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第9話 夜会の華やぎ

 大広間へ足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。


 さっきまでいた廊下も十分に豪華だったが、ここは別格だ。天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、無数のクリスタルを揺らしながら黄金の光を放っている。壁にはきらびやかな装飾が走り、よく手入れされたカーペットが赤く輝いている。まるで夢の中に足を踏み入れたような非日常感に、思わず口が半開きになる。


「……す、すごい。王宮の夜会って本当にこんななんだな」

「きゃあ……あのドレス、何十万コインするんでしょう。うわ、あっちの貴婦人は宝石を全身に……。むしろ重くないんですかね!?」


 グレイスの興奮した声が響く。周囲を見渡すと、貴族の男女が艶やかなドレスやタキシードに身を包み、優雅な笑みを浮かべながら談笑している。どの衣装を見ても、俺たちが普段目にすることのない豪華さを放っていて、あまりに場違いな感じがしてくる。


 なんて言うか、舞台が違う。無数の宝石がきらめき、香水が仄かに立ち込め、そこに甘い音楽が流れていて――俺はこの華やかな波に溺れそうになる。


「やっぱり慣れないな……。下級貴族ってだけで肩身が狭いのに、王太子殿下の夜会だし……」

「だ、大丈夫ですよ、レオン様。わたしたちだって正装してますし……えっと……うん、そんなに変じゃないはず!」

「お前が『はず』って言うと不安になるからやめてくれ」


 そんな軽いやりとりをしながらも、落ち着かない。どうしたらいいんだろう。とりあえず、誰かに挨拶でもしてみるべきだろうか。


 ほかの客を見ると、知り合い同士が連れ立って談笑していたり、あるいは初対面の人と自己紹介していたりする。下級貴族の俺が突っ込んでいいものか迷うが、このまま突っ立っていても始まらない。


「よし、勇気を出して……近くの人に声をかけてみるか。ここで何もしないと、絶対に浮いて終わる」

「レ、レオン様、がんばってください! わたしは後ろで見守っています!」

「その頼もしさのなさよ……ま、いいよ。行くか」


 ドキドキしながら、ちょうど目が合った若い貴族風の男性に歩み寄る。彼は鮮やかな青いタキシードをまとい、隣には上品な女性が控えている。


 俺は胸のあたりで手を当て、礼儀正しく挨拶を――と思ったのだが、どうも舌がうまく回らない。


「は、はじめまして。クリフォード領から参りました、レオン・クリフォードと申しますが、えっと、その……」

「……クリフォード領? すまないが、どこかの伯爵領だったかね?」

「い、いえ……下級貴族の領地でして、辺境のほうです」


 俺が説明する前に、男性は「ふうん、辺境ね」と小さく鼻で笑う。そして女性もまた視線を合わせようともせず、そっぽを向いてしまった。気まずい沈黙。


 こっちが何か言おうとしても、先方はすでに興味を失ったのか、すっと踵を返して別の貴族のもとへ行ってしまう。こうして「自己紹介トライ」はあえなく撃沈だ。


「くっ……や、やっぱりこんな感じか……」

「うう、やっぱり下級貴族だと、相手にされないものなんですね。せっかく勇気を出されたのに……」

「まあ、しょうがない。こんなの最初から覚悟してたが、実際に目の当たりにすると凹むな……」


 深いため息をつく。グレイスもシュンとしているが、これが社交界の厳しさなのだろう。特にここは王太子殿下の夜会――集まるのはほぼ高位の貴族や名のある者たち。そこへ下級貴族が混ざったところで、興味を持たれないのも当然かもしれない。


 とはいえ、このままずっと壁の花状態じゃ困る。意を決して、もう少し廊下のほうを見てみるかと歩を進める。


「……なんか、すごい噂話が飛び交ってるみたいだぞ」


 耳を澄ますと、あちらこちらから「王太子殿下はいまだに姿を見せてない」「今日は何か重大な発表があるらしい」なんてささやきが聞こえてくる。


「重大な発表って、いったいなんでしょうね? もしかしてご結婚の話? それとも、新たな政策?」

「さあな。王太子殿下が遅れているらしいし、噂が飛び交うのも無理はない。貴族社会ってこういう“先読み”みたいのがやたら盛んなんだよな……」


 俺たちがそんな話をしていると、遠くでグラスを傾ける貴族の男女が耳に入ってきた。小声で話しているのだが、どうやら「セシリア・ローゼンブルク……」というフレーズが漏れている。


「セシリア・ローゼンブルク? たしか王太子の婚約者の……」

「さあ……わたしも知らないですが、ローゼンブルク家って高位貴族の家名ですよね。王太子殿下と何かあるのかな」

「わからない。でも、あの言い方はどうも不穏だ。『あの女がどうとか……』と妙な含みがある……」


 グレイスの耳もピクピクしている。何かただならぬ事情がありそうな雰囲気だ。もしかして、先ほど聞こえた「重大な発表」とやらに関係しているのか? この夜会で何か大きな出来事が起こる気配が漂う。


 俺は胸の奥にわけもない緊張を感じながら、グレイスの腕を引いて大広間の奥へと進んだ。そこここで笑顔の輪ができているが、俺たちが加わる隙はあまりなさそうだ。


「……正直、出席してみたものの、何をすればいいのやら。でも、せめて場の空気に慣れないと……」

「はい……。うう、わたしがドジしないようにだけ、気をつけますね」

「さっきからお前、腰が引けてるぞ? それだと余計転びそうだ」

「はうっ……すみません。でも、周りがみんな超一流の雰囲気で……足が地に着いてない気分です……」


 そんなやりとりをしながらも、背中には嫌な汗がじっとり。どうにも落ち着かない。夜会というのはもっとフランクな雰囲気かと思っていたが、実際はどこか張り詰めた空気がある。


 にこやかに談笑している貴族たちも、内心では相手を値踏みしているのかもしれないし、この場には政治的駆け引きも絡んでいるのだろう。


「……そういえば、王太子殿下はいまだに姿を見せないな。遅刻というか、わざと最後に登場するものなのか……?」

「主役は遅れて登場ってやつでしょうか。でも、王太子ですもんね。もしかすると忙しいんでしょうね」

「ふむ、それもそうか……。とにかく、俺たちが呼ばれた理由が何なのか、早く知りたいところだ。セシリア・ローゼンブルクっていう人物も気になるし……」


 グレイスと二人で視線を交わす。この夜会には、ただの社交パーティーではない何かがあるように感じる。


 噂話では、王太子フィリップ殿下がかなり権力を振るっているとか、高位貴族との関係がきしんでいるとか。そうした事情の一端が、この夜に表面化するのだろうか。


 結局のところ、下級貴族の俺にできるのは、傍観することだけ……かもしれないが。


「……さて、落ち着こう。グレイス、とりあえず飲み物でも取ってくるから、お前はそこで大人しく待ってろよ。テーブルにぶつかるなよ?」

「む、むしろレオン様こそ気をつけてください! 人が多いですし……。やっぱりわたし、行きます!」

「おいおい、一緒に行くと余計に危険が倍になる予感が……ま、仕方ないか」


 俺たちはドレス姿の貴婦人やタキシードの男性陣を軽くかき分け、ドリンクが置かれているテーブルへ近づいた。心なしか冷ややかな視線も感じるが、いちいち気にする余裕もない。


 そんなこんなで落ち着かない夜会の始まり。なまじ噂だけ聞かされている状態が、一層の緊張感を漂わせる。


 果たして、セシリア・ローゼンブルクとは誰なのか、王太子殿下はどんな人物なのか――。答えを知るのは、そう遠くないかもしれない。

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