深淵を覗くものはまた、深淵からも覗かれる
タロットカードには、大アルカナという22枚のカードと、トランプのダイヤ・ハート・クラブ・スペードといったスートと同じように、4つのスートにそれぞれ14枚のカードが存在した、56枚の小アルカナがある。
大アルカナで、占いたいものを大きく予見して、幅広い形で読み取っていく。
小アルカナが、4種類のスートに込められたテーマに従って、それぞれに14枚ずつ存在しているカードから身近な情報を読み取っていく。
大きいばかりだとぼんやりするし、小さいだけだと視野が狭くなる。だから役割を分けて、こういうふうな形になったのかなって、私は勝手に思っている。
合計78枚のタロットカード。シャッフルしてみると、けっこう多く感じる。それを、ちゃんと混ざり合ったバラバラの状態にするのは、意外と難しい。
でもちゃんとやらないと上手くいかない。タロットには、正位置と、逆位置というものがある。カードの上と下、めくった時にそのどちらになっているかで、役割がぜんぜん違うものになってしまうから。
例外もあるけれど。正位置だとポジティブな意味、そして逆位置ならネガティブな表現が込められている。
そのままの向き、逆の向き、一枚のカードの絵柄がそれぞれの意味を含んでいる。
読み取ることの難しさも含んでいる。
カードがテーブルから落ちないように気をつけながら、時計回りにシャッフルしていく。上手くバラバラに混ざり合うように。自然と沸き上がる、さまざまな想像を上手に受け流しながら、ただ自分の動きだけに集中する。そろそろだという確信を感じて、手応えを掴んだ私は、今度はカードを集めていって、なるべく同じ高さになるように三つの山に分けた。それを洋子さんに、好きな順番で重ねてもらうようにお願いする。
「この三つを、好きな順番で重ねてください。右からでも、左からでも、真ん中からでもかまいません。なるべく納得出来る順番で、重ねてください」
「呪忌夜ちゃんがやってくれるかしら?」
相手に頼まれて、占い師が手順を代わりにする。こういうことはけっこうあるらしい。予想は出来ている。でも、少し息苦しさを感じた。
洋子さんに頷いてから私は、三つのカードの山を、自分の信じる順番で重ねていく。
私はここでようやく、どんなスプレッド(展開)をするかを決めた。
シンプルな方が合ってると思った。
色々な種類があるタロットの進行方法の中から、1つのやり方を選び出した。
絵柄を下にして、全てのカードを重ねた山をテーブルの右側に置いた。
自分でも良く分からない確信がそうさせた。
右手を使って丁寧に、山を左側に崩していく。
横一列にちゃんと広げられるように、カード同士が変な重なり方をして隠してしまわないように、出来るだけ全てのカードが目に入りやすいように横に並べる。
呆れるくらい、上手くいった。
出来すぎていると思うほどに……。
手順に従って、洋子さんに、カードを一枚選んでもらう。
「この中から、カードを一枚選んでください」
「そうね。呪忌夜ちゃんに、選んでほしいな?」
私が選ぶことになった。
思わず声が出そうになった。
冷静に進めないといけない。
でも、洋子さんが良く分からない。
でも、我慢して、占いを進行することにした。
この先にあるものに、良く分からない気持ち悪さを感じた。
正位置と逆位置があるので、カードを縦に抜き取ったら、上下が分からなくなることがある。
感情的になるとそんな、当たり前のことがおろそかになる。
あえてゆっくりと、横から慎重にカードをめくって、内容を確認する。
正直、あんまり見たくなかった。
めくったカードは、“棒”の13番。玉座に座るクイーン。そして正位置。
そのカードを見た瞬間、私の中ですとんと全部が、分かってしまった。
深淵の魔女。
このお店を見た瞬間に感じた違和感、その正体もはっきりした。このお店の外観が普通の見た目だったとしても、きっと、得体の知れないものに感じるような違和感を覚えたはず。山本洋子さんは、そういう感じのする存在だから。
「洋子さん」
「なあに、呪忌夜ちゃん?」
「本当は占ってほしいことなんて何もないんですよね……」
私がそう言うと洋子さんは、今日会った中で一番の笑顔を浮かべた。
「そうよ。良く分かったわねえ」
ハチミツを溶かし混んだような笑顔だった。本当に面白いことが起きた、そういう表情。きっと、どんなカードが出ても、結果はあまり関係なかったと思う。こういうふうになったのだろう。この人は深淵の魔女なんだから……。
だからこそ、怒りを覚えた。やる必要がないような存在に私は、“占ってあげる立場”なんていうものをやらされたのだから。占ってほしいって言ってきたのは洋子さんだ。私はちゃんとそれに応えた。なんでこんなことをしたんだろう……。
「怒らないで」
全てを分かっている目で、洋子さんが言った。私は思わず睨んでしまった。ちゃんとやったのに、必要がないだなんて、そんなのあんまりだ。
「そんなふうに見ないの」
なんでそんなふうに言うのか。なんでこんなことをするのか。私のタロットで──。
何が、“シンプルな方が合ってる”だ!
“棒”のクイーンの絵柄。冠を被った王妃様が、豪華な玉座に座っている。王妃様は右手に杖を持って、左手にひまわりを持っている。足元に黒猫がいる。そういうふうに描かれている。
“棒”というのは、トランプでいうスートのようなもので、私は魔法の杖を表すのだと思っている。炎を司る魔法の杖。
炎のように情熱的で、インスピレーションと強い気持ちを現している。そして、親切で優しい包容力がある。包容力……。
「深淵の魔女って何?」
「あら。難しい事を聞くわね」
気持ちがおさまらないまま、私が疑問を口にする。深淵の魔女はそれに大人の顔をして、それから考えこんだ。居心地が悪かった。
あまり待たずに、私を見てから、魔女は口を開いた。
「そうね。お姫様を怒らせちゃったお詫びに、この深淵の魔女が、何でも答えて差し上げましょう」
何でも答える。突然、そんなことを言われたから驚いた。だからってわけではないけど、ここに来るまでずっと感じていた疑問が、ぽろっと口からこぼれた。
「なんで、生き物は死んじゃうの?」
チーちゃんは死んじゃった。きっと他の生き物も、いつかは死ぬ。私はまた同じような、悲しい別れを味わう。
それから、まるで台風のように、私の中にある止められない感情が溢れだした。
「だって、チーちゃんは死んじゃったよ! 深淵の魔女なんだから分かるんでしょ? なんで、死んじゃうの?」
「なるほど──」
深淵の魔女は、右手の人差し指をこめかみに当てて、考え込んだ。あたたかい雰囲気がガラッと変わった。何かを覗き込んでいる。すぐ目の前にいる人が、少し視線を落として、どこか遠いところを見て、何かを読み取っているように思えた。静かな眼差しに圧倒されて、私の感情が治まった。
「チーちゃんというのは、呪忌夜ちゃんにとって大切な亀の事ね?」
納得したように頷いてから、
「なるほどね……」
深淵の魔女が真実を語り始めた。
「チーちゃんは寿命だったの」
「寿命?」
「そう。この世界にあるものは全部、持って生まれた器に宿っているの。根源から伝わってくる命のエネルギーの活力で、生かされているの。だからその流れが途絶えた時に、寿命を迎えるの」
器とか、命のエネルギーとか、話が難しくて分からなかった。それに洋子さんは、チーちゃんが、私が亀につけた名前だっていうことが、分かっているみたいだった。まるで最初から知ってたみたいに、何でもないことのように話している。超能力?
何でも答えるって言っていた。洋子さんの目を見つめて、聞いてみた。
「じゃあチーちゃんは、命のエネルギーが失くなっちゃったの?」
「そう。流れてこなかったら、元気が失くなってしまって、この世に留まっていられないから……」
「良く分からない」
「そうね。でも大丈夫。きっとその内、貴女にも分かるから」
「今は分からないんだ」
洋子さんの話し方は本当に、全部分かってるみたいだった。私には分からないのに。どうすれば良いんだろう?
「チーちゃんは、呪忌夜ちゃんがいつも会いに来てくれて、嬉しかったのよ」
困っている私を見て、洋子さんが説明を足してくれた。
「貴女はエネルギーが本当に、明るく流れている子だから、それを見て嬉しかったの」
校門の側にある池にいくと、チーちゃんはいつも私を見上げてた。
「エサが欲しかったんじゃないの?」
「生き物は、食べ物だけでエネルギーを得ている訳じゃないの。色々な生き物同士で、エネルギーを分け合って生かされていたりもするの」
色々なエネルギーをみんなで分け合っている……。それなら。
「チーちゃんは幸せだったの?」
「ええ。他の生き物と暮らして、そして呪忌夜ちゃんと一緒に過ごせて、チーちゃんは幸せだったわ」
「そうなんだ。良かった……」
「そう。良かった」
チーちゃんが死んじゃって悲しかったけど、幸せだったなら、良かったなって思う。安心した私に、洋子さんは、良く出来ましたっていうふうに、優しい顔でいてくれてる。それを見ていたらなんだか、私は恥ずかしくなってきた。こういうのも、命のエネルギー?
でもそれだと……。
「じゃあ、私たちもそのうち死んじゃうの?」
「何時かはそうなるでしょうね。そのうちに」
「そんなの嫌だよ!」
私も緑ちゃんも洋子さんも、みんなも、いつかいなくなっちゃう。洋子さんは当たり前のことを話すように言ったけど、それは凄く悲しい事だ。
「だから、生きている間にちゃんと、色々とお喋りしたり、色々な事をしたり、笑ったり泣いたり、一緒に過ごして色々な体験をして、出来る事を全部やりましょうね」
「うん」
こうしたら良いよって、ちゃんと話して教えてくれる。分かっても、分からなくても。これから先も、ずっとそうしてくれるような気がした。洋子さんの気持ちが感じられて、あんまり納得できないけど、頷いた。それに、また女神さまみたいなお顔になっている。こういうのが包容力なのかな……。
「それじゃあ、なんでイジメは起こるの?」
「なるほど──」
私がまた違う質問をすると、深淵の魔女は、さっきと同じ姿勢で考え込んだ。この人の頭の中では今、何が起こっているんだろう?
直感が、内容を詳しく話さなくてもこの人は、私の悩みを分かるはず。そう教えてくれる。だから私は、おとなしく待ってれば良いと思った。今度は少し長かった。けど、チーちゃんの事みたいに、魔女がまた真実を話し始めた。
「貴女のクラスの男の子たちが、呪忌夜ちゃんの名前をからかっている。つまり貴女に嫉妬しているのね」
「嫉妬?」
学校の教室で時々、クラスの男子にからかわれてイジメられているけど、それと嫉妬がどう関係あるのか分からなかった。分からないから、洋子さんの目を見た。疑問が伝わったみたいで、洋子さんは大きな口をつり上げて、笑い声を少し漏らした。
「呪忌夜ちゃんが可愛くて、素敵な女の子だから。彼らは自分の中に、同じくらいのものがとても欲しいの。釣り合うものが。それくらい価値があるのだから。でも自分はもしかしたら、手に入らないかも知れない。頭ではどうにもならない、理性では押さえ付けられない、欲求が訴えかけてくる、そういう価値。既に持っている人は、ずるい……」
私が欲しい? 価値? そういわれても困るし、なんだかあまり嬉しくない。それとも褒められてるのかな?
「価値のある女の子に対しての嫉妬。それを持っているということに対しての。そしてそれを手に入れたいっていう、正直な欲求。でも子供だから、上手に表現出来ない。経験が足りないから、考えもまとめられないわね」
経験が足りない。私もだ。分からないことを上手に説明できない。
「だから男の子たちは、呪忌夜ちゃんに、我が儘な形でアピールをしてしまう」
「アピール?」
「持って生まれた自分の体。その哺乳類の肉体に突き動かされる、生き物ならではの発作。じゃれ合い。仲間意識の共有。やってはいけないことを、みんなでする解放感。社会性に、若いオス同士のモラトリアムが合わさるの」
洋子さんの話が難しくて、ぜんぜん分からない。急にモラトリアムが出てきた。モラトリアムって色んな意味があるのかな?
考え込んでいる私を見て、洋子さんが「あっはっは」って豪快に笑った。いきなりだったから、びっくりした。
「ごめんなさい。我慢できなくて。もう、貴女はまだはっきり分からなくて良いの。どうせこれから、だんだんと分かっていくんだから。お願いだから背伸びしないで。もう本当に初々しいったら……」
ああ、可笑しい。小さくそう言って、目尻に涙を浮かべて、頷いている。一人で勝手に納得している。
「それに、ご両親やお友達にも恵まれているから、この先も安泰。太鼓判。深淵の魔女がそれを保証するわ」
恵まれている? お母さん、お父さん、緑ちゃん。あと、チーちゃんも、クーちゃんも、チッチも、近所のお姉さん、親戚のお爺ちゃんも、あとそれから……。
うん。大丈夫なのかも?
「呪忌夜ちゃんも、緑ちゃんも、そして私も。これから長い付き合いになるの。だから、もっともっと素敵な成長をして、素晴らしい人になろうね」
洋子さんにそう言われて、私は緑ちゃんを見た。緑ちゃんも私を見た。そして、うんて頷いてくれた。私も、うんて頷いた。
気持ちが繋がって嬉しかった。そうしたら、次に聞きたいことを思いついた。
「私はドジで失敗ばかりしてしまうんだけど、どうすれば良いの?」
「ドジで失敗ばかりする──」
また深淵の魔女の顔をして、同じポーズで考え込んだ。でも今度は、あんまり待たなかった。洋子さんはすぐに話し始めた。
「なるほど。そういう時に、呪忌夜ちゃんは何時も、どうしているの?」
逆に聞かれちゃった。困った。何て答えよう……。とりあえず私は、失敗した時のことと、いつも私がしていることを話した。
自分の部屋でくつろいでて、手が滑って、カップと中に入ってたココアを倒して、テーブルを汚して、カーペットにシミを作ったこと。
頭に物語を思い描いて、お芝居をしたこと。額縁に入れて壁に飾ってあるカワセミの写真。あだ名はクーちゃん。
「クーちゃんは何でクーちゃんという名前なのかな?」
「クーちゃん? クールに見えるからクーちゃんだよ」
「なるほど、クールに見えるのね」
川の側みたいなところで、細い木に止まって、翼を休めているカワセミのクーちゃん。不思議な青い色とお腹のオレンジ色が綺麗で、表情もシャキってしている。それがとってもクールに見える。だからクーちゃん。
私が質問に答えると洋子さんはにんまり笑った。全ての謎は解けた、って感じの晴れやかで満足そうな顔だった。さっきからずっとだけど、表情が凄く良く変わる人だなって思った。
それからまた、洋子さんに話の続きをしてって言われた。だから、生まれてすぐに腸重積が起こって、大変だったらしいってことを話した。
親戚の集まりでそれを、お酒に酔っ払ったおばさんに聞いたこと。おへその下の手術跡のこと。手術したはずなのに、腸の管が少しだけおかしくなっていて、よく私のお腹の調子が悪くなるのは、それが原因だって言われた。お腹の中で、いつも感じるところがキュってなって、そうなると私は凄い不安を感じる。なるべく我慢しているけど、たまに凄く怖くて、耐えられないかもって時がある。そういうのも全部話した。
「大変だったわね。でも25才くらいでまた手術するから、そうしたらちゃんと良くなるわ。それまでに目立った事もなさそうだし、安心しなさい」
「手術するの?」
聞いてない。
「そんな顔しない。それまでに心の準備ができて、強い気持ちで迎えられるんだから。それに今から心配しても、疲れるだけよ」
「うん」
「さあ、それより続き続き!」
私を励ましたあと、洋子さんは知的好奇心が刺激された顔をした。私もよく同じ顔をするから分かる。そういう時にどんな顔をしているのかも、刺激好奇心でちゃんと鏡で確認したことがあるから分かる。
困ったなって思った。こういうふうになっている時は、しつこくて面倒な感じになる。私がそうだから分かる。緑ちゃんを見ると、やれやれって感じに首を横にふった。何度も首を横にふっているから、どうにもならない、諦めなさいって言われてるみたいだった。
諦めて話を続けることにした。学校に入学したばかりで、まだなれてなかった頃に見た、変なおっちゃんが校門でやってたお店。そこに並んでいた夢のアイテム。おっちゃんのつぶやき。
このたびに洋子さんから、おっちゃんはどんな服装だったかしら? どんな商品が並んでいたのかしら? おっちゃんは何て呟いたの? というふうに質問された。私は覚えていることを全部しゃべった。
あとそれから、私の大好きな色々な鳥のことも話した。チッチの愛らしさとか、カラスの歩き方とか。あと雉はあんまり「ケーン」て鳴いてなくて、私には「ヒー、ヒー!」っていう鳴き声に聞こえることとか。
近所の河川敷の側を散歩していて、けっきょく、色々な鳥に逃げられちゃうことも話した。それでも新しい発見があること。
道を横切るイタチ、おもむろに現れたタヌキ、気ぐらいの高い野良猫とか。たいてい逃げられちゃうんだけど、でもたまに、興味深そうに私を見上げる子もいる。そんな発見があることを話した。
「なるほどね。ありがとう、本当に楽しかったわ」
考えながらしゃべってたから、なんだか本当に疲れた。洋子さんは楽しそうな顔で言って、ポットから私のカップに、おかわりを注いでくれた。
「お疲れ様。でも、溜め込んでいる事を話すとすっきりするでしょ?」
「そうなの?」
「たまに頭を整理しとかないと。人間から見た世界の出来事は、色々と話がややこしいから」
「話がややこしい?」
また出てきた。お茶会を始める時に、洋子さんが叫んでたやつだ。
「なんで話がややこしいの」
「それをこれから話すから、慌てないで聞きなさい」
「うん。ごめんなさい」
「良い子ね」
そう言って、頭をなでようとしてきたから、あわてて後ろに避けた。洋子さんは手を伸ばしたまま不機嫌そうな顔をした。
「もう! まあ良いわ。そうね、疑心暗鬼って知ってるかしら?」
「うん。疑り深くなって気持ちが暗くなったり、怒りっぽくなったりするヤツ」
「その通り、良く出来ました。たいていの生き物は疑り深いの。警戒心の働きで、ほっといたら色々なことを考えてしまう。生存欲求というものね」
生存欲求。なるほど、色々なところで見かける鳥たちは、疑り深くなってすぐに逃げてしまう。
「それが酷くなると、何でもないような事なのに、とても恐ろしく感じてしまう。それは心が弱いだけじゃなくて、生き物の持つ機能に、そういう性質があるからなの。とても正常に機能しているのね」
「じゃあ良いんだ?」
「でも人の世の中では、それが問題を生み出して、困った事になっちゃうの」
「ダメなんだ……」
「どちらでもあるし、どちらでもないの。困る事もあるけど、この世界の生き物としては、必要な力なんだから。自分の能力の全部が思い通り、そればっかりだと、おかしくなってしまう」
洋子さんは、少し違った雰囲気で、それを話した。おかしくなってしまう。何か気になるようなことがあったのかな?
「人間の社会の中で、素早く、様々な理解を求められている。そんな私達だけど、でもそのあり方は結局、“分からない”というものに向き合い続ける事になってしまう。それなのに、“分からない”を認める訳にはいかない。そんなものは神様でもない限り、どうにもならない。でも今さら止める訳にもいかない……」
「神さまっているの?」
「さあ、どうでしょうね?」
大きな口を、思わせぶりにつり上げて、目を細めて私を見てくる。その言い方はなんだか、知ってるけど話さないっていう感じがする。
「とにかく。起きている事と、私達がこうなりたいって思うような事は、あべこべなのよ。ややこしい話よね?」
「あべこべだって分かってるんなら、ちゃんと区別すれば良いじゃん。これはこうで、これはこうですよって。最初からそういうふうに、分かりやすくしてくれたら良いじゃん」
「でもそれじゃあ、話がややこしくならないでしょう?」
「話がややこしく……」
わざわざややこしくする必要あるの? それになんだか今の話は、同じことをぐるぐる違うものにされて、それを聞かされているみたいな感じだ。難しくて分からないのに、ゴチゴチゃしてるから、それこそややこしいよ。
「あーまたそれ、呪忌夜ちゃんが怖い顔をしてまーす! さっきから、ずっとでーす! 私だから良いけど、勝手の分からない人が見たら絶対に怖い顔。そういうのも発作なんだからね。貴女は顔が整ってて、しかもはっきりとした顔立ちなの。だから余計に怖いの。もうそんな顔をしないでね。せっかくの美人が台無し。そうなったら私は悲しい……。それに分からないことばかりで、話がややこしいから、だから一生懸命になれるの。そうに決まってるの! そうじゃなかったら逆につまらない。そうだから生きられるの! はい、これで納得しなさい」
洋子さんが早口で言った。しかも顔が怖いって言われた。私は顔が怖いの?
緑ちゃんに目で確認してみる。緑ちゃんはうんて頷いた。そうだったんだ。ガーン……。ショックだ。私は顔が怖いのか。
あまりの衝撃に頭が真っ白で、ぽけーっとしてた。
「違う違う。難しい事を考えてたり、あと怒ってる時だけだよ」
手を左右にふってから、緑ちゃんがそう言ってくれた。怒ってる時だけ。じゃあ普段は大丈夫なのかな?
「そういう時だけなの?」
「いつもの呪忌夜は可愛いから大丈夫」
「本当に?」
「うん」
緑ちゃんはしっかりうなずいた。可愛いって言われちゃったなぁ。なんだか元気が出てきたなぁ。緑ちゃんもニッコリしてる。幸せな感じがするなぁ。
「ねえ、緑ちゃん。実は私、自分の名前があんまり好きじゃないの」
「なんで? 呪われていて忌まわしい、それでいて夜。とてもロマンチックだと思うよ」
「本当に?」
「当たり前でしょ」
「そうなんだ……」
緑ちゃんの言葉がすとんて、私のお腹に落ち着いた。もしかして私は、ずっとつまらないことを気にしていたのかも知れない。
「さて、」
洋子さんが時計を見ながら言った。
「きっと外はもう暗いわね。楽しかったけどもうおしまい。貴方たち、そろそろ帰りなさい、送ってくから」
洋子さんがそう言った。緑ちゃんが「お願いします」って返事をした。私は良く分からなかったから、どう返事をすれば良いのか迷った。
大人の人に送ってもらったら心強いけど、そういう親切が予想外だったから、私にはピンとこなかった。不思議に感じられたくらいだった。だから思わず、「えっ」ていう顔をしちゃってた。それを見た洋子さんが眉をひそめて言った。
「お姫様たちだけで夜道を歩かせるはずがないでしょ? 深淵の魔女は、それほど悪い魔女じゃないのよ」
それから、私と緑ちゃんにエッチな流し目を送って、深淵の魔女はいたずらそうに笑った。
釣られて思わず、私たちも笑っちゃった。怒ったり、笑ったり、忙しい人。この人のことがだんだん、分かってきた気がする。まだ聞きたいこともあったし、もう少し話したかったんだけど、もう帰らないと……。まるでお祭りの後みたいな寂しさを感じる。でも仕方ない。
それにまた来れば良いや。ここは文房具屋さんなんだから。
そう思ってから、タロットカードをまとめて片づけてしまうために、私はとりあえず恋人のカードを探すことにした。