第85話 形勢逆転
玉座の間での激戦が最高潮に達したころ、王宮の外でも新たな動きが巻き起こっていた。城壁や正門を突破した革命軍が次々と合流し、王太子軍を押し込みつつあるなか、フィリップが切り札として待ち望んでいたのは、周辺の忠誠貴族からの救援だった。
しかし――その期待は、みな裏切られる形となる。フィリップが渇望していた増援ではなく、まったく別の部隊が王宮の外に姿を見せていたのだから。
「こ、これは……? あれは、どこの旗だ? まさか敵が増えたのか!」
王太子軍の兵士が城壁の上から慌てて叫ぶ。視線の先には、イザベル・ラグランジュを中心にした一団が堂々と進軍してくる姿があった。旗印こそ王家の紋章に近い意匠を持つが、そこには赤いリボンのような装飾がなされており、一見すると王家とは別の勢力を示すようにも見える。
「イザベル様……いや、イザベル姫がおいでになられるとは……! どういうことだ!」
王太子軍の兵が困惑しながら背後を振り返るが、上官たちも状況がつかめていない。まさか王太子の妹であるイザベル姫が、自ら兵を率いてやってくるなど想像していなかったのだ。
一方、外の広場で合流した革命軍の兵が、その姿を見てざわめく。
「おい、あれは……姫殿下が来てるってことか? まさか、我々を叩き潰そうとする援軍じゃないだろうな」
「いや……なんか違うぞ。あっちにジェラルド・ウォルフォード卿や他の同盟貴族たちも一緒にいるじゃないか!」
ウォルフォード卿ら、かねてから王太子に不満を抱きつつも公には逆らいづらかった中級貴族の面々が、今はイザベル姫のもとに馳せ参じているのが確認できる。ということは――これはイザベル姫が兄フィリップを見限り、革命軍を支援するために動いているということに他ならない。
馬上にいたイザベル姫が、目前に迫る城壁を見据えて声を上げる。
「皆、聞いてちょうだい。わたしはイザベル・ラグランジュ、この国の王家に生まれたものだけれど、兄フィリップが行ってきた暴政をもう見過ごせない。……どうか、わたしに力を貸してください!」
その言葉に続いてウォルフォード卿が馬を進め、周囲の貴族や兵士たちに声を張り上げる。
「わたしも当初は王太子に表向き従っていましたが、もう限界だ。兄弟貴族の多くが革命軍に賛同し、すでに王都での戦いは実質的に革命軍が優勢! どうか、イザベル姫のもとに集ってくれ!」
こうして集まった同盟貴族や、騎兵隊が一斉に王宮へ突撃を開始。これまでは王太子軍と同盟関係にあった者も、後ろ盾であった傭兵隊の離反や民衆の蜂起を目の当たりにして態度を変えたのだ。王太子の威光はすでに地に落ち、彼らにとって今は新たな時代の流れに乗る方が得策と判断したのだろう。
玉座の間まで響くような騒然とした足音と喧噪。そこにいたフィリップがサーベルを握ったまま眉を釣り上げる。
「何だ、その声は……どこから来た援軍だ? まさか……私の望んでいた周辺貴族たちか?」
期待に満ちた表情を見せる一瞬。だが、それがすぐに焦燥と混乱に染まる。玉座の間の扉が再び開き、イザベル姫やウォルフォード卿、そして彼らの騎兵や貴族兵がぞろぞろと現れたからだ。目の当たりにした兵士たちが「姫殿下……?」と驚愕する中、姫は凛としてフィリップを睨む。
レオンやセシリアをはじめ、革命軍の面々もこの光景を注視している。まさか王家の血を引くイザベル姫が革命軍に手を貸す形で参戦するとは――予想外の展開だが、これで王太子の最後の望みだった貴族の救援は事実上消えたも同然だ。
「イザベル、お前……来てくれたか? ちょうどいい、こいつらを殲滅する手伝いをしろ……!」
フィリップは最後の望みにすがるように片手を伸ばしながら命じるが、イザベル姫は悲しげに首を振る。
「兄上、あなたはもうこれ以上、人々を苦しめる資格はないわ。わたしは兄上の暴政を止めるために、こうして軍を率いて来たの。もう終わりよ、フィリップ兄様」
「……貴様、妹のくせに……! 私に逆らうのか? ラグランジュ王家の一員が、下衆どもの味方につくというのか!!」
フィリップの怒声が響き渡り、血走った瞳でイザベルを睨みつける。彼にとっては最大級の裏切りだろう。王家の権威を信じていた男が、まさか自分の妹にまで見放されるなど想像もしなかったに違いない。
イザベル姫はその視線を受け止めながら、力強い声で言葉を返す。
「ええ、逆らいます。兄上が貴族たちを威圧し、民衆を踏みにじってまで王権を手にしようとする姿を、わたしはもう見たくない。……ラグランジュの血を引く者として、これ以上放っておけないのです」
その宣言に呼応するように、ウォルフォード卿らも剣を抜き、周囲の王太子軍を警戒する。革命軍とイザベル軍が連携する形で、王太子軍を包囲する格好だ。兵士たちはまるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように逃げ場を失い、玉座の間の広い空間に追い込まれている。
フィリップは唇をわななかせ、サーベルを砕けんばかりに握り込む。
「ふ……ふざけるな……! 貴様らがいくら集まろうと、この王権を奪えるものか! ラグランジュ王家は絶対だ……絶対なんだぁっ!!」
しかし、客観的に見て、王太子軍はすでに壊滅寸前。数の上でも士気の上でも、勝ち目は残されていない。
レオンが視線をセシリアと交わし、そしてイザベル姫へと向ける。姫はかすかに首を縦に振り、決意を表明するかのように剣を下げた。まるで「さあ、あなたたちの革命を成就させて」という合図のようにも見える。
そのまま革命軍の兵が左右から崩れる親衛隊を制圧し、デニスが負傷を押して前へ出る。
「レオン様、これで勝利は目前です! 王太子軍は包囲を完全に崩され、殿下にもはや援軍はありません!」
「やったな……これならフィリップもどうしようもないはずだ……!」
喜びの声があちこちから湧き上がり、仲間たちの士気が一気に上がる。セシリアはひとまず剣を収め、イザベル姫と視線を交わす。二人の視線は複雑で、姉妹のように見守る関係だった昔を思い出しているのかもしれない。
フィリップは顔を歪め、ありったけの憎悪を込めてサーベルを振り上げるものの、もう誰も彼を援護しようとしない。四方八方から突きつけられる革命軍や同盟貴族の剣先に、ただ必死に抵抗するだけだ。玉座の間に走るのは、王太子の荒い息と、絶望に満ちた呻き声。
「これで終わるのか……? 私が……私が王になるのに……!」
つぶやくような声に、セシリアが小さく息を飲む。かつて愛を語り合うはずだった二人の姿が、こんな形で決着を迎えようとしているのだ。イザベル姫も悲しそうに眉を下げていて、レオンがその様子を見て気持ちを固める。
王太子はもはや追い詰められ、最後の望みとしていた援軍が実は敵として現れた――この事実が決定打となり、彼の支配は崩れ去ろうとしている。
「王太子フィリップ、……もう逃げ場はない。あなたが守ってきた王家の威光も、妹君の手で否定された。今こそ、降伏して罪を償うんだ」
革命軍の兵が声を張り上げる。その言葉にフィリップは苦い笑いを漏らすが、剣先はまだ震えている。凶暴な獣が追い詰められているような危険な空気は、決して消えてはいない。
それでも、形勢は完全に逆転した。王太子が暴れても、もはや挽回できる隙はない。
「レオン様、これで勝利は確実です! 王太子軍はもう……!」
「まだ油断するな。殿下が最後の抵抗を見せるかもしれない」
レオンがデニスを制し、気を張ったままフィリップを睨む。その横でセシリアが前に進みかけて、イザベル姫が差し出すように腕を伸ばす。
「セシリア……ここはあなたたちに任せるわ。兄上にとどめを刺すのも、あるいは捕縛するのも自由。わたしはただ、これ以上の流血が起きないことを願うだけ」
イザベルの瞳には、兄を想う悲しみが確かに宿っていた。フィリップが暴君として民を苦しめたとしても、彼女にとっては血を分けた兄なのだろう。それでも、ここで彼を止めるために、背中を押す形でセシリアとレオンを促した。
数歩先、フィリップはまだサーベルを握り込んで唸っている。周囲を取り囲む兵たちは剣を構えたまま進退を窺う。殿下が完全に武器を捨てない限り、戦いは終わらない。
「……わかりました、イザベル。ありがとう」
セシリアがわずかに苦笑を浮かべ、レオンの隣へ立つ。そして、玉座の前に傷だらけのフィリップを見据える。複数の貴族や革命軍兵が、その一挙一動を注視している。
これで王太子軍は崩壊し、革命軍は勝利を確信しつつある。玉座の間には、ついに次なる時代を感じさせる風が吹きはじめていた。
あとはフィリップが完全に力を失うか、あるいは最後まで憎しみを振りかざすか――だがその結末は次なる一手に委ねられる。
「殿下……もう終わりにしましょう。あなたには誰もついてこない。そこまでの犠牲を出して、国を破壊して何が残るの?」
セシリアの声が静かに響き、王太子は焦点の定まらない目をしながら苦しい呼吸を繰り返す。いまはほんの一瞬の膠着状態。フィリップが降伏を認めるか、狂気に駆られてさらに自滅を望むか――。
そしてレオンも同じく剣を握りしめながら次の動きを待ち構える。勝利まであとわずか。一方でフィリップがどんな行動に出ても対応できるよう、兵たちは神経を尖らせていた。
「……勝利は目の前だな、セシリア」
「ええ。けれど、最後まで何が起きるか分からないわ。……警戒を解かないで」
低く交わした言葉は、激戦をくぐり抜けてきたふたりの信頼を宿している。誰の目にも、もう王太子の命運が尽きるのは明らかだ。
イザベル姫をはじめとする同盟貴族の援護が勝利を決定づけた瞬間、王太子の覇権は地に落ちた。だがフィリップが完全に武器を捨てるまでは、火種がくすぶっている。
今まさに変革の嵐が吹き荒れる玉座の間で、革命軍と王太子の最終決着は目前に迫っている――そんな空気に満ち溢れたなか、誰もが固唾を飲んで次の展開を見守っていた。




