第99話 市民を守る戦い
今もどこかで爆発音が鳴り響き、破壊された建物から立ち上る黒煙が視界をかすませる。まさかこんな形で再び戦場のような光景を見ることになるなんて、想像していなかった。だけど、泣き叫ぶ市民を放っておくわけにはいかない。
「助けて! 誰か、うちの子が、あの家にまだ……!」
悲鳴のような声が私の耳に飛び込む。振り返ると、火炎に包まれかけた小さな家の前で、必死に泣き崩れている女性がいる。直感的に、子どもが取り残されているんだと分かった。心臓が痛む。
「落ち着いてください。わたしが探しに行きます。レオン!」
私はすぐ後ろにいるはずの夫を呼ぶが、いつの間にか姿が見当たらない。さっきまで近くにいたはずが、別の場所で市民を助けているのだろうか。もどかしいけれど、ここで立ち尽くしていては命が救えない。
「セシリア様、わたしが行きましょうか!」
かけ寄ってきたのは警備兵の一人。まだ若いが、顔に緊張が走りながらも勇気を振り絞っているのが分かる。私は少し考え、一緒に行くかどうか迷ったが、子どもの命がかかっている以上、急がねばならない。
「ありがとう。あなた一人に行かせるわけにはいかないわ。わたしも手伝う。……準備はいい?」
「はい!」
私たちはうなずき合い、燃えかけた家屋の扉を破るように踏み込み、煙にむせ返りながらも中を探す。息が熱気に包まれ、まともに呼吸するのが苦しい。床には砕けた家具や散乱した道具が転がっていて、視界も悪い。
奥のほうから、子どものすすり泣く声が小さく聞こえた。私の胸が一気に高鳴る。
「そっちよ! 早く――!」
「了解です!」
警備兵と共に、崩れかけた家具をどかしながら奥へ進むと、怯えた様子で隅にうずくまる小さな子どもがいた。泣きじゃくりながら、か細い声で「ママ……」と呼んでいる。
私は急いで子どもに駆け寄り、抱きかかえるようにして声をかけた。
「もう大丈夫。すぐ外へ出るから、目を開けなくていいわ。さ、落ち着いて」
手足が震える子をなんとか安心させながら、警備兵が入り口を確保してくれる。煙に視界を奪われつつも、私たちはどうにか火の手から逃れ、外へ出ることができた。
外では母親が涙を浮かべて待っている。彼女の姿を見るや否や、子どもが「ママ!」と叫んで両腕を伸ばす。母親は必死に抱きしめ、安堵のあまりへたり込んでしまった。
「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます……!」
その言葉に、心がじんとあたたかくなった。この混乱の中、一人でも助けられたのなら、私はまだ戦える気がする。
「よかった……怪我はない? ここは危険だから、急いで安全な場所へ避難して」
「は、はい……! お気をつけて、セシリア様も……!」
母子が泣きながら抱き合う様子を見届けて、私は一度息をつく。視界を巡らせると、周囲ではまだ火の手があちこちに上がり、覆面をした襲撃犯らしき者が逃げ惑う市民を追い立てる光景が目に入る。まるで地獄絵図だ。
そこへ剣戟の音が響いて、思わず振り返る。人混みの先で誰かが激しく斬り合っているようだが、距離がありすぎてよく見えない。レオンなのか、それとも警備隊なのか――
「セシリア様! 無事でしたか?」
さきほどの警備兵が駆け戻ってきて、ホッとした顔をしている。私もうなずき返したが、その一方で、レオンの安否が気にかかって仕方ない。
「警備兵の方々は? みんな散り散りで、市民の誘導をしてるの?」
「はい! ですが敵も複数現れて……みんな必死に応戦しています。レオン様は、別の地区のほうへ向かわれたという話を聞きましたが……」
「そっか……ありがとう。わたしも合流したいけど、まずここでやれることをやってからね。貴方は火を消す手配や、人々の避難誘導を――ごめん、簡単にはいかないわよね?」
「わかりました。こちらは任せてください!」
警備兵が力強く答え、再び走り去っていく。その背中を見送りつつ、私は拳を軽く握りしめる。襲撃犯を止めなければ、この街が丸ごと焼け落ちてしまうかもしれない。そうなる前に、レオンと合流して対応を考えなくちゃ。
そう思って通りを進もうとした瞬間、再び爆音が耳を打った。ビルの壁が崩れ落ち、土煙が辺りを覆う。その土煙の中から、黒い覆面をつけた襲撃犯が飛び出し、私に気づいて怪訝そうな声を上げる。
「……革命の象徴……セシリア・ローゼンブルクか。ちょうどいい、ここで討ち取ってやる!」
言葉が終わらないうちに、男は刃物を振りかざし、私に向かって突進してくる。ビラを撒いていた連中よりはるかに殺気が強く、ためらいのない動きだ。私は咄嗟に短剣を引き抜き、鋭い一撃を受け流す。
「っ……!」
激しい衝突音が腕を痺れさせる。何とか弾き返したものの、相手は怯まない。すぐに続けざまの攻撃を繰り出してくる。周囲に市民の姿は見当たらず、私が一人で応戦する形になりそうだ。
こんな場所で長引いたら危険だ――私は冷静にフェイントを入れつつ、相手の武器を外へそらすように動く。しかし、覆面男は意外とスピードがあり、一筋縄ではいかなそう。煙と火炎のせいで呼吸もしづらい。
(戦いは嫌だけど、今は守るためにやらなきゃ……!)
私は歯を食いしばり、短剣を胸元で構え直す。再度襲いかかる男の剣をギリギリで交わし、空いた隙にカウンターを入れようとした……そのときだった。
「セシリア、大丈夫か!」
聞き慣れた声と共に、視界の端からレオンが飛び込んでくる。彼の剣が覆面男の腕を勢いよく弾き飛ばし、そのまま私への攻撃を封じてくれた。助かった……胸をなで下ろす。
「レオン……!」
「ごめん、遅れた。こいつは俺が引き受ける。セシリアは市民の避難を優先してくれ」
「でも……」
反論しようとしたが、覆面男が予想以上に手強いのは確かだ。私よりもレオンが正面で相手したほうがいいかもしれない。傷つくのは怖いけど、信頼できる相棒がここにいてくれるのは何より心強い。
私は二人の剣戟が火花を散らすのを尻目に、周囲を見渡す。まだあちこちで炎が上がり、人々が悲鳴を上げている。ここで立ち止まっていたら、さらに被害が広がるだろう。
「わかった……レオン、気をつけて! 怪我なんかしないでよ!」
「大丈夫だ、任せろ。早く行け!」
レオンが鋭い目で覆面男を睨みつけるのを確認して、私はうなずきつつ走り出す。通り沿いにはまだ倒れ込んでいる人がいるし、火炎に巻かれて逃げ遅れた人たちもいるに違いない。
泣き叫ぶ声に向かって駆け寄り、なるべく多くの命を助ける――この殺し合いを、少しでも早く終わらせてみせる。そんな思いを強く抱きながら、私は炎と煙の中に飛び込むようにして、必死に市民を探す。
轟音と熱気が襲いくる中、私は歯を食いしばる。もう再び戦いなんて、二度としたくなかったのに。でも今ここで目を背けたら、どれだけの人が苦しむことになるのだろう。
レオンの心配はある。だけど彼を信じよう。愛する人だからこそ、どんなに苦しくても彼を信じて自分の役目を果たすんだ――そうして私は、一刻も早く人々を火の手から救い出すために走り続けるのだった。




