第83話 玉座の間での対峙
玉座の間の扉は、他のどこよりも重厚感に満ちていた。
廊下を血と汗で染め、ついにその扉の前にたどり着いた俺たちは、一瞬だけ息を整える。セシリアが横で小さく唇を引き結び、握る短剣の柄を押さえているのが見えた。彼女の目には迷いはない。
「ここが……最後の場所ね。扉の向こうに、殿下がいるはず」
彼女は声を震わせずにそう言う。俺は深くうなずき、デニスや選抜された近衛兵たちに視線を送る。皆が無言でうなずき合い、剣を構える。
「……行くぞ」
重い扉をデニスが全力で押し開けると、玉座の間の広大な空間が視界に広がった。燭台から放たれる炎の光が、金や赤で装飾された宮殿の壁を照らし、まるで偽りの華やかさを演出しているかのようだ。
そして、正面に置かれた玉座。そこには王太子フィリップが優雅に腰かけていた。だが、その姿は貴族然とした気品よりも、どこか狂気に蝕まれた異様な雰囲気を放っている。周囲にはまだ数十名ほどの親衛隊が控えており、彼らもまた鋭い目で俺たちを睨んでいた。
「……フィリップ殿下……」
セシリアがその名を呼ぶが、フィリップは頬杖をついたまま、こちらを見下ろすようにして嘲笑した。
「ほう、よくもここまでたどり着いたものだな。下級貴族の分際で……いや、今は“反逆者”か。ああ、そしてセシリア。お前も変わらないな。私から離れて、田舎貴族のところへ転がり込むとはね」
その口ぶりには高慢さと歪んだ執着が混じっている。俺は剣を握る手に力を込め、フィリップの目を真っ向から睨み返した。
「俺たちは、あんたの横暴と無意味な殺戮を止めるためにここまで来た。国の民を苦しめる王などいらない。……もう終わりにするぞ、フィリップ」
「終わりにする? 貴様らが? 滑稽なことだ。王位に就くのはこの私だぞ。誰に許可を得て勝手な口を叩く」
フィリップは面倒そうに立ち上がり、玉座の間中央へ足を踏み出す。深紅のマントがひるがえり、親衛隊がざわつく気配を見せた。指揮官らしき男が「殿下、ご下命を」と礼を取るのに対し、フィリップは冷たく口角を吊り上げる。
「王家に楯突く連中は一人残らず殺せ。容赦することはない。……まあ、どうせここにいる下郎どもが全員を倒せるとは思えんがな」
その目には狂気にも似た怒りが揺らめいていた。俺たちが苦労して市街や城壁を突破した事実も、まるで意に介していないかのようだ。そして目を細め、セシリアに向けて声を上げる。
「セシリア……お前は私のものだったはずだ。なぜそこまで下卑た輩に付き従う? おとなしく私に従っていれば、こんな惨状にならずに済んだものを」
彼女は歯を食いしばりながら一歩踏み出す。その後ろにいるデニスが心配そうに声をかけるが、セシリアは手のひらで制し、まっすぐフィリップを見据えた。
「殿下……いえ、フィリップ。もうそんなことを言う資格はあなたにはない。あなたがやってきたことは、民衆の生活を踏みにじり、愛を語るどころか憎悪しか生み出さなかった。わたしはあなたについていく義理など微塵もないわ」
「義理はない、だと? ふざけるな……! 私の名誉を汚したこと、忘れてはいないぞ。下級貴族に籠絡され、私に楯突くとはね。セシリア、お前は最後にどれほどの代償を払うことになるかわかっているのか?」
フィリップの声は先ほどまでの冷たさから変化し、ヒステリックな響きを帯びる。俺はその場から一歩踏み出して、セシリアの前に立ち、剣を構えた。
「お前の歪んだ執着でセシリアを縛ることはもうない。これまで多くの命を踏み台にしてきたお前を、今日ここで止める。それが俺たちの革命だ」
「革命、だと? はは、愚かしい! この国を治めるのは王族である私だ。民衆が私に従うのは当然。何がいけない? 貴族どもは私の威光にひれ伏していただけのことだ。下級貴族の貴様がなにをわかった気になっているんだ!」
狂気にも似た笑いを浮かべ、フィリップは片手を振り上げる。同時に周囲の親衛隊が剣や槍を構え、間合いを詰め始めた。狭い廊下と違い、この広間は大勢で戦えるスペースがある。俺たちの人数は限られているが、ここが正念場だ。
「皆、構えろ! ここを突破すれば……王太子を倒せる!」
俺の指示でデニスや近衛兵が散開し、親衛隊との激突態勢を取る。セシリアは後方で短剣を持ちつつ、ドアの近くから周囲を見回している。何か指揮系統を保ってくれているのか、要所要所で合図を送るためかもしれない。
フィリップが嘲りの笑みを浮かべ、「存分に俺を楽しませろ」と吐き捨てると、親衛隊が一斉に襲いかかってきた。金属と金属のぶつかり合う轟音が玉座の間に響き渡り、床が削れるほどの足音が乱舞する。
「くっ……ここは広い分、囲まれやすいぞ!」
「後方に回られないように気をつけろ!」
仲間が声を掛け合いながら剣を振るう。親衛隊はやはり王太子の最終防衛線だけあって、統率が取れた動きをしている。あちこちで複数の兵が同時に槍を突き出し、盾を崩そうとする光景が目に入る。
俺もデニスと背中合わせのようにして敵を迎撃し、血と火花が散る激闘を繰り広げる。玉座の足元に向かおうにも、親衛隊が壁のように立ちふさがっている状態だ。
「畜生、なんてしぶとい……!」
何度か剣を叩き込んでも、素早く隊列を組み直して防ぎ、隙をついて反撃を狙ってくる。被弾して倒れる味方もいるが、俺たちはもう引き返さない。セシリアがドアの陰から鋭い声を上げてくれた。
「レオン、右側が薄いわ! そっちの隊列を崩せば前進できる!」
「助かった! みんな、右だ! 右側へ回り込め!」
彼女の的確な指示のおかげで、俺たちは親衛隊の薄い部分へ集中して攻め込む。玉座の間を大きく回り込む形で突撃し、強引に槍を払いのけて少しずつ前へ進んでいく。
激しい打ち合いの末、やがて王太子の立つ壇まであと十数メートルというところまで迫った。しかし、そのときフィリップが床を蹴って跳び下り、玉座の前に降り立つ。
「いいだろう、そこまで来るなら、俺自ら剣を取ってやる! お前たちの革命とやらを、粉々に砕いてくれるわ!」
彼はサーベルのような優美な刀身を抜き、まるで舞うような動作で斬りかかってくる。目にも留まらぬ速さと、貴族特有の剣術が合わさり、一撃で近くの味方兵を突き倒した。
「く……っ、強い……!」
デニスが舌打ちして立ち向かうが、フィリップは軽々と攻撃を受け流し、逆に刃先でデニスの甲冑を深く切り裂く。デニスが苦鳴を上げつつ後退する一瞬、俺は横合いから飛び込み、フィリップのサーベルを弾こうとする。
「フィリップ、もう終わりにしろ! これ以上国を苦しめるな!」
「笑わせるな、下級貴族風情が! 王家の血を継ぐ私に逆らう愚を、思い知れ!」
剣とサーベルが交差し、激しい衝撃が腕を震わせる。フィリップの腕力はそこまで強大ではないかもしれないが、その剣さばきは優美かつ早く、まるで踊るように攻撃を繰り返してくる。俺は必死で受け流すが、周囲の親衛隊がまだ合流しようとしており、余裕はまったくない。
と、そのときセシリアが背後から「レオン!」と叫んだ。彼女が短剣を投げてよこし、俺はとっさに剣を入れ替えるようにして受け取る。二刀を構えながらフィリップに再度挑み、サーベルを上から抑え込むように力を込める。
「おお……? 面白い動きだな! だが所詮は田舎育ちの粗野な剣技だ!」
「悪かったな、田舎育ちでもここまで来れたんだよ!」
刀身が火花を散らし、フィリップの表情が狂乱気味に歪む。彼はサーベルを振り払おうとするが、俺の短剣が腕の隙を狙って切り付ける。血が飛び散り、フィリップが低く唸るが、怯まずにサーベルを振り回してくる。
「下郎があああっ!」
「くっ!」
ギリギリで体をひねって避けるものの、横腹をかすめられ、焼けるような痛みが走る。俺も思わず後退して息を呑む。しかし、デニスが踏みとどまって後衛からサポートし、親衛隊の突撃を防いでくれている。
「レオン様、追い詰めましょう……ここが勝負です!」
彼の声にうなずき、俺は痛みを堪えながら前へ。フィリップが再度サーベルを振り上げるが、その動きはさっきよりやや鈍い。恐らく腕の傷が深く、思うように力が入っていないのだろう。
親衛隊もかなり数が減り、革命軍の仲間たちが押し込んできた。一部の兵は「殿下、退かれてください!」と必死でフィリップを庇おうとするが、王太子自身が下がろうとしない。
「……まだまだ終わりじゃない! 私は……私こそが、この国の王になるんだ!」
フィリップの執念と狂気が玉座の間に渦巻く。俺は息を詰め、剣を構え直しながら心の中で言い聞かせる。これを止めるのは、自分たちの使命だ。
「フィリップ……目を覚ませ! 国を苦しめる王なんて必要ない! 民衆はもうお前を認めていない!」
「黙れ! 民衆など家畜にすぎん。私の言葉に従わないなら皆殺しだ!」
その瞬間、玉座の間にいる革命軍の兵が一斉に突撃を仕掛ける。親衛隊の残党も奮戦するが、多勢に無勢で次々に倒れていく。フィリップが高笑いしながらサーベルを振り上げるも、もう誰も彼を止めようとはしない。
殺気と悲鳴が入り混じる中、最終的な決着はすぐそこまで来ている――。そんな空気が玉座の間を満たしていた。俺たちは、ここでフィリップを倒して革命を完遂しなければならない。セシリアもきっと同じ思いだろう。
王太子の最後の抵抗はまだ続く。けれど、俺は剣を強く握り直し、血の滲む口元を拭って前へ進む。狂乱の王太子を相手に、どんな結末が待っているかは分からないが、もう迷いはない。今こそ、すべてにケリをつけるときだ。