第73話 グレイスの貢献?
軍議を終え、一息つこうと歩いていると、野営地の片隅からなにやら騒がしい声が聞こえてきた。炊き出し用の大鍋が並ぶ一帯で、人々の「あわわ! 熱い!」「誰かタオル持ってきて!」といった悲鳴に近い声が響いている。
「なんだ、何かあったのか?」
俺は足を速めてその場へ向かうと、案の定というかなんというか……ドタバタの中心にはグレイスがいた。彼女は頬や額に小さな煤をつけながら、大きな汁鍋の前でうろたえている。
「きゃー! ご、ごめんなさい、わたし、鍋の火力をあげすぎて、底が焦げついちゃいました!」
「焦げついたどころか、鍋が傾いてスープが半分流れちまってんじゃねえか!」
「わああん、ごめんなさいー!」
周囲の民兵や料理係らしき人たちが慌てて鍋を支えようとするが、既にダバダバとスープが流れて地面を赤茶色に染めていた。どうやら一度火力を弱めようとしたら、操作を間違えて逆に強くしてしまったらしい。
「グレイス、おまえ、何やってんだ……!」
俺は思わず笑いかけの呆れ声を出してしまう。さっきまでの厳しい空気が、彼女の慌てっぷりのおかげで一瞬にして和んだ気がする。そりゃまあ、食材がもったいないし、苦労してくれている料理係には申し訳ないが……戦場の張り詰めた気分を、こんな形でほぐしてしまうのがグレイスらしい。
グレイスは目に涙をためながらこちらにすがるような視線を向ける。
「ごめんなさい、レオン様! わたしが不注意で……ああっ、食材がー! せっかくの野菜やお肉が……もうっ!」
隣でスープが焦げた臭いが立ち上り、鼻を刺激する。兵士たちも「昼ご飯が……」と落胆しているが、不思議と怒ってはいないらしい。彼女の見事なまでのドジっ子ぶりに、むしろ笑いが広がり始めている。
「まあ、落ち着け。まだスープの残りはあるだろ? 足りない分はパンや干し肉でも補ってもらおう。アイリーンに頼めば、どうにかなるかもしれないし」
そう声をかけると、グレイスはしゅんと肩を落としながらもうなずいた。ちょうどそのとき、セシリアが奥から姿を現す。彼女は眉をひそめたまま、あたりを見回すとやれやれとつぶやいた。
「いったい何の騒ぎ……って、グレイス? あなた、またやらかしたのね」
「ひいい、セシリア様……すみません、ごめんなさい! 鍋を温めようとしたら火力が爆発的に強くなっちゃって……」
セシリアは額に手をあて、軽く嘆息する。そして、炎で焦げ付いた鍋をのぞき込み、少し嫌そうな顔をしつつも気を取り直したように声をかけた。
「まあ仕方ないわね。あなたに料理を任せるのが無理だったのかもしれないわ。……誰か、こちらの鍋を水で冷やして、少しでも食べられる部分を確認しておいて。再利用できそうなら助かるんだけど」
「はい、セシリア様ー!」
兵士がバケツを持ってきて、焦げ付いた鍋に水を注ぎ込み始めると、じゅうっと蒸気が立ち上って大きな煙が上がった。皆が咳き込みながら、一斉に後ろへ下がる。
「あははは……なんだか戦場とは違う意味で大惨事だな」
「こんなドタバタも、疲れた兵たちにはいい気晴らしになるのかしら。まったく……グレイスはもう少し落ち着きなさいよ」
セシリアはわずかにツンとした態度でそう言いつつ、どこか柔らかい笑みを浮かべる。よく見れば周囲の兵士たちも、苦笑とともに「あーあ、これも戦いの疲れを癒すスパイスか」と冗談を飛ばしている。雰囲気がピリピリしていただけに、この騒ぎが逆に士気を上げる結果になっているようだ。
俺はそんな光景に心が弾むような思いがして、グレイスの肩を軽く叩く。
「まあ、やらかしたものは仕方ない。今から別の料理を用意してもらうしかないけど、次はおとなしくサポートに回れ。火加減は他の料理係に任せような?」
「は、はい……。本当にごめんなさい、わたしっていつも……」
グレイスがしゅんと落ち込みかけるので、周りの兵たちが「ドンマイドンマイ!」と声を掛け始める。彼女のドジによってスープは減ってしまったが、不思議と誰も怒ってはいない。
「よし、ここで落ち込んでも仕方ない。残った食材で十分にカバーできるさ。お前が笑ってないと、みんなが余計暗くなるだろ?」
俺がそう言うと、グレイスは何とか笑みを作って「はいっ」と元気に答えた。誰もが疲労を抱える中での大失敗だが、この騒ぎがかえって緊張をほぐしてくれたらしい。辺りにはくすくすと笑い声がこだましている。
セシリアも大きく息を吐き出し、呆れたように肩をすくめて続けた。
「まったく……でも、確かに食事は兵たちの士気に直結するもの。あなたが笑えるなら、まだ大丈夫ね。次こそは失敗しないよう気をつけてちょうだい」
「はい、セシリア様! あ、それから……余ってる野菜と干し肉を入れて、新しいスープを作る作戦を考えました! 今度はちゃんと火力管理できる人にお願いして……」
彼女がわたわたと走り回りながら準備を再開するのを、俺とセシリアは並んで見つめる。先ほどの会議で練り上げた作戦が成功するかどうかはわからない。それでも、こんな小さな笑いと和みが、革命軍全体の士気を支えてくれるんだろうと思うと、不思議に誇らしい気持ちになる。
「……このドタバタがなかったら、皆が真面目すぎて気疲れしていたかもしれないわ。グレイスには感謝するべき、なのかしらね」
「そうかもな。失敗は痛いけど、その分、笑いが生まれた。兵士たちも少し心が軽くなったんじゃないか?」
俺がそう答えると、セシリアは苦笑していた。騒ぎを起こしたグレイスは相変わらず大鍋を囲んでてんやわんやだが、その周囲には活気のある笑顔があふれている。まだ戦いは遠く終わらないけれど、こうして同志たちと和気あいあいでやり取りできるのは嬉しい。
「よし、じゃあ改めて、明日に備えよう。夜には作戦の最終確認をやる予定だ。腹が減ってたら頭も回らないから、みんなにはしっかり食って休んでもらわないとな」
「そうね。わたしたちも休息を取っておかないと。王都に進軍する大切な時期なんだから」
セシリアとともにグレイスたちのドタバタを横目に、俺はもう一度明日の準備を頭の中で整理する。思えば、夜が更ける前に兵士たちへ檄を飛ばすような場面が続いていたが、こうしてクスリと笑いあえる時間があるからこそ、俺たちは何とか踏ん張っていられるのだと思う。
革命軍はすでに本格的な動きに突入している。王都攻略へのプランも具体化し、みんなで前進しようという士気が高まっている。そんな中で生まれた一瞬の笑顔と、グレイスの突拍子もない失敗が、どれだけ大切な癒やしになっていることか。
「よし、俺たちも次の作戦に向けてしっかり飯を食おう。グレイスの失敗分を補うためにも、今度はうまくやってくれればありがたいが……」
「ふふっ、期待薄かもしれないけど、彼女は彼女なりに頑張ってるから大丈夫よ。うまくいかなくても、誰かがフォローするわ」
セシリアの言葉に微笑み合い、俺たちはふと兵士たちに向き直って「今日はもう気楽にしていいぞ!」と声を掛ける。戦いの緊迫感に浸りすぎず、時にはこういう笑いも必要だ。
この騒動をきっかけに、周りの兵士たちがリラックスした笑顔を見せはじめる。静かにゆるむ空気の中で、俺は「よし、明日の朝に会議の続きだ」と宣言。みんなが「おー!」と盛り上がり、一斉に拍手や歓声が起こる。
「じゃあ、わたしは行ってくるわね。グレイスが鍋をまた焦がしたら大変だから、様子を見てこなくちゃ」
「ああ、よろしく。俺は少しテントに戻って書類を整理しておく。そっちが落ち着いたら一緒に確認しよう」
うなずき合って別れると、セシリアは軽い足取りで料理テントへ向かう。彼女の背中を見送るうちに、俺はまた胸に温かいものを感じた。どんな危機に直面しても、こういう仲間との掛け合いがあるから頑張れるのだと思う。
笑い声と香ばしい匂い、グレイスの「うわああん!」という絶叫――そのすべてが、疲れ切った革命軍の士気をちょっとずつ上げてくれている。翌日に控える厳しい行軍や作戦に備え、こうしたコメディ的なひと幕を大切にしている自分に気づき、俺は苦笑いを浮かべる。
(まあ、何でもいい。皆が少しでも笑えるなら、それが力になる。明日からも険しい道のりだけど、きっと俺たちは笑い合いながら進めるはずだ)
その思いを抱えながら、俺は軽く伸びをしてから自分のテントへ戻った。外から聞こえるグレイスの慌て声と、兵士たちの楽しげな笑い声が、夜空へと吸い込まれていく。戦場だって、こんな日常の繋ぎ合わせでできているんだな、と思いながら。
 




