第82話 親衛隊の迎撃
暗く狭い回廊を進む足音が、石造りの壁に反響している。セシリアの案内で秘密の通路を抜けた俺たちは、玉座の間に近いとされる廊下へ出ることができた。とはいえ、いよいよ最後の難関が目の前だ――王太子フィリップの親衛隊が、こちらの行く手を阻むかのように配置されているはずだ。
「……静かだな。逆に嫌な感じだ」
デニスがすぐ後ろで低くつぶやく。たしかに廊下は深閑としているが、まるで獣が爪を研ぎ澄ませて身を潜めているような、不穏な空気を肌で感じる。短く合図を送り、仲間たちに警戒を怠らないよう伝える。
「セシリア、地図の通りなら、この先に大広間を経由して玉座の間があるんだよな?」
「ええ。玉座の間は上階にあるけど、殿下の親衛隊が廊下や扉を固めているはず。気をつけて……ここで油断したら一瞬で全滅よ」
「わかってる。……みんな、武器のチェックを」
俺は剣の柄を握り直し、気持ちを引き締める。だが、その緊張を見透かすかのように、廊下の奥から複数の足音が近づいてきた。硬い甲冑の擦れる音と、鋭い呼吸が空気を切り裂く。
「やっと来たか。革命軍のご登場ってわけだな」
静寂を破るように響いたのは、低く冷たい声。廊下の突き当たりに、複数の親衛隊が姿を見せた。彼らは漆黒の鎧に身を包み、整然と並んでいる。その背後には指揮官らしき大柄な男も控えていて、鋭い槍を構えていた。
「フィリップ殿下の親衛隊か……精鋭揃いだと聞いてはいたが、この雰囲気……尋常じゃないな」
デニスが固唾を飲んでつぶやく。たしかに、目の前の敵は今までの雑兵とはまるで違う空気をまとっている。深い殺気と鍛え抜かれた動き――さすがは王太子の最終防衛線だけのことはある。
「お前たちがレオン・クリフォードか。殿下に逆らい、王都を混乱に陥れた張本人だとか……。ここから先へは、一歩も通さんぞ!」
槍を構える親衛隊の指揮官が、大声で宣言する。背後の部下も、剣や矛を構え、殺気立った視線でこちらを射すくめる。逃げ場のない廊下だからこそ、真正面からぶつかるしかない。
「悪いが、ここは通してもらう。王太子に会って、すべてを終わらせるんだ」
俺は剣を抜き、デニスや仲間たちが盾と短剣を構えるのを見計らって、一斉に前進の合図を送る。狭い場所での白兵戦だからこそ、隊列を崩さずに突っ込むのがセオリー。
次の瞬間、親衛隊の槍が一気に突き出される。空気を切り裂く唸りとともに鋭い突きが迫るが、盾を持つ味方がかろうじてそれを受け止める。しかし、その衝撃で味方の兵が吹き飛ばされそうになるほどの怪力だ。
「くっ……強い、やっぱり普通の兵とは違う!」
「怯むな、盾で受けたら反撃だ!」
デニスが素早く横に回り込み、親衛隊の槍を叩き落とそうとする。だが相手も慣れたもので、一瞬で槍の向きを変え、返す刃でデニスの肩を狙ってきた。危ういところでデニスが下がり、かろうじて回避するが、その間にも別の親衛隊が突っ込んでくる。
「ちっ……なかなかやるな!」
俺は一瞬の隙を突いて、相手の脇腹を狙って剣を振り下ろす。槍を振り回す動作は大振りになりがちだが、狭い廊下ではかえってこちらが不利な角度もある。親衛隊の一人が盾を構えて剣を受け止めようとした瞬間、力任せに押し込むように斬り込むと、盾の中心を貫いて相手の体勢を崩す。そこに別の味方が横から切りかかり、親衛隊の隙を突いて倒すことに成功した。
「一人突破! このまま前に続け!」
倒れた親衛隊を踏み越えるように進むが、奥では指揮官が槍を振りかぶって虎視眈々と待ち受けていた。彼は冷静に戦況を見極めているらしく、こちらが無理に突っ込めば痛い目を見るだろう。
「セシリア、後ろに下がっていてくれ! この廊下で戦うには狭すぎる!」
俺が警告の声を上げると、セシリアは奥の壁際に身を寄せ、ドアの開閉や周囲の監視をする役に回る。彼女も武器は携えているが、前線での近接戦闘は得意ではないし、万一の時に退路を確保してほしい。
「わかったわ。でも、ここは途中で分かれ道があるから、必要ならわたしが扉を開くわよ。声をかけて!」
「助かる!」
次々と親衛隊が前線を固め、剣や槍が交錯して火花を散らす。こちらもデニスや近衛兵が必死で応戦し、狭い廊下で文字通り体を張ったぶつかり合いが続く。
一人、また一人と、親衛隊が倒される一方、革命軍側にも負傷者が出始めた。短剣が胸に刺さって倒れ込む仲間の姿を見ると、心が痛むが、今は立ち止まってはいられない。
「うおおおっ!」
デニスが大きく叫んで親衛隊の盾を弾き飛ばし、俺はその隙に敵の槍先を切り払う。ぎりぎりまで踏み込んで一刀を浴びせると、金属の刃が甲冑を斜めに叩き割り、相手が崩れ落ちる。
そのまま廊下の奥へ突き進めば、最初に敵が集結していた場所に残るのは指揮官と数名の親衛隊だけになった。彼らは必死の形相で陣形を立て直し、こちらを睨んでいる。
「殿下の玉座には一歩も近づかせん……! 貴様らが何をほざこうが、ここは通さない!」
指揮官が槍を突き立て、複数の親衛隊が囲むように配置を取る。小声で作戦を話す暇もなく、俺たちは改めて陣形を整える。やはり最後はこの指揮官を倒さねば玉座の間へは通れないだろう。
俺は息を整え、剣を構えて一気に踏み込みの姿勢をとる。後方でセシリアが「気をつけて!」と緊張した声を上げるのが聞こえるが、振り返って笑う余裕はない。
「いくぞ、デニス! ここを突破するんだ!」
「了解です、レオン様! もう一踏ん張りだ!」
指揮官が低く構え、部下が左右から援護する。逆にこちらはデニスが左、俺が右へ回り込み、盾持ち兵が正面を抑える形を狙う。
先に動いたのは指揮官だった。槍をぐっと伸ばし、まるで蛇のようにしなるような突きで前衛の盾を狙う。そのスピードと威力はただ者ではない。盾を持った味方が「くっ!」と呻き、一瞬でバランスを崩しかける。
「おっと……やるな」
俺は左へ滑るようにステップを踏み、指揮官の横合いを斬りかかろうとする。しかし、部下の親衛隊が短剣を投げつけるように放ってきて、俺は身を捻ってそれを避ける。さらに別の兵が斜め下から剣を狙ってきたが、こちらも素早く突きを返す。
「くそ、しつこい……!」
一対多の近接戦は消耗が激しいが、デニスが反対側でうまく援護してくれているおかげで、相手が全力を出せないでいる。指揮官も部下が斃れるたびに苦い顔をしているが、それでも揺るがない殺意が宿っていた。
ようやく指揮官と距離を詰められたとき、俺は思い切り剣を横薙ぎに振る。相手は槍で受け止めにかかるが、そちらに力を入れたせいでわずかな硬直が生まれた。そこをデニスが突く形で槍の柄を叩き、指揮官の手元が乱れる。
「今だ!」
俺は気合いとともに刃を押し込み、指揮官の胸元を切り裂く。甲冑がバチンと音を立てて割れると、勢い余って相手が壁に叩きつけられるように倒れた。
廊下には血と呼吸の音が満ち、親衛隊の残党がもうほとんど立っていない。俺は急いで周囲を確認し、味方の被害をチェックする。何人かが倒れているが、まだ息がある兵もいる。セシリアが慌てて駆け寄り、応急処置を手伝ってくれている。
「大丈夫? 薬草があるわ、傷が深い人を集めて……!」
「みんな、あと少しで玉座の間だ。手当てを急ぐんだ!」
息を弾ませながら声を張り上げる。俺たちは親衛隊の精鋭を何とか打ち破った。だが、完全に終わったわけじゃない。玉座の間には、王太子フィリップ自身が待ち受けている。
重苦しい沈黙が廊下に降りる。皆が互いの無事を確認し合いながら、ここまで来たことを喜ぶ反面、これからの戦いへの不安も拭えない。
「レオン……最後の砦は、あの扉の向こうよ。殿下がいるはず。準備はいい?」
「……ああ、当然だ。このまま殿下を野放しにするわけにはいかない。君も覚悟してくれ」
セシリアはその言葉に小さくうなずき、ツンとした表情で微笑むように唇を引き結んだ。俺たちが歩む運命は、もう後戻りできない。
傷ついた仲間たちを見やりながら、俺は最後の力を振り絞るように拳を握る。
「みんな、この戦いで全てを決着させる。殿下を倒して、新しい国を築くんだ……行くぞ!」
廊下の奥へ続く扉の向こうには、玉座の間がある。そこに待ち受けるのは、王太子フィリップ――かつてセシリアの婚約者だった男であり、この国を暴政で苦しめる絶対権力者。
俺たちは互いの存在を確認し合いながら、扉の手前に集まった。激戦で息を荒げた兵士も、少しの間だけ休みを取って落ち着きを取り戻す。セシリアが背筋を伸ばし、小さく深呼吸してから静かに視線を上げた。
「これが最後の闘い……負けないわよ、レオン」
「もちろんだ。絶対に勝とう、セシリア――俺たちの理想のために」