第84話 フィリップとの激戦
玉座の間には、今までとは比べものにならないほど多くの足音と絶叫が満ちていた。
門や窓を破った革命軍の増援が続々と流れ込み、王太子軍の親衛隊と乱戦を繰り広げている。先ほどまで俺たちの少人数が主戦力だったこの場所に、一気に百人規模の味方が雪崩れ込んできたことで、戦況が激変しつつあった。
「押せ、押せっ! ここで殿下を追い詰めるんだ!」
どこかで指揮官の声が響き、それに応えるように革命軍の兵士たちが殺到する。親衛隊も必死に反撃してくるが、もはや数の上ではこちらが圧倒している。しかし――王太子フィリップの周囲には、未だに精鋭の護衛が幾人も残っており、そこだけは異様な静けさと狂気に包まれていた。
「レオン様、増援が間に合いました! こっちも優勢になります!」
デニスが血の滲む肩を押さえながら駆け寄ってくる。鞘から抜きっぱなしの剣は折れかけているが、彼はそれでも前線に立ち続けるつもりらしい。周囲では、陣形を立て直した仲間が玉座へ向かう道を切り拓いてくれている。
「わかった。これで王太子を抑え込めそうだな……いや、でも油断はするな。あいつは最後まで諦めないだろう」
俺は剣を握り直し、玉座のある壇上を見上げる。そこにはフィリップが取り囲まれるように立っていた。王太子の背後には王家の紋章を刻んだ大きな旗が掛かっていたが、それも今は焦げや汚れで惨めな姿だ。
だがフィリップの瞳は依然として燃えるように輝いていた。親衛隊が次々と倒れる中でも、彼は大仰にサーベルを振りかざし、錯乱したように怒声を上げる。
「民ごときが……下級貴族の分際が……王家を、王を、倒すだと? あり得ん、あり得るわけがないっ……!」
彼の声は半ば狂気に染まっていて、その執念が周囲の空気を圧している。俺はその様子を見て、胸の奥が軋むような感覚を覚えた。かつては、セシリアから「殿下は才気溢れる方」と聞いていたが、今はもう見る影もない。歪んだプライドと怒りに溺れ、何も見えていないのだろう。
「殿下、もう終わりなんだ。これ以上国を苦しめるのはやめろ……!」
俺は叫びながら階段を駆け上がる。下から大量の援軍が詰めてきたことで、親衛隊も守りきれなくなっているのが分かる。
すると、フィリップが眉を吊り上げ、サーベルを横に払うように一閃した。反射的に剣をかざして受け止めるが、鋭い衝撃が腕を痺れさせる。彼の腕自体は傷を負っているはずだが、その気迫はまるで衰えていない。
「黙れ……! 王の血筋を持つ私こそが、絶対の存在なんだ。貴様ら下衆がどれほど集まろうと、この地位は奪えない!」
フィリップの目からは、狂気とも涙ともつかない光が溢れている。周囲では親衛隊が次々と崩れ、後ろに控えていた革命軍が「殿下を捕らえろ!」と猛進してきた。
その瞬間――
「うああっ!」
後方の兵が、一瞬の隙を突かれてフィリップのサーベルに串刺しになった。まるで紙切れのように吹っ飛ばされ、そのまま床に転がる。俺は思わず歯を食いしばり、さらに前へと詰め寄る。
「やめろフィリップ! これ以上、無駄な血を流すな!」
しかし、フィリップは耳を貸さない。切り裂かれた王族のマントを翻しながら、狂おしいほどの剣撃を繰り出してくる。その勢いに押され、俺は何度か体勢を崩しそうになるが、デニスが横からカバーに入ってくれる。
だが、デニスも傷の影響で動きが鈍っていて、「ぐあっ……!」とまた一撃を受けて倒れそうになる。辛うじて別の兵が支えてくれたものの、場は混沌を極めていた。
「レオン様、これ以上……!」
仲間の声が苦しそうに響く。数の上では革命軍が有利なのに、フィリップの狂乱と、まだ生き残っている数名の親衛隊の一撃が重くのしかかっている。俺も動き回るたびに脇腹の痛みがうずき、一瞬、視界が霞みそうになる。
(くそ、どうにかあいつの剣を止めなきゃ……!)
深呼吸して意を決し、フィリップへ突撃するタイミングを探る。周囲で倒れこんだ兵を踏み越えるようにして、親衛隊最後の一人がなおも槍を振るいかざしてきた。俺はそれを剣で受け流し、一気に突き込む。互いの武器が悲鳴のように擦れあい、火花が散って視界が一瞬ギラつく。
何とか親衛隊を倒し、前方が開けたかと思いきや、フィリップがすかさず刃を突き出してくる。俺は咄嗟に避けようとするが、体が痛みに悲鳴を上げ、体勢が遅れた。
「……がっ!」
自分でも意識する前に、胸元に熱い痛みが走る。サーベルの斬撃が浅く斬り裂き、血がシャツを染めた。思わず膝をつきそうになるが、ここで終わるわけにはいかない。俺は踏ん張って剣を振り下ろし、フィリップのサーベルと激突させる。
「死ね、下衆どもがあああっ!」
フィリップの絶叫が響き、床には血の池が広がり始めていた。今にも気を失いそうな感覚を押し殺し、俺はもう一度剣を振りかぶる。視界の端に、増援が到着したのが見える。王太子軍はもうほとんど戦力を残していない。
(これが最後だ……!)
そこで大きな砲声のような衝撃が廊下から伝わり、城門が完全に破られた報せが届く。革命軍がさらに内部へ押し寄せてきたのだ。玉座の間にも大勢が駆け込み、「王太子軍は終わりだ!」と声を上げる。
フィリップは焦りを見せながらも、まだサーベルを手放さない。その形相は半ば狂気の底に沈んだままだ。
「王家は、絶対だ……誰にも奪えん……! 私は王だ、民など愚かで……!」
「フィリップ……! これまでだ、降伏しろ!」
俺が踏み込んで剣を突き出すと、フィリップはかろうじてサーベルで受けるが、その腕にはもう力が感じられない。周囲の革命軍兵が殺到するのを視界に収め、フィリップは苦々しく舌打ちするように息を吐いた。
「……まだ、私には親衛隊が……兵が……!」
そう叫ぶが、すでに生き残っている兵はほとんどいない。デニスや近衛兵たちが包囲を作り、フィリップを取り囲んでじりじりと距離を詰めている。
だが、フィリップは最後の執念でサーベルを振り回そうとする。その動きがあまりにも危うい一閃となり、俺たちの数名が一瞬ひるんで足を止めた。その隙を狙うかのように、フィリップはなおも反撃を模索している。
「くそっ……!」
視界の片隅で、デニスが血を流しながら起き上がり、もう一度剣を握りしめた。数名の兵も同様に立ち上がり、最後のラッシュへ備える気配が伝わる。
まさに激戦のクライマックス。足元には味方も敵も混ざった血がこぼれ、空気が重い熱気を帯びている。それでも革命軍の増援は途切れず流れ込み、フィリップは数の上で追い詰められていた。
「これで終わりだ……フィリップ!」
俺は剣を大きく振りかぶり、一気に間合いを詰めようとする。だが、その前にフィリップが捨て身のように突き出してくるのが見えた。再び鋭い痛みが脇腹を奔ったが、構わず刃を押し進める。あと一撃……あと一撃で、王太子の抵抗を完全に封じることができる。
(……ここまでくれば、絶対に負けられない!)
周囲の兵も一斉に駆け寄り、フィリップを囲む形になる。激戦は、まさに最終決着を迎えようとしていた。玉座の間には怒号と金属音がこだまする。
フィリップが最後に何をしでかすのか、まったく油断ならない。だが、革命軍は既に数的優位を確立し、崩れかけの王太子軍を圧倒している。
――次の一手で、この戦いは幕を閉じる。
俺はそんな予感を胸に抱きながら、滴る血を振り払い、玉座へ向かう視線を逸らさずに剣を構え直した。セシリアもドアの近くで祈るようにこちらを見守っているのが分かる。
今こそ王太子を討ち、革命を成就させる――その想いを胸に、俺たちは最後の猛進を開始するのだった。




