第77話 城壁の攻防
朝陽が昇りきると同時に、俺たち革命軍は王都を包囲する陣を敷いた。数多くの兵士が城門から適度な距離を保ちつつ、城壁全体を取り囲むように展開している。空には薄雲がかかり、まだ冷たい風が肌を刺すが、戦場にはそれを上回る熱が漂っていた。
「全隊、配置につけ! 梯子や破城槌の準備を急げ!」
俺は馬上から声を張り上げる。幾らかの兵士が手間取っている様子もあるが、皆の目には強い意志が宿っている。昨日まで王都近郊で調整をしてきたが、ついに城壁への攻撃を仕掛けるときが来たのだ。今はまだ不安と緊張の入り混じった空気だが、やるしかない。
「レオン様、前線の梯子部隊、準備が整いました! 合図をいただければすぐに突撃開始できます!」
部下の一人が駆け寄り、興奮交じりの声で報告をくれる。俺はうなずき、遠くに見える城壁上を睨みつけた。
そびえ立つ城壁の上には王太子軍の兵士がずらりと並んでいる。弓矢や投石機を構え、こちらを虎視眈々と狙っているのが一目で分かった。彼らは必死に守りを固めているだろうし、攻めるこちらも多大な犠牲を出す恐れがある。
だが、ここで足を止めるわけにはいかない。内部協力者と連携して門を開く作戦が理想だが、それを待っているだけでは王太子軍に先手を取られかねない。俺たち革命軍の存在感を示し、包囲を強化するためにも、最初の一撃は必要だ。
「よし、行くぞ! 全隊、攻撃開始! 城壁を破るんだ! うおおおっ!」
馬上で大声を張り上げると、号令とともにラッパのような合図が高らかに響いた。前列の梯子部隊と破城槌を持つ兵士たちが一斉に突撃を始める。土煙が舞い上がり、地面が揺れるほどの足音。
俺自身も馬を走らせ、兵たちと並走しながら城壁へ肉薄する。背後にはデニスらが控え、必要に応じて援護射撃を行う段取りだ。まっすぐ城門を破りに行く部隊、梯子で壁をよじ登ろうとする部隊、それぞれが激しく行進を続ける。
「――来るぞ! 頭を下げろ!」
誰かの怒声と同時に、城壁の上から矢の雨が降り注ぐ。空が黒く染まったかのように見えるほどの弓矢が、風を切る音とともにこちらに殺到した。前列の兵が盾を構えて一部を防ぐが、痛々しい悲鳴が聞こえるのは避けられない。
血が地面に落ち、まだ二十メートルほどの距離なのに、すでに何名かが倒れている。くそ……やはり正面からの攻撃は厳しいか。けれど、ここで怯んでいては突破口が開けない。
「負けるな! ここで止まってどうする! 前へ進め、継続だ!」
俺が怒鳴り、兵士たちの動揺を抑える。盾を持つ兵が先頭を固め、後ろから梯子を担いだ者が突進する。城壁の真下まで行けば、上からの攻撃は若干やりにくくなるはず。
そう思うと、城壁の上にいる王太子軍が次の手を繰り出してきた。弓矢だけでなく、投石や熱湯を混ぜた液体を垂らしてくるのだ。高所から落ちてくる熱い液体に触れた兵士が悲鳴を上げ、ある者は盾で防ぎきれず悶絶する。くそ、なんて容赦ない攻撃だ……。
「ぐあああっ……助けて……!」
「耐えるんだ、すぐ後ろに衛生兵がいる! まだ城壁まではあと少しだ!」
前線は地獄絵図の様相を帯びていたが、梯子を抱えて突撃した若い民兵が、意を決して壁の根元へたどり着く。そこから何人かが協力して大きな梯子を掛けようとするが、上から石を落とされ、梯子ごと押し戻されてしまう。
しかし、俺たちもそう簡単に引き下がるわけにはいかない。後ろから弓兵が援護射撃を開始。城壁上にいる王太子軍を狙い、可能な限り反撃する。矢が何本か当たり、相手も無傷ではいられない様子だ。
「破城槌チーム、門を叩くんだ! 梯子はまだ捨てるな、チャンスを待て!」
俺が声を張り上げると、先頭にいた破城槌を担いだ精鋭たちが突撃態勢を取り、門へ近づく。壁の左右では梯子部隊が再度挑み、必死に策を練っている。
しかし、城壁上には動じない兵士が多く、投石と弓矢のコンビネーションでこちらを攻め立ててくる。破城槌の進撃も簡単ではなく、何名かが被弾し動きが止まる。中には門まであと数歩で倒れ、地面に崩れる者もいた。
「くそっ……なんて数だ。やっぱり正面衝突は厳しい。兵を無駄に失うわけにはいかないが……もう少しで門に届くんだ!」
俺も馬を降り、地上で盾を構えながら指揮を執る。周囲には弓矢が降り注ぎ、風に混じって焼けた臭いが漂う。隊列が乱れ始め、踏みとどまるか退却するかの判断が迫っていた。
だが、このまま進めば被害は拡大するばかり。城壁上の王太子軍はまだまだ余力がありそうだ。後方の弓兵だけでは足りないし、俺たちは投石器を十分に用意できていないため、攻城兵器の差が痛い。
「レオン様、これ以上は無理です! 兵がどんどん倒れてます……一旦退いて包囲を固めるのが先かと!」
「けど……門を破れば大きく有利になるかもしれないんだぞ!」
近衛の兵が必死に訴える。俺は歯を食いしばるが、視線をめぐらせるとあちこちで悲鳴が上がり、梯子や破城槌が倒されている光景が広がっていた。たとえ門を破れたとしても、大きな犠牲が避けられない。
どうする……。ここで突っ込み続ければ疲弊して後が続かないかもしれない。目的はあくまで王太子の打倒と王都の開放、無理に城壁を抜く必要はないはずだ。
「……撤退だ、兵を引かせろ! 一旦後方へ下がって体勢を整える! あくまで包囲を維持しつつ、正面衝突は避けるんだ!」
俺は鼓膜が震えるほどの大声で指示を飛ばす。前方の指揮官もそれを聞いて、手を振って退却合図を送る。兵たちが慌てて後ろへ下がり、敵の矢を受けながらも何とか距離を取っていく。
その光景に、城壁上の王太子軍が「逃げ出したぞ!」と罵声を飛ばしているようだが、気にする余裕はない。こちらは冷静に兵を下げて仕切り直しをするだけだ。包囲自体は維持するつもりなので、数百メートルほど後退し、全滅を防ぐことに主眼を置く。
「皆、よく耐えた! 傷ついた仲間を連れて後方に下がれ! 衛生班は急いで手当てを……焦るな、落ち着いて処理しろ!」
後退する兵の中には体に矢が刺さったまま倒れ込む者もいて、痛々しい悲鳴が続く。血が地面に滴り、心が痛むが、これ以上の犠牲を出さないためには無理な攻城を控えるしかない。
俺も盾を投げ捨てて、負傷した兵を支えながら下がる。苦しむ彼をできるだけ安全な場所へ運び、衛生班に委ねてから、改めて兵全体を見渡した。多くの者が消耗し、呼吸を荒らげている。
「まったく……やっぱり城壁を正面から破るのは無茶だったか」
肩で息をしながらつぶやく。城壁を攻め落とすためにもう少し兵器があれば状況は違っただろうが、限られた装備しかない革命軍にとっては厳しいのが現実だ。城壁上の敵は多く、さらに王太子軍の防衛態勢がしっかりしているのが痛い。
しばらくして、前線から戻ってきたデニスが悔しそうに顔をゆがめながら走ってくる。
「レオン様……すみません。まともに登攀できず、梯子は何本か掛けられましたが、上から落とされてしまって……。破城槌も門に到達する前に横からの矢で大きな損害を受けています」
「わかった。気にするな。これで正面攻撃の厳しさは分かったし、無駄に兵を失わずに済んだだけでも成果だ。今は包囲を続け、敵を消耗させる作戦に切り替えるしかない。民衆の協力や内部からの門開けを期待しつつ、機を伺おう」
「……はい、了解です。すでに撤退命令は行き渡りました。今からは遠距離で牽制しながら、陣形を固めます」
デニスが頭を下げて離れていくと、俺はほっと息をつき、セシリアやオーウェンらがいる後方本部へと足を運ぶ。兵士たちは血と泥にまみれ、一様に疲れを見せているが、まだ士気は死んでいない。何とか最悪の事態は避けられたと考えるべきか。
城壁の上からは「臆病者め!」「来るなら来いよ!」と馬鹿にするような声が聞こえてくるが、聞き流すしかない。今は正面から無理に攻めるより、包囲を完成させて敵を内側に閉じ込めるほうが得策だ。
「……よし、ひとまずここまで。俺たちは数を減らすわけにはいかない。時間は向こうにも無限じゃないから、焦る必要はないんだ」
そう心の中で確認し、改めて顔を上げる。俺たちが全周を包囲すれば、王太子軍の補給路は大きく制限される。内部協力者やイザベル姫の働きがあれば、いずれ機が熟すだろう。
兵たちには無意味な突撃で命を落としてほしくない。確かに門を破れれば大きな成果だが、無謀な力押しは革命軍の意志を削ぐ結果になるかもしれない。だからこそ、ここは一旦後退の判断をしてよかったと自分に言い聞かせる。
血と煙の匂いが漂う城壁前線。痛々しい光景を背に、俺は歯を食いしばってつぶやいた。
「王太子……お前を倒すため、俺たちは後退じゃなく、次への一歩を踏み出してるだけだ。今にわかるさ」
遠くで悲鳴や怒声がまだ響いているが、指揮下の兵士が手当をしながら戻ってきた。負傷者を迅速に救護し、城壁前を少しでも片づけるよう命じる。気持ちはどうしても重くなるが、皆のために気を張って指示を出し続けるしかない。
剣と盾に染み付いた砂や血をかき落としながら、俺は改めて王太子軍の強固さを痛感する。容易には破れない城壁だ。しかし、俺たちはこんな失敗で終わるつもりはない。包囲を強化しながらじわじわと内部に揺さぶりをかけ、機を見て一気に突き崩す――それが当初のプランだったのだから、ここで挫けるわけにはいかない。
「まだ始まったばかりだ。皆、次の指示を待ってくれ。包囲は維持しつつ、死者を減らすように立ち回る。俺たちには仲間同士の絆と知恵があるんだ……絶対に勝つぞ!」
荒れ果てた戦場で、俺は倒れた仲間の遺体に黙祷を捧げつつ、再び背筋を伸ばした。王都包囲戦が本格的に始まった以上、ここからが勝負だ。命を懸けてでも、王太子の独裁を終わらせるという誓いが胸の奥で炎を燃やしている。
俺たちは必ず王都を解放し、新しい時代を切り開く。そのためなら、この城壁の上から降ってくる矢の雨も、熱湯も、どんな障害も乗り越えてみせる。いまは少しだけ兵を休ませ、次の手を考える時間を稼ぐのだ。どんなに強固な城壁であろうと、民衆の意志は破れない――そう信じ、俺は次の行動へ向けて歩を進めた。




