第89話 クリフォード領の再建
季節は巡り、あれほど激しかった戦乱の痕跡も、クリフォード領では徐々に取り除かれつつあった。
俺は久しぶりに戻った領地の村をゆっくり歩きながら、瓦礫の山が片づけられ、新しい木材で建て替えられた家々を眺める。あちこちから笑い声と作業音が混じり合い、空には穏やかな青が広がっていた。
「お帰りなさいませ、レオン様! あの、村の井戸も新しく掘り直せそうですし、子どもたちも手伝ってくれてるんです!」
畑の脇から顔を出してきた農夫が、嬉しそうにそう告げる。以前の戦いで井戸が崩れたときは生活用水に困り果てていたが、ようやく再建のめどが立ったらしい。俺はそれを聞いてほっと胸を撫でおろす。
「よかった。例の資金援助が届けば、さらに修繕も進めやすいだろう。まだ国全体の混乱が続いてるけど、少しでも早くみんなが日常を取り戻せたらいいな」
「はい! いつもありがとうございます、レオン様。共和国体制とか、まだよくわかりませんが……こうして領主さまがちゃんと動いてくれるなら、わたしたちはがんばれます!」
農夫は泥のついた手を振って、また畑へ戻っていく。笑顔の奥には、苦労しながらも前に進もうという覚悟が見える。俺はその背中に励まされる思いで、さらに奥の村へと足を進めた。
すると、木陰のほうでグレイスがかがんでいる姿が見える。彼女は地面の上の何かをじっと見つめているようだ。
「グレイス、何してるんだ? そんなに真剣な顔をして……まさかまた何か落としたのか?」
「きゃあっ! あ、レオン様、びっくりさせないでください~。あの、その、実は村人さんに頼まれたお届けものをうっかり地面に落としちゃって……どこに転がったかわからなくて……」
やっぱり。グレイスには申し訳ないが、相変わらずのドジっぷりに苦笑しか浮かばない。彼女は額に汗を浮かべながら、土の上をキョロキョロと探している。
「まったく……まあいい、俺も手伝うから。一緒に探そう」
「すみません~。まったくわたしってば、全然成長してないかも。戦いが終わっても、このドジだけは治らなくて……」
グレイスがしょんぼりする横で、俺はくすっと笑い、足元を注意深く見回す。「ほら、あったぞ」と落ちていた小さな包みを拾い上げると、彼女はパッと顔を輝かせる。
「ひゃああ! ありがとうございます、レオン様! もうこんなドジばかりで……あ、でもわたし、事務手伝いとかはちゃんと頑張ってるんですよ!」
「ああ、知ってる。書類仕事ではすごく助かってる。ドジは相変わらずだけどな」
「うう、そこは否定してほしかったですー!」
そんな何気ないやり取りに、俺は心が温かくなる。かつて王太子に暗殺されそうになり、王都から命からがら逃げてきたころは想像もできなかった穏やかさ。今はこうして、少しずつ日常を取り戻すことができている。
グレイスが包みを持って嬉しそうに走り去ると、向こうからセシリアがゆっくり歩いてくるのが見えた。彼女は手に書類を抱え、領民たちと話し込みながら、畑の様子を確かめているようだ。
「セシリア、調子はどうだ? 共和国体制の試験的制度づくり、うまくいきそうか?」
「ええ、まだまだ問題は山積みだけれど、そもそも何もかも初めてだもの。領地や自治組織から代表を出してもらい、まとめる作業を急いでいるわ。商人や学者の意見も取り入れながらね」
「そりゃ大変だ。王都や他の領地とも連携しなきゃいけないし……でも、きっと軌道に乗るさ。ここで折れたら何のための革命だったか分からないからな」
彼女が微笑みながら、「そうよね」とうなずく。その笑顔には疲労も見えるが、それ以上に強い決意が宿っている。セシリアが先頭に立って制度づくりを進めてくれるおかげで、俺も安心して領地の再建に集中できるところは多い。
周囲の農民や子どもたちも、遠巻きにセシリアを見ては「お嬢様って感じで綺麗ね……」「いや、あれでもバリバリ仕事してるらしいよ」とささやき合っている。かつて高位貴族だったとは思えないほど、彼女は地に足をつけて動いている。
「レオン、そっちは村の復興状況はどう? 井戸の問題とか解決しそうなの?」
「ああ、資金援助と商人ルートを使って、なんとか再開できる見込みだ。新しい井戸を掘る作業が進んでいるし、物資もこの数日で届く予定だよ。子どもたちが手伝ってるらしい」
「ふふ、それはいいことね。村人たちが自分で考えて行動する力を発揮してくれたら、立ち上がりは早いわ。わたしたちがずっと指示を出すわけにはいかないし」
「そうなんだよ。共和国だし、皆が主体的に取り組めた方がいい。こうやって実感するんだな……王政がなくても、ちゃんとやっていけるんだって」
俺は空を見上げながらしみじみと思う。貴族や王族だけが支配する世界の崩壊は、多くの死と破壊をもたらしたが、そこから生まれた新しい希望も確かに存在する。大変だけど、みんな手探りで頑張っている。
ちょうどそこへ、村の男の子たちがキャッキャと笑い合いながら走り寄ってきた。砂埃を巻き上げながら、まだあどけない表情で俺たちを見上げる。
「レオン様、聞いてよ! 僕たち、新しい畑を手伝ったんだよ! それから、セシリアさんが教えてくれたとおり、共同の倉庫も作ってるんだ!」
「おお、すごいな。自分たちの手でやるって大変だろう? でもきっと、いい経験になるさ。大きくなったら、もっと立派な農家や商人になれるかもしれないぞ」
彼らは誇らしげに胸を張り、「うん!」と元気に答える。セシリアが後ろでそっと微笑んでいるのを見て、俺も心がほっこりしてくる。
戦争と革命がもたらした悲しみは大きい。だけど、こうして子どもたちが笑っている光景を見ると、俺は救われる思いがする。彼らにとっては、新しい世界への扉が開いているのだろう。
「さて、それじゃあ俺たちも、そろそろ領地の回りを巡回しようか。道路や橋が壊れてる場所もあるかもしれないし、どこで手伝いが必要か知りたいからな」
「そうね。農地だけじゃなくて、小さな集落にも届け出を出してもらわないと。わたしも同行するわ。グレイスを呼んできて、事務作業を手伝わせましょう」
「……あの子、大丈夫か? また荷物を落として迷子にならなきゃいいけど」
「ふふ、そこは覚悟しておきましょう」
そんな軽口を交わし合いながら、俺たちは村の中心部へ足を向ける。畑の香りが漂い、日差しがやわらかく降り注ぐなか、子どもたちや農民たちの笑顔がちらちらと視界に入るたび、自然と笑みが漏れた。
長かった戦いは終わり、こうして平和が取り戻されつつある。共和国として本格的に歩み始めるまでには、まだ多くの議論や対立もあるだろう。だが、みんなが少しずつ前へ進んでいるのは間違いない。
かつて、王都の夜会でセシリアと出会い、運命に翻弄された自分が、こんなに穏やかな領地の風景を見ている。――遠い昔を振り返ると、不思議な気持ちでいっぱいだ。
「戦乱を乗り越えたあとの風は、こんなにも暖かいんだな」
思わずつぶやくと、隣を歩いていたセシリアが「そうね」と小声で答える。その声には満足感というより、まだ先を見据えた静かな情熱があるようだった。
「ここからが本当の始まりよ、レオン。王政がなくても、私たちはやっていける。それを証明するために、もっと頑張りましょう」
「ああ、もちろんさ。一緒にやっていこう。俺だけじゃ絶対無理だ。君やみんながいるからこそ、成し遂げられるんだ」
並んで歩く俺たちの足元では、花の芽が小さく顔を出している。荒れ地と化していた大地も、耕しなおし、水を引けば再び作物が育っていく。人間の力を信じるしかない世界だけれど、その地道な努力こそが革命後の未来を作るのだろう。
子どもの笑い声、家を建て直す音、荷物を運ぶグレイスのどたばたも含めて、新しい日々が始まっている。この光景こそが、長い戦乱を経て得た平和の証だ――そう思うと、胸の奥が温かい希望で満たされていくのだった。




