姫野呪忌夜でございます
名前に何があるの? みんながココアって呼ぶものを、どんな名前で呼んだって、甘くてほろ苦い香りは、変わらないと思うのに。
自分の部屋でくつろいでいた。平和なこの場所と、快適に包まれている自由な時間に、私はとても安心してた。でもそれが当たり前すぎて、動物園で暮らしているライオンのように油断していた。
本を読んでたら、なんだか喉が渇いたなあと思って、だらしない姿勢でそのままテーブルにあるカップに手を伸ばした。でも触れた瞬間に加減を間違えて、飲み物を倒してしまった。これは、やってしまいました。
「ウップス(やっちまったぜ)!」
我に返ると同時に、驚いたときの私の口癖が思わず出て、な、な、何か拭くものを……とあわてて起き上がった。容赦なくテーブルに広がるココア、そこから滴り落ちるココア、床にしかれたカーペット。やがてココアに染められていくカーペット。
部屋いっぱいに広がる甘い香りに私は、思わず「はいやー!」と叫んだ。それくらいのピンチだ。今さら手遅れだけど拭くものを取りに行こうとして急いだ、部屋から出ようとしてドアの前で、タンスの角に足の小指をぶつけた、けっこう勢い良くぶつけた、私は勢いが良かった、なるべくしてなった、示し合わせたようだった。
「……ぎゃあああー」
頭が追い付かなかった。とっさに声を上げて、それから足がもつれて、バランスを崩して、勢い良くお尻から床に倒れた。言葉を失う。しりもちなんていう生やさしいものじゃなく、容赦なく“どすん”といった。それはもう盛大に、お尻に衝撃を受けた。驚きはそのまま頭を突き抜けて天へと上った。
「はいやー!」
近隣に私の悲鳴がとどろく。足の小指にタンスのクリティカルヒットが炸裂して、それを自覚したら血の気が引いて、一瞬だけ悪寒を感じた。それから、神経回路に流れ星が命中したような痛みを感じた。ケツには、突き上げるようなとどめまで刺された。このままどうなってしまうの……。
驚きと痛みと困惑で、とりあえずライオンのように吠えた。百獣の王の事情を知らない人が聞いたら、殺人事件なのかも知れないぞと身構えたことだろう。でも今は、良識に構っている余裕なんてなかった。とにかく痛いのだから……。
おぼろげに、このまま昇天するのかもと、走馬灯が準備運動を始める様子が脳裏に見えた。えっさ、ほいさ。
「死んでたまるか!」
お尻をさすりながら、なんとか自分を奮い立たせる。
「……でも痛いの。足の小指が。ぴょんぴょん、白鳥の湖、おケツも痛いの、うねりが効いてきたの、ぴょんぴょん、必死の形相になってるの、自分でもそれが分かるの、まるで歌舞伎役者なの、縁取りの化粧みたいで、ぴょんぴょん、そうです私が、ぴょんぴょん、全部やりました、きっと出来心だったんです……」
片足跳びで、ぴょんぴょんしながら、念仏でも唱えるように、心の声が全部漏れていた。それでも動いているうちに、どうやらクラシックバレエをやるつもりになったみたい。けど、お尻が痛くてうねりが効いてきたから、必死の形相になって、まるで歌舞伎役者みたいだと思って、それで演じる事になった。理由なんてこの際もうどうでも良い。もうすでに泣きそうなんだし、それで気が済むんなら、表現するしかないと覚悟を決めた。
ほっといたら、ありもしない自分の罪を認めてしまうかも知れない。くじけそうな気持ちを、あらためて奮い立たせた。人生初挑戦。この時、不思議と心が静まるのを感じた。
片目を寄り目にして、もう一方の目で、この世の哀しみと不浄を見詰めていた。すでに迷いは無くなっていて、ただ真っ直ぐに、透き通った眼差しを彼方へと向ける。ただただ、ありのままの心で、自分の信念を現したまでのごとし。
“睨み”が決まった。
好調だった。正直なところ、私は内心、この時に喜びを噛み締めていた。それでも終わりが来たみたいだった。自分の限界を悟った私は、糸のきれた操り人形のように床に倒れ伏してしまう。すかさず足の小指を押さえて、逆の手で尻もさすって、誰に対してだか分からない庇護欲を誘うようにして、体を震わせる。そしてこう呟く。
「……みにくいアヒルの子」
その心は、この世界はきっと私を哀れな子供だと思うことだろう、しかしそれに決して恨みを覚えず、かといって卑屈になるということもなく、正直なところ私は今、脳内ホルモンのバランスが絶対におかしくなってるから、迷いがないとか言っといて、クラシックバレエに強い未練があったんで、あまり考えずに口から出た言葉がそれだった。支離滅裂。でもそれで良い。むしろそれが良い。だって充実しているのだから!
スポーツの後みたいに、体がぽかぽかしてきたし。ここですかさず、他人には絶対に見せられない、恍惚とした表情を顔に浮かべて、私は壁に飾られているカワセミの写真を見上げた。再びテンションが上がった。部屋の壁に飾られている、ちょっと凛々しい顔立ちのカワセミには、クーちゃんというあだ名がある。
涼しげな顔をしたクーちゃんに、勇気をもらった。それでますます盛り上がった私は、静謐な教会で聖女である主人公の私が弱々しく彼方を見つめる、そういう都合の良い感じのラストシーンを頭に思い描いた。
──おーい、今ちょうどここにとびっきり可哀想な女の子がいますよー。
心の声が調子良くはやし立てる。悲劇のヒロインに味をしめたらしい。やれるだけの事をやって、私はこの時、自分を捧げても良いとさえ本気で思っていた。絶対に気の迷いだし、そもそも何に対してだかは分からないけど、本気でそう思っていた。
最後まで諦めない気持ちで、どうにかやり遂げた、6分24秒の奇跡。清々しい気持ちで今、感動のフィナーレを迎える。ありがとう人類。私は全てを出しきりました。そしてこれから真っ白に燃えつきます。残念ながらここまでのようです。後の事はどうかよろしくお願いします。はい、これで任せました……。
おしまい。
ちなみに今のは、一年のうちに一回か二回か三回か四回はやらかすという、もう五回ということにしておきましょう。意味不明ですけど、もはや私の中で恒例となっている出来事です。バリエーションは色々とありますけど、最終的に私は儚く散ります。そこだけは安定してます。
あっ、あと意外かも知れませんが、実は私……けっこうドジなんです。まいったなあ、こう見えてけっこうドジなんですよ。それでいてナルシストかも知れません。それでも未来と希望と輝いている自分に。いやぁ……なんだろう。自己陶酔って本当に良いものですね。まんざらでもない。とまあ、そういう話は置いといて。
こんにちは。はじめまして。
私は姫野呪忌夜。
小学生の普通の女の子です。
名字はひめの、名前の方はじゅきやって読みます。よく変な名前だなって言われることがあって、そのたびに少しだけ自分の名前に思うところがある。けど、あんまり気にしないようにして、輝いて生きている女の子なんです。キラーン☆ どうかよろしくお願いします。
さっそくですけど、私のような名前の子をキラキラネームと言いますよね? 言うんだったかな? よし、言うということにしておきましょう。話が進まないんで。私も成長して、漢字の意味とかイメージを知ってからはどうしても気になるし、自分の心をごまかしきれない何かを感じるんですよ。
名前なんて自分ではどうにもならないことだし、くよくよしても仕方ないのに、何かあるとやっぱり傷つくんです。それに感情的な発作で、凄くしつこく言ってくる人たちがいます。例えばクラスの男子。いつも意地悪だから、はっきりいって困っています。
確かに、少し変わった名前かも知れないけど、でもそれだけでいけないことのような、まるで恥ずかしいことのような気持ちにさせられる。印象って大事だなって本当に思う。学校の自分のクラスの教室で、こんなふうにからかわれる。
「呪・忌・夜! はい。呪・忌・夜! はい。呪いの名前は、バナナ──」
ふぅ~♪ という感じでからかわれます。困っちゃいますね。まるで一人一人の役割が決まっているように、同じクラスの男子からそういうふうにからかわれるのですが、正直よく分からない感じです。5、6人くらいで声を揃えて言われるから勢いに負けて、立ち向かえない。それに意味が分からない。なんで私がバナナなんでしょう?
相手に聞いても、ニヤニヤ笑うばっかりだし。そのたびにとりあえず、子供だなって、諦めるようにしているし。強がって我慢するけど。でも本当は、どういうふうに受け止めたら良いのか分からない。正直な気持ちがそれです。
ぜんぜん違うかも知れないけど、私の大好物で例えると。ニンニクがわんさか入っているという理由でペペロンチーノが大嫌いな人が、反対に、スパゲティミートソースは大好き! と喜びながら、もう一口食べた瞬間に頭を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けて、私の中で、大論争に発展してしまう。粉チーズはどのタイミングでかけるんだー! って感じで。親戚のお爺ちゃんも確かこう言ってました。
「食べ物とかお酒が関わると、人間は、やっぱり怖いわなあ……」
バナナ。納得がいかなかったから、自分の苦手な食べ物と好きな食べ物と親戚のお爺ちゃんで考えたら、もしかしたらなんでバナナか分かるかなって思ったけど。残念ながらさっぱりですわなぁ。あっはっは。
まあ別にそれはいいんです。私のことを伝えたい。もしかすると、そんなのは「知らねえよ」というだけの話かもしれませんけど。実際、意味が分からないですよね。なんだか自分でもメチャクチャな流れだなって。ふへへ。
でも言わせてください。私はたまに思っちゃうんです。名前のことでからかわれてイジメられたり、お腹がきゅーってなって不安になったときに。
「なんでこうなんだろう? もういっそのこと地球が壊れて、世界が崩壊しちゃえば良いのに……」
もちろんいつもじゃない。それに、本当にそうなって欲しいわけじゃない。でもモヤモヤしているうちにどうしても、色々と考えちゃって。その結果が。うー。
話をかえましょう。ちなみに私の好物はスパゲティミートソースです。スパゲティが美味しいのはもちろん、ソースに溶け込むミートにも恋心を抱いて、煮込まれたトマトも大好物! だらしない表情でいつも、粉チーズをたっぷりかけて、幸せな気持ちでいただきます。
そして私にも、“コクと香り“が分かるくらいの、成長があるわけなんですよ。ぬふふ。“まろやかさ”とか“味の深みがある”とか、味覚を表現する呼び方も色々と覚えていって、嫌いな野菜もけっこう食べられるようになりました。
でもニンジンのグラッセは今も苦手。ものすごくがんばって我慢すれば余裕で食べられるけど、実はいまだに苦手。克服するまでは口に入れるのもムリでした。
……あれは最初の出会いが悪かった。美味しそうな見た目だから油断して、ためらいなく口にして、衝撃を受けました。見た目と味のギャップで軽いトラウマになりました。体が拒否していたからきっとそういうことなんでしょう。
カレーとかポテトサラダに入っているニンジンは平気だけど、ニンジンのグラッセになった瞬間に苦手。たぶん味つけがダメで、甘いのに美味しくないから無理です。
それでも、ちょっと噛んですぐ飲みこめば食べられるから成長はしてます。ワガママも少ししか言わなくなったし我慢も覚えたので、いよいよ、パーフェクト・魔女っ子見習いに変身。パン、パカ、パーン!
バナナとか、自分の名前とか、嫌いな食べ物とか気にしてもしょうがないことだし、それより自分の人生を好きになりたい。だからいくぞー!
「姫野呪忌夜」
口に出して言ってみると、どうでしょう私の名前? 素晴らしい響き? 輝いていると思いません? そりゃそうだよ。だってもう、素晴らしい毎日を過ごして、美味しい料理を味わって、それでもう全てが大好きになる特別な人生なんだから。
呪われていて忌まわしい、それでいて夜。とてもロマンチックだと思う。
からかわれたり、イジメられることもあるけど、そこは考え方だと思う。キラキラネームなんてきっといくらでもあるんだから。そんなのは、気にしてもしょうがないし。それにもし自分が、「剃刀名畏怖狼」と書いて「ウルフ」と読む、そんな名前の女の子だったらどうでしょう?
「えーと、剃刀名畏怖……。あっ、ごめん。あなたの名前って難しいね。なんて読むの?」
学校で同じクラスの女の子から聞かれた時に、「来た!」と反射的に身構えてしまって。これからどういう話になるのか、少し怖くて、うろたえながら、「剃刀名畏怖狼」って書いて「ウルフ」って読むのと答える。
「じゃあウルフちゃんだね。一緒にトイレ行こう?」
けっこう感じの良い人だった。それでも安心しきれなかったウルフちゃんは、いったいどんなお誘いなのかなって、やっぱり身構えてしまう。また名前の事で嫌な思いをする。
相手は誰とでも話せるような明るい性格の女の子で、教室中に響き渡るような声で誘ってくれて、いちおう親切な子だなって思うんだけど。
──この後トイレで何が起こるんだろう?
色々と想像して心配になると思う。気の進まないまま、でもけっきょく気づいたら、何人かの女の子と廊下を歩いていてトイレに行く。
「というか、あなたの名前ってちょっと変わってるね! でも私そういうの悪くないと思う。逆にスッゴクかっこいいと思うよ」
キラーン☆ 輝いて見える笑顔でそう言ってくれた。でも、もしそれが善意100%で言われているんだとしても、色々と納得できないウルフちゃんは「それなら変わってよ!」と本音が出て、今まで色々と溜め込んできた分、勢いが余ってそのまま、相手に掴みかかってしまった。
──おーい大変だ。剃刀名畏怖狼が女子トイレを、返り血で染めやがったー。
大事件だ! 我に返って現実を理解したウルフちゃんは、その場に呆然とたたずんでいた。ちょっともみ合っただけで、さすがに流血騒ぎにはなっていないのに、大げさな噂があちこちで囁かれた。そして、先生に呼び出されて叱られた。そして、次の日から学校に行けなくなってしまった。
ウルフちゃんは自分の部屋に引きこもった。それでもこのままじゃダメだ、どうにかしたい、自分を変えたい、知らない世界を知りたい。そう思ってめぼしいものをネットで探して、たまたま目についた不良マンガを読んだ。そして衝撃を受けた。何かが吹っ切れた気がする。ウルフちゃんは次の日から再び、学校に通い始めた。
「夜露死苦ぅー!」
ウルフちゃんは自分の信じる道を突っ走った。そのことで当然クラスでは浮いちゃったし、女子トイレで乱闘事件の騒ぎになった女の子たちとは対立した。けど、言いたいことをいってやりたいこともやって何度もケンカをしているうちに、だんだん仲良くなって、やがて彼女たちと“真のマブダチ”と呼べるようになった。
最初に話しかけてくれた女の子が、「初めて見た時、友達になりたいなって思ったんだ」と打ち明けてくれた。
それから「名前のことなんて、絶対に気にするようなことなのに、無神経だったよね」って言って謝ってくれた。
ウルフちゃんは泣いた。一緒にいたみんなも泣いた。私の方こそごめんねってウルフちゃんが言ったら、その後に他の子たちもごめんねって言い始めるから、そのままごめんね合戦が三往復続いた。
「もう終わらないじゃん」って誰かが言って。
「本当だね」って合いの手が入って。
どうやらそれがツボにはまったらしくて、それからみんなで笑った。楽しかった。
それから彼女たちはウルフちゃんを筆頭に、伝説のチーム『カボチャの馬車』を結成。今でもきっと、全国制覇の夢を目指している。
夜露死苦ぅー!
ありがとうウルフちゃん。なんだか勇気が沸いてきた。あなたはもう一人の私だ。この先もし出会う事があったら、その時はバチクソに夜露死苦しようね。
ふぅ。気持ちが晴れました。せっかくだから、この勇気に力を借りて、もっと深く、自分を紹介します。私は生まれてすぐに腸重積という発作で死にかけたらしいです。当たり前の話だけど、生まれたばかりだから、覚えてないんですけどね。私はそのまま開腹手術を受けて、でも術後の経過が悪くて、小腸に障害を残して、そのまま姫野呪忌夜の人生を過ごしたみたい。
人から聞いただけの話だから、自分に起きた出来事だって思えないし、じっさい今でも実感できてない。でも私の、現実が上手に飲み込めなかったり、周りの人と同じように出来ない考え方の癖は、そういうところに原因があるんだと思う。
急な話になりますが、小学校に入学したばかりの頃。私がまだ入学したばかりの学校の生活に、色々と戸惑っていた頃の話です。あれは放課後の事でした。
1日の授業が終わった解放感。それに浮かれている様子で、校門を抜けてお家に帰る子供たち。そして、鋭い眼差しを向けている、うさんくさい感じのおっちゃん。
おっちゃんは、校門の外側で、よく分からない商売をやっていた。会議室にあるような折り畳み式の机を置いて、そこに綺麗なピンク色のテーブルカバーを敷いて、子供が喜びそうなアイテムを並べて売っていた。
学校の校門という公共のスペースに、我が物顔でお店を開いていて、うさんくさいのに話が上手だから、非日常的なものを見つけた子供たちは、興味を引かれた。最初はとまどったけど、子供たちのうちの何人かは、特別なイベントにまんまと釣られてしまう。
賑やかな色彩が印刷された、振り回すとシュルシュルとよく伸びる長い紙を巻き付けた棒。
種も仕掛けも楽しみ方もよく分からなかったけど、なんだか妙な説得力だけはあったカードマジック。
ありきたりな怪奇現象を網羅した情報誌。
ギミックでアダプトして、内側でバーニングファイヤー(火花)を立ち上らせる、『エレクトリックサンダー』というヨーヨー。
それ以外にも、色々なものを売り付けようとしていた。おっちゃんは自分の欲望に正直で、とにかくお金を手に入れようとしている大人だった。
「試しにちょっと遊んでごらん。まだここでやってるから。お金が無かったら1度、お家に帰って、取ってきたら良いよ。あー、でもおじさんにも都合があるから。早くしないと、もしかしたら、お店を閉めちゃうかも知れないなぁ……。残念!」
そんな感じのセールストークをしゃべっているうちに、とうとう興奮して、余計なことまで話してしまう。
「……離婚して分かれた嫁が最近、息子と会わせてくれなくてよぉ」
ちょっとおかしな感じになってしまう。そんな残念なおっちゃんがふいに、
「才能と自覚は共存できない関係性にある……」
明後日を眺めながらぼんやりとした顔で、難しい事を口にした。何か危ない薬をやっていたのかも知れない。その時にちょうど、商品を手に取っていた私の頭に収まるくらいの記憶。
──あるところに小腸の管がおりました。その管は、すぐ隣の腸管と仲良しになりたくて、自分を止められなくて、とにかくお近づきになりたくて、小腸の膜組織が「止めて」と言っているのに、お構いなしに迫って、お互いの腸管膜を超えて、重なって、儚く積んでしまいました。
腸重積。生まれてすぐの私を殺そうとした病名は、そういう名前だった。
──そういえば、生まれてすぐ、あんた死にかけたよね?
これはわりと最近の話で、親戚の集まりが開かれて、その最中にお酒に酔った女の人にそう聞かされた。お酒に酔って、だらしない顔をしていたその人の顔が、とても印象的だった。いつも私をからかってくる、同じクラスの男子たちの、ニヤニヤした笑い方と同じように見えた。
──あっ、ええと。今のジョーダンよ。私が言ったっていうのは内緒ね。やっぱりそうだよね。ふひ、今の嘘ね。いやー、めんごめんご、お酒って怖いよね。あーはっはっはー。
一通りの事を私に話すと、その人はなぜか急に我に返って、それから不自然なくらい大きな声で言った。その言い訳にとまどっている私をちらっと見てから、何もなかったような顔で大人の輪の中に加わっていった。私は一部始終を、ぽけーっと眺めているだけだった。
なんで、当たり前の反応が返ってくるみたいに聞いてきたんだろう。そんなの自分に起きた事だって実感できないのに。何を期待していたんだろう。私は不思議に思っていた。
人の集まりの中で、私はその時、生まれてすぐの自分が可愛そうに思えた。料理とお酒に浮かれて、一体感に包まれている大人たちも。広間で遊んでいる、年の近い親戚の子供たちも。私とは関係ない存在のように思えた。
帰りの電車で揺られながら、ぼんやり。よく分からないけど涙が出た。生まれてすぐに、きっと何も分からないまま、泣いていたんだろうなと思った。
私のおへその下には、わりとはっきりと、手術の跡が残っている。それまではあまり気にならなかった。お母さんに理由を聞いて、「手術したんだよ」と言われて、本当にそれで納得してたのに。それ以来、私の大切な日常を汚されたような気がしてしまう。
あのニヤニヤした顔を見てから。何かのきっかけで、誰かにこれを見られたら、相手はどういう反応になるのか。逆に私は、どういう反応をすれば良いのか。ぜんぜん分からない。過去の事も、これから未来に起こる出来事も、色々なことが怖くなる。だとしても、これは自分を可愛そうだと思っているんじゃない。自身の体験なんだから。憐れに思って振り返るなんて、絶対にそんな甘い事じゃない。私にとって当たり前の感情なんだから。
夢は覚める。朝になって、目が覚めて、キラキラ光っていた喜びの続きに、どうしようもないくらい未練があったとしても、それでもどこかで、ふんぎりをつけないといけない。魔法のような夢の時間はお預けになったのだから。
校門のおっちゃんはそれからしばらくして、警察に連行されたというふうに聞いた。あとは、エルサルバドルの刑務所にいるとか、ベーリング海のカニ漁船に乗せられたのだとか、良く分からないけど、小学生たちの間で大げさな噂が囁かれた。噂だから、どれが正しいのか分からないけど。とにかく姿を見かけなくなった。私はそれを聞いて、少し残念だなって思った……。
夢から目が覚めて、世界は残酷かも知れないけど、でもちゃんとがんばらないといけない。飲み物を倒したら、テーブルを丁寧に拭く。ココアの染み込んだカーペットも、洗えば元通り。シミは残るかも知れないけど、あんまり気にしないで笑う。私は相変わらずドジで失敗ばかりだけど、そのたびに物語を演じていれば、お芝居のレパートリーが増えていく。だから楽しい。
私の名前は、姫野呪忌夜。
好物はスパゲティミートソースです。ニンニクが入ってるからペペロンチーノは苦手です。でも、これからがんばります。どうぞ、夜露死苦ぅー!
なんちゃってね。