私を見てニヤって笑った気持ち悪い表情。粘着質な印象。私をからかってイジメる時の、地球で一番嫌いな顔。
田中は、ニヤニヤ笑ったまま、一緒にいる男子たちに目で合図した。それから席を立った。
凄く嫌な予感がした。
田中の側で、何人かの男子がニヤニヤ笑って、隣の子と意味深な感じの目配せをしたりしながら、私のところに歩いてくる。その様子を見て、沸き上がっていた気持ちが、すーっと引いていくのを感じていた。冷たい氷を飲んだような気分になった。
田中たちから、目を背けるように横を見た。夢ちゃんが怒った顔をしてた。香ちゃんは不安そうだった。緑ちゃんは、冷静な表情をしている。
「よー、ブス。今お前、俺の事睨んでただろ? 朝から呪いの女に睨まれて、めちゃくちゃ気分わりぃーんだけど」
少し舌っ足らずなキンキン響く声に、思わず体がびくって反応して、振り向いた。田中が私たちのすぐ近くに来ていて、これからすることが本当に楽しい、そういう顔をしていた。それを見て、またいつものかって思った。
教室にいるみんなの視線が気になって、恥ずかしかった。自分の心臓がうるさく鳴っているのを感じた。
「……別に、睨んでないよ」
「えー、何だって?」
「睨んでない!」
「でかい声出してんじゃねぇよ」
「……しつこく言うから」
「あー、何だって?」
他の男の子たちもニヤニヤ笑いながら見てる。田中が恐いのと、まわりのみんなに見られてるのが恥ずかしいから、ちゃんとした言葉が出てこなかった。それに、どういう反応をすれば良いかも分からない。田中はしつこく言ってくる。なんでいつもこんなに、しつこく言われないといけないんだろう……。
「こんくらいでビビってんじゃねえよ。お前の反応ってマジでウケるよなー?」
ベットリした感じの、気持ち悪い口調で言ってくる。人を見下したような嫌な目と、変に余裕のある態度。そういうふうにされているのが凄く、悔しくて、悲しい。さっきまでみんなと、本当に嬉しくて楽しかったのに。
田中はそれから、「じゃあそろそろ、いつものヤツやりますかー」って、意地悪そうな顔で言い始めた。一緒にいるまわりの男の子もみんな、嬉しそうにはやし立てる。また嫌な思いをするんだって、私は思った。まただ……。
「呪・忌・夜! はい。呪・忌・夜! はい。呪いの名前は──」
「ちょっとあんたたち。姫ちゃんは私たちの仲間なんだからね。それ以上やったら承知しないよ!」
でも途中で、夢ちゃんの迫力のある声にさえぎられた。
「それに、前から目障りだったんだよ。言っとくけど、あんたたちがやってるそれ、自分たちで思ってるほどぜんぜん面白くないよ!」
こんなに怒った顔を見るのが初めてで、少し驚いた。でも夢ちゃんは私のために、怒ってくれている。本気でかばってくれている。
私の側に香ちゃんが来て、私を抱き締めてくれた。そして「うん」って頷いた。とても頼もしい表情をしていた。
「逆に聞きたいんだけどそれ、何が楽しいの? そんな見苦しい事が出来るなんて、お尻の穴にピーマンでも詰まってるんじゃないの?」
そう言って、夢ちゃんはゆっくりと、男子たちを見渡した。意志の強い眼差しで、1人1人を真っ直ぐに見ていく。今すぐ飛びかかりそう。運動が得意そうな女の子が、そういうふうにすると、迫力があった。男子たちは、腰が引けてるみたいだった。というか、お尻にピーマン!?
私は思わず香ちゃんを見た。そしたら同じことが気になったみたいで、目が合った香ちゃんが思わず吹き出した。こんな時なのに、私も少し笑った。
「てゆーかあんたたち、ここ、おかしいんじゃないの……。一人の女の子を相手に、何人も集まって。やってる事もつまんないし、そもそも意味が分かんないよ。なんでしょっちゅうこんな事してんの?」
右手の人差し指を自分のこめかみに、「ここ」って指しながら、低い声で言った。夢ちゃんの言葉は分かりやすいし、正論って感じだ。そして、大きな声じゃないのに良く聞こえた。凄く挑発的だった。凄くカッコ良い!
「友くん、もう止めようよ」
「さすがにこれ、ヤバイよ」
男子たちが気まずそうに、田中を止めようとしている。
教室の、他の子たちの視線も気になる。これだけ騒いでるんだから、やっぱりみんな見てくる。またいつものかっていう顔。今度はなんだっていう顔。迷惑をかけているのと、恥ずかしいのとで、凄く不安になる。私は、こんなふうにして注目を集めるのは嫌だった。
私がそんなふうに考えていたら、今までじっと見ていた緑ちゃんが、いきなり私たちの前に出て、ゆっくりと歩いていった。そのまま田中の前に立って、向かい合った。急に何をするのかって、私はますます不安になった。
「田中。いままでからかって苛めてきた事、呪忌夜に謝って」
緑ちゃんは静かに言った。田中はそれをポカーンて顔をして聞いていた。
「謝って」
「なっ、なんで俺がそんなにブスに、謝んなきゃいけねぇんだよ!」
緑ちゃんが繰り返し言うと、田中は戸惑いながら言い返した。追い詰められたような感じで、怯んでいるけど、でも少し興奮してる感じだ。緑ちゃんが何かされるんじゃないかって思って、私は止めようとした。
「緑ちゃん、もう良いよ」
「呪忌夜は黙ってて」
私をチラッと見てからそう言うと、緑ちゃんは田中の方を向いて、強い目でじっと見詰めた。田中は、自分には理解できないようなものを見るような目をしていた。そして耐えきれずに、後ろに下がった。
緑ちゃんにそれを追いかけて、田中を追い詰めるような形になった。距離を取ろうとする田中にお構いなしに、顔を近づけた。キスをしそうな距離だった。
でも緑ちゃんは、田中に何かを耳打ちしたようだった。小さくて私には聞こえない。けど、それを聞いた田中の表情がみるみる変わって、この世の終わりみたいな顔になった。飛び出しそうな目で、緑ちゃんを見ている。
「田中。今ここでちゃんと謝らないと、あんた一生そのままだよ」
顔を離した緑ちゃんが、目の前にいる田中に言った。大きな声じゃないのに、私にも良く聞こえた。こんな状況なのに、緑ちゃんは平然としている。いつもと同じように、落ち着いた様子でいる。
少し呆然としていた田中が、ようやく言われたことを理解した。そういう感じで、こっちに歩いてきた。なんとなく弱々しい感じがするけど。何だろう?
田中はすぐ近くに来た。目で追ってたら、そのまま私の目の前に来たから、今度は何をされるんだろうって恐かった。この人は、本当に何をするか分からない、だから恐いんだ……。
「今まで、ごめんなさい」
頭を下げて、田中が謝った。
話の流れが分からなかったから、ぼんやりとそれを眺めた。何が起きているんだろう。緑ちゃんは田中に何をしたんだろう? なんでこんなに素直に謝っているんだろう? あと、田中の頭って、つむじが右巻きなんだ。私は関係ないことを考えてた。
田中は、もう一度「ごめんなさい」って言ってから、自分の席に戻っていった。戸惑いながら他の男の子も付いていった。何が起きたのかぜんぜん分からなかった。どうしたら良いか分からなくて、私は黙ったまま前を向いた。
緑ちゃんと目が合った。緑ちゃんはニコって笑った。よく分からないけど私も、ニコって笑った。
「緑ちゃん、格好いい!」
「やったね!」
夢ちゃんと香ちゃんが盛り上がって、緑ちゃんに両側から抱きついた。緑ちゃんはちょっと迷惑そうに困った顔をして、でもそれから苦笑いを浮かべて、二人にされるままになっていた。それを見て、今度は本当に可笑しくて、私は笑った。
──夜露死苦ぅー!
ウルフちゃんは、やがて彼女たちと“真のマブダチ”と呼べるようになった。
最初に話しかけてくれた女の子が、「初めて見た時、友達になりたいなって思ったんだ」と打ち明けてくれた。
それから「名前のことなんて、絶対に気にするようなことなのに、無神経だったよね」って言って謝ってくれた。
ウルフちゃんは泣いた。一緒にいたみんなも泣いた。私の方こそごめんねってウルフちゃんが言ったら、その後に他の子たちもごめんねって言い始めるから、そのままごめんね合戦が三往復続いた。
「もう終わらないじゃん」って誰かが言って。
「本当だね」って合いの手が入って。
どうやらそれがツボにはまったらしくて、それからみんなで笑った。楽しかった──。
「そうだ! ぜんぜん関係ないけど姫ちゃんて、たまに両手を合わせて、神様みたいに祈ってる時があるよね?」
「私も見たことある。真剣に祈ってる呪忌夜ちゃん、なんか神聖な感じで別世界の人みたいになってた。後光が差してる感じで凛々しくて、なんだか凄く、カッコ良かったよ! 良いものを見せていただきました……」
今度は私のそばに来た夢ちゃんが、なんだか恐ろしくことを言い始めた。そしてなぜか香ちゃんは、両手を合わせて私を拝み始めた。何だって?
もしかして、見られてたの……。
緑ちゃんに目で確認してみると、うんてうなずいた。
「結構みんな、呪忌夜の奇行を見たことがあるよ」
緑ちゃんが恐ろしいことを言い始めた。そんな恥ずかしいことになってたなんて、私はこれからどうすれば良いの?
「また恐い顔になってるよ」
「……むぅ」
緑ちゃんも私のところに来て言った。またか。悩みがどんどん増えていくような気がする。自由にならない自分の顔について考えてたら、さっき疑問に思ったことを思い出した。私は気になってたことを緑ちゃんに聞いた。
「田中になんて言ったの?」
それに最初、きょとんと不思議そうにしてたけど、緑ちゃんはイタズラを思いついたような顔をした。
「内緒」
人差し指を口の前に立てて、にやりっていう笑顔でそう言った。
私の親友は、可愛くて、頼りがいがあって、優しいなぁ。
「えー、教えてよー!」
「内緒」
「ケチー!」
それに緑ちゃんだけじゃない。香ちゃんも、夢ちゃんも、なんだかみんな怒ったり笑ったりで忙しい。そして楽しい。魔法みたいに色んなことが起こる。
やっぱり、私のクラスの女の子たちって、魔女っ子見習いなのかも知れない。